拝み屋『悠々自適』(05)
マリの清掃に同行してから数日後、シンクは紙箱を片手に『悠々自適』を訪れていた。
相も変わらず店頭に居ない店員を大声で呼び出せば、ぱたぱたと階段を降りてくる軽い足音。
ひょこりと顔を出したマリはシンクを見てお待たせしましたと元気に声を上げる。
「ローレライ教団の方ですか?」
「ここに来るのは二度目。会うのは三度目。ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長シンク」
にぱ、と接客用の笑顔を見せるマリにシンクは淡々と告げる。
マリはシンクの言葉にしばし無言で天を仰いだかと思うと、ようやっと思い出したと言わんばかりに両手を合わせた。
「新しい第五師団の師団長さん!」
もしや会う度にこのやり取りをせねばならぬのかとシンクは深々とため息をつく。
そして勝手知ったる他人の家とでもいうように椅子を引いて席に着いた。マリもそれに何も言わず、シンクの向かいの椅子に腰かける。
「それで、どうされました? 何か後遺症でも?」
「残念ながらいたって健康だよ。まずこれ、ラルゴから」
一応、以前清掃に同行したことも思い出したらしい。
マリの問いかけをシンクは跳ねのけて、持ってきた紙箱を丸テーブルに乗せる。置きっぱなしにされていた香炉を脇に寄せたが、火も入っていないのだからいいだろうとシンクは気にしない。
マリもマリで香炉はどうでもいいのだろう。シンクの許可を取って紙箱を開ければ、そこには生クリームがたっぷりと詰まったマリトッツォが二つ収まっていた。
途端に目を輝かせるマリを見ながらシンクは腕を組む。
「ラルゴから。前回の仕事の礼だってさ」
マリは今にも涎を垂らしそうな顔をしながらマリトッツォを同梱されていた薄紙に包んで取り出す。
そしてそれをシンクへと差し出した。そう来るとは思っていなかったらしいシンクは仮面の下で目を瞬かせる。
「は?」
「二つ入ってますから、一緒に食べろってことでしょう」
「……いらない。あんたが食べれば」
「何言ってるんですか。シンク師団長は小さいんですからちゃんと食べないと。大きくなれませんよ?」
「だから、お前の方がチビだろ。ハァ……」
ぐいぐいと押し付ける勢いでマリトッツォを渡されたシンクは渋々薄紙に包まれたそれを受け取る。
粉砂糖のかけられたブリオッシュと間に挟まれたたっぷりの生クリームは見ているだけで甘さが舌の上に広がってくるようだ。
マリはマリでもう一つのマリトッツォを取り出して早速かぶりついている。
流石に捨てることもできず、シンクは口を開けて甘ったるそうなお菓子へとかぶりついた。
「ん〜〜、美味し〜」
「……思ったより甘くないな」
嬉しそうに咀嚼するマリの向かいでシンクはぱちぱちと瞬きをしていた。
シンクの予想に反して生クリームの甘さは控えめで、ブリオッシュのバターの風味が強い。
しかしくどくはない軽い口当たりのお陰で、丸々一つ食べても胃がもたれることはなさそうだった。
互いに碌に会話もしないままぺろりとマリトッツォを平らげた後、遅まきながらマリが紅茶をふるまう。
お前が飲みたかっただけだろうという言葉を呑み込み、シンクは黙って出された紅茶に口を付けた。
「は〜。ごちそうさまでした。ラルゴ師団長にお礼を伝えておいてください。今後とも御贔屓にー」
「自分で言えば。それと、これ」
思ったよりも上手に淹れられていたお茶に舌鼓を打ったシンクは、ポケットから花飾りを取り出してテーブルに置く。
それは清掃に入る前にマリがシンクの頭に挿したものだった。
あの日清掃を終えたマリは、ラルゴに報告を終えてさっさと帰ってしまった。
気分の悪さが抜けなかったシンクは自室に戻る前に少し休憩をしようと執務室に足を運んだのだが、残業をしていた副師団長に指摘されて返しそびれていたことに気付いたのである。
そのせいでシンクとすれ違った師団員達によって、シンクは花飾りをつける趣味があるのだという噂話が広まった。根も葉もないことだと言い切れないのが辛いところだ。
シンクからすれば捨ててしまいたいところだったが、副師団長にきちんと返した方がいいとアドバイスを受け、こうして足を運んだというのが今日の来店理由の一つだった。
マリは髪飾りをまじまじと見降ろした後、少し考えてから丸テーブルの上で居心地が悪そうに脇に寄せられていた香炉を指差す。
「シンク師団長」
「なに」
「この香り、不快ですか?」
「香り?」
マリの言葉にシンクも香炉に視線を落とす。しかし香炉からは煙が出ている様子はない。
