拝み屋『悠々自適』(02)
シンクが話を持ち掛けたところ、ラルゴの許可はあっさりと下りた。
シンクにとっては意外なことだったが、ラルゴはこの手の話を信じているようだった。
砂漠で傭兵業を営んでいる時も、怪奇現象や幽霊の類の話は珍しくなかったという。
実際ケセドニアにも拝み屋のような職業を営んでいる者は居て、その中には商人と懇意にしている者も居たとラルゴは語った。
そのことにシンクは少しだけ拝み屋という職業に対する胡散臭いという印象を改めた。
シンクが知らないだけで、世界的には需要のある仕事なのかもしれない。
「こんばんはー、『悠々自適』ですー」
「いつもすまないな」
「いえいえ、こちらも仕事ですから」
そうしてシンクが店を訪れた三日後の夜、白髪の少女は複数の小瓶のぶら下げられた長杖を背負い、カンテラを片手に神託の盾本部へと現れた。
ゆったりとした丈の短いローブをまとい、足にはヒールの付いたブーツを履いている。三つ編みにはいくつもの花飾りが刺されており、拝み屋というよりは変わり者の譜術師と言われた方がしっくりくる様相だった。
ラルゴは元々少女と知り合いなのか、親し気に少女と言葉を交わす。
「ファルは居ないのか?」
「おや、ラルゴ師団長は私だけでは不安ですか?」
「そうじゃないが、一人で仕事が出来るようになったのか」
「できますよぅ。私はファルファッレの一番弟子ですからね!」
えへんと胸を張る少女の頭をラルゴがわしゃわしゃと撫でる。大柄なラルゴが頭を撫でれば、それだけで少女の身体はぐわんぐわんと揺れた。
しかし本人はそれが楽しいのかきゃらきゃらと笑っていて、いつものやり取りであることが察せられる。
「ねえ、早く始めてほしいんだけど」
その交流に水を差すようにシンクが声を上げれば、さも今気づきましたと言わんばかりに少女の視線がシンクへと向けられた。
シンクを見て、続けてラルゴを見上げる。二人の間で何度か視線を往復させた後、少女はラルゴを見上げて朗らかに笑った。
「新人さんですか?」
「前に店に行っただろ。第五師団師団長」
「小さい師団長さんですねぇ」
「アンタの方がチビだろ!」
それから二言三言言葉を交わしたところでようやくシンクの存在を思い出したらしい。
少女は改めてラルゴが許可を出したのか確認すると、それならばと清掃中は自分の指示に従うようにとシンクに注意を投げかける。
しかしシンクから言わせれば少女はどうも頼りない。態度も記憶力も信用するには余りにも適当過ぎた。
だが隣で聞いていたラルゴも少女に頷き、真剣な面持ちでシンクに声をかける。
「シンク、マリの指示に従うんだぞ。専門家の言うことは聞くものだ」
「マリ?」
「マリだ。マリトッツォ。名前を聞いてないのか?」
「僕の記憶が正しければそれってお菓子の名前だよね?」
「ああ、食べたことがないのか。今度差し入れてやろう」
「そういう意味で言ってるんじゃないんだよ」
段々と苛立ち始めたシンクにラルゴは豪快に笑ってから、それじゃあ頼んだと言ってマリに部屋の鍵を渡した。
マリはマリでぶすっとしたシンクに気遣う様子もなく、それじゃあ行きましょうかとさっさと歩きだす。
「あんたこの仕事長いの?」
「物心つく頃にはお師匠さんに指導を受けていました。実際に現場に出るようになってからは二〜三年ってところですかねえ」
「素人じゃないか」
「この業界じゃあ充分プロですー」
実際、何度か足を運んだことがあるのだろう。第一師団員達が使う区画を歩くマリの足には迷いはない。
そうしてたどり着いた部屋の周辺は第五師団が清掃を頼んでいる部屋の周辺と同じように人気が少なく、いかにもそれらしい部屋だった。
マリはドアを前に僅かに顔をしかめると、自分の三つ編みを手に取って挿していた花飾りを一つ手に取る。
そしてそれをシンクの髪に挿そうと手を伸ばした。
「ちょっと。なに」
シンクがその手を当然のように払いのけると、マリはきょとんとした顔でシンクを見た。
「何って、お花を挿すんです」
「それに何の意味があるのさ」
「護りです。思ったより澱みが溜まってるので、影響を避けるためのものです」
そう言われてしまえばシンクも拒否は出来ない。もう一度手が伸ばされ、シンクの頭に花が咲いた。
頭に挿された場違いな花飾りにムスッとしたシンクにくるりと背を向け、マリはラルゴから渡された鍵でドアを開ける。
窓もなく灯りもない部屋は暗いどころか何も見えない。シンクが部屋に設置された音素灯を点けるよう指摘する前に、マリは持っていたカンテラを目の前に掲げる。
そしてカンテラに口元を寄せてふっと息を吹きかけると、その中にぼんやりとした火が灯った。
音素が動いた気配はないにも関わらず、火が灯ったカンテラにシンクが小さく息をのむ。
「気分が悪くなったらすぐ言ってください」
「……わかった」
ようやく見え始めた拝み屋の片鱗にシンクは僅かに腹に力を込めた。
二人が部屋に足を踏み入れれば、長らく閉ざされていた部屋特有の淀んだ空気が二人を出迎える。
カンテラには確かに火が灯っているのに、その灯りは室内の暗さに対して余りにも頼りない。
「音素灯点けないわけ?」
「点くなら点けるんですけどねえ。試してみてもいいですよ」
シンクの指摘にマリは暢気に答えた。
言われた通りにシンクが部屋の上部に設置されている筈の音素灯を点けようとしてみるも、譜業回路が壊れているのかちっとも音素が収束する気配はない。
