The only one in this world.(01)


 そこに辿り着くまでの記憶は、酷く曖昧なものだった。
 後から思えば造られたばかりの脳みそは刷り込まれた情報を処理するのに必死で、何かを思う余裕がなかったのだと思う。
 ただ失敗作のレッテルを貼られたことだけは覚えている。強烈な拒否感を覚えたから。

 腕を引っ張られて、どこかに連れていかれた。道中痛む足を止めようとしても髪を引っ張られて怒られた。
 そうしてたどり着いた先は息をするのも苦しい程の熱で満ちていて、ちらちらと視界の端で煌めく赤に肌が粟立つようだった。
 ここに居たくない。本能的な忌避感に踵を返したくとも、周囲の人間がそれを許さない。

 立ち上る熱気が肌を焼く。足の裏が痛む。体を覆うぼろきれみたいな布が燃えないのが不思議なくらいで、ちりちりと髪が焦げてしまいそうだった。
 背中を押され、視界に赤が満ちる。ゆらりと、身体が傾く。背中を打つ衝撃に顔を顰めるよりも先に宙に放り出される身体。独特の浮遊感が身体を包み込み、そして湧き上がる恐怖。

 死ぬ。

 根源的な恐怖は言葉にしえない怖気となって全身を駆け上がり、どこかを掴もうと半ば無意識に手を伸ばす。
 引っかかった岩肌は焼けるように熱く、肌を痛めて皮をこそげ落とし爪が剥がれたが、それでも一瞬だけ落下速度を和らげる程度の効果しかない。

 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
 岩肌にあちこち身体をぶつけながら。全身に響く痛みに涙を溢れさせながら。
 それでも死にたくないという本能だけで何とか足掻いて、フォンスロットをこじ開けて全身に音素を巡らせて血濡れた手で岩肌を掴む。
 それは多分蜘蛛の糸を掴むような幸運だったのだと思う。流れた涙が端から蒸発していくような熱気に包まれながら、必死に崖をよじ登った。

 痛い痛い痛い痛い痛い。
 水ぶくれのように膨れ上がって皮がズル向けになり、血まみれになった掌が痛い。
 熱気に舐められ赤らんだ肌が、落下中にぶつけたあちこちが痛い。
 舗装なんてされていない岩肌の上を歩くことを強制され、傷だらけになった足の裏が痛い。
 けれど頭がかち割られるような痛みが、一番痛い。

 このままだと、死ぬ。
 いやだ。死にたくない。

 上から降ってくる、自分と同じ髪色をした少年たち。このままじゃ自分も二の舞だと、死にたくないという強烈な生への欲求。
 それが頭痛を引き起こしている。生存の可能性を少しでも増やそうと、刷り込まれた記憶の更に奥底から記憶を引きずり出そうと脳みそをかき回す。

 びきりと痛んではいけない場所が痛んだ。そして泉のように湧き上がる、誰とも知らない別人の記憶。違う、これは私の記憶。遠い昔に死んだ私の記憶。
 荒波のように押し寄せる数多の記憶にいっそ死んだ方がマシではないかというような頭痛にのたうちまわる。何かを叫んだ気がするけど、声は痛みにかき消されて届かない。
 けれど前世の記憶を思い出しきると、激しい頭痛は波が引くように消えていった。

 それでもなお余韻のように残る頭痛に肩で息をする。
 滴る汗が黒い岩肌に落ちて蒸発していくのを眺めていたら