その状態で香りなどある筈がないだろうと、シンクは眉間に皺を寄せる。
「香りも何も、火を入れてないじゃないか」
「ふむ……そうですか。その花飾り、しばらく持っておいてください。つけなくていいので」
「……護りが必要ってこと?」
「恐らく? 一週間何もなければ捨ててもらって構わないので。あれです。アフターケアって奴です。まあ何もない可能性が高いですが、念のため」
「……わかった」
マリの危惧するところが解らずシンクは更に問いただそうとして、無意味だろうとすぐに諦め花飾りをポケットへとしまう。
頭に挿さなくていいというのであればまだ許容範囲内だった。もう一度頭に挿しておけと言われたら確実に突き返していたが。
「でもこれって本当に効果あるわけ?」
「それつけてなかったらシンク師団長は今頃あれのお腹の中でおねんねしてると思いますよ」
「……」
疑いの声を上げるシンクにあっさりとそれが無ければ死んでいたと告げるマリ。言い返すだけの判断材料がないシンクは口を噤むしかない。
マリはそんなシンクを笑うこともなく、カップをソーサーに置いた後にほうと満足げに息を吐き出す。
マリはいつだってシンクの態度に無関心だ。みっともないところを見せようがそれに触れてくることもない。
不必要に干渉されたくないシンクにとってそれはありがたいことで、そのフラットな態度は唯一の美点だなとシンクはマリの評価に一行追加した。なお、能天気な礼儀知らずという評価は未だ健在である。
「話は変わるけど」
「はい」
「……あの隙間? で、あんたが言ってた。僕が本当に人間かどうかって、どういう意味?」
マリが無関心なのをいいことに、シンクは本題に切り込む。
ラルゴの礼も、花飾りの返却もシンクにとってはついでだった。本命はこの質問だ。場合によっては始末せねばならないと、シンクは胸中でひっそりと殺意を立ち上らせる。
そんなシンクの心情を知ってか知らずか、マリはきょとんとした顔をしていた。まさか質問自体を忘れているのではあるまいな、とシンクの中で別の不安が頭をもたげる。
「ああ、あれですか。んー……なんて言ったらいいかな。前回の清掃、シンク師団長がやけにモテモテだったじゃないですか」
「知らないよそんなの」
「澱みに引き寄せられた有象無象だけじゃなくて、シンク師団長に惹かれてきた奴も結構居たんですよね。だからシンク師団長もあっち寄りの存在なのかなぁって思ったんですけど」
そこで言葉を切ったマリがまじまじとシンクを見る。
丸テーブルに隠れていない全身をじっくりと眺めた後、ふるふると首を振った。
「違いますね」
「ちょっと待ってよ、僕のことをあそこに居た訳の分からない奴等と同類だと疑ってたわけ?」
「たまにいますよ、人のふりしてしれっと暮らしてるの」
「うそだろ……」
頭を抱えるシンクを眺めながらマリは紅茶を啜る。
レプリカだと疑われていた訳ではないと分かったものの、まさかあの魑魅魍魎と同類なのかと疑われていたと解ってシンクはマリを殴りたくなった。
それだけでも不愉快なのに、あそこに居るような連中の中には人に紛れて暮らしている奴がいるらしい。
マリのことを始末しなくても良くなったものの、殺意を抱いたお返しと言わんばかりに寄越された情報にシンクは眩暈がしそうだった。
「ま、そういうのは大抵無害ですからそこまで気にする必要ないですよ」
「ハァ……もういい。帰る」
あっさりと言うマリにシンクはため息をついて立ち上がる。
マリの無害判定は当てにならないが、もし実害があるようなら仕事として押し付けてやればいい。自分にはどうしようもないのだから専門家に任せるのが一番に決まっていると、シンクは無理矢理思考を完結させる。
「そうですか。またのご来店をお待ちしております」
「二度と来ないよ、こんな店」
「そうだといいですねえ」
「不吉なこと言うのやめてくれる?」
マリが言うと本当にまた足を運ぶことになりそうで嫌だと、シンクは仮面の下で苦虫を嚙み潰したような顔をする。
そんなシンクの心情を気にしないマリは席から立ち上がることもなく、紅茶の入ったカップを片手にひらひらと手をふった。
シンクはもう一度ため息をついてから、店を出るために足を動かす。ドアを開ければマリの代わりにシンクを見送るようにしてちりんちりんと鈴が鳴った。
なお、マリの言葉通りシンクはまたこの店を訪れることになるのだが……それはまた、別のお話。
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