シンクが眉をしかめる横でマリが暗い室内をきょろきょろと見渡している。シンクの目には部屋の壁すら見えない暗闇だというのに。
「やっぱり思ってたより多いですね。誰かこの部屋で悪いことでもしたのかな」
「悪いこと?」
「リンチとか、レイプとか? 殺しまではしてないと思います」
少女の口から聞くに相応しくない言葉にシンクが更に眉根を寄せたところで、蝶番の軋む音と共にドアが閉まった。
パタンと空気の抜ける音に合わせて暗闇が室内を支配する。咄嗟にシンクがドアに向かおうとしたところで、マリがシンクの腕を掴んだ。
「動かないで」
「……解った」
マリの指示にシンクはドアに向かうのを諦める。カンテラのわずかな灯りに照らされたマリの顔は暢気そのものだ。
その表情から然程危険な状態でもないのだろうとシンクは判断したが、足元を走る小動物の気配に一歩だけ後ずさる。
しかし後ずさった先は硬い床であるはずなのに、シンクの足はまるで沼にでも沈み込むかのようにずるりと闇の中に落ちかけた。
傾きかけた身体を慌てて戻したところで、初めて不機嫌そうな顔をしたマリがシンクに言い放つ。
「動かないでって言ってるじゃないですか」
「……わずかでも動くなって?」
「はい」
無茶を言ってくれるとシンクが舌打ちを零しかけ、また足元でなにかが走る。恐らく、鼠か何か。
反射的に動きかけた身体を意思の力でねじ伏せながら、シンクは再度粘つく闇を見渡す。
夜目が利くよう訓練された筈の身体はいつまで経っても闇に慣れる気配はない。しかし何かの気配を感じている。
足元を這うのは蛇か何かだろうかと、そう考えたところでシンクは自分の思考の違和感に気付いた。
蛇? さっきは鼠だと思ったのに?
「ねえ」
「はい」
「この部屋、何か生き物でも居る?」
「私と、貴方が」
「それ以外。小動物」
「居ませんねえ」
「本当に?」
「動物は本能的にこの手の場所を避けますからね。居ませんよ」
マリの口調は暢気なままだ。彼女の顔の周辺を照らす微かな灯りは何の頼りにもならない。
シンクの足元でなにかが歩いている。四足歩行の、なんだ。恐らく、子猫のような。また違う。これは何だ。
シンクが視線だけ動かしても足元は暗闇で、自分の身体すら見えない。
暗闇の中で五感が研ぎ澄まされる。ぼそぼそと誰かが話している声が聞こえる。
余りにも小さな声なものだから何を言っているかは解らない。けれどそれは間違いなく人の声だった。
「大歓迎されてますね」
「歓迎?」
「歓迎ですよ。人気者ですね」
「これで喜ぶ人間なんて居ないだろ」
「たまにいますよ。怪奇現象にあってみたいっていう人。大抵一回でも遭遇するとそれで懲りるんですけど、たまに不感症っていうか、見たり聞いたりする力が壊滅的な人が居て。でもそういう人ほど見たがるんですよ。ちょっと面白いですよね」
緊張感を滲ませるシンクの声とは真逆に、マリはふふっと微笑ましそうに笑った。余りにも場違いな笑みだった。
シンクの背中に不快感が走る。ゆっくりと背中を這い上る悪寒。むき出しの腕には寒くもないのに鳥肌が立っている。
何かが居る。それが何かは解らない。鼠か。蛇か。子猫か。はたまた他の何かか足元に居る。
ぼそぼそと誰かが話している。不明瞭な言葉は何を言っているかは解らない。近くなったり遠くなったり。距離感も掴めない。
未だ闇に目は慣れることなく、それどころかゆっくりと質量を増しているかのようにシンクの身体に重くのしかかっている。
シンクは自分の本能が警鐘を鳴らしているのを感じていた。うなじのあたりがざわめいている。ここに居てはならない。
「■■■」
耳元。至近距離。何を言っているか解らない。しかし確かにシンクは聞いた。
背中を駆け上がった悪寒に今度こそシンクは耳を抑えてその場から飛びのく。咄嗟のことだった。反射だった。本能的なものだった。
気配もなく、間近に感じた異常。シンクから言わせれば、例え動くなと指示をされようと逃げたことを責められる謂れはない。
「あ」
マリの暢気な声がシンクの耳を通り抜ける。それどころではなかった。
飛びのいた先、誰かがシンクの足を掴んでいた。そのまま闇の中に引きずり込もうと、強い力で引いてくる。ずるりと足が滑って、自然と体勢が崩れた。
強かに体を打ち付ける前にマリがシンクの身体を受け止め、素早くシンクの足元をカンテラで照らす。シンクも振り返る。
そこには何もない。
「嘘だろ……」
シンクの口から思わずといったように言葉が漏れた。気づけば息が上がっていた。浅い呼吸を繰り返しながらシンクは掴まれた筈の足をじっと見降ろす。
ブーツに包まれた足は部屋に入る前と寸分違わず、しかし足を掴まれた感覚は生々しく残っている。
「もう、だから動かないでって言ってるのに」
「……さっさと何とかしろ。それが仕事だろ」
「やり方ってものがあるんですう。大人しく見学しててくださーい」
「チッ」
シンクは今度こそ舌打ちを零して立ち上がった。
未だ足を掴まれた感覚は抜けないが、だからといってビクビクしていても何も変わらない。ざわつく胸を無視してしっかりと二本の足で立つ。
その上でシンクは遅まきながらようやく一つ理解した。マリの暢気な態度は、危険度をはかるのに何の役にも立たない。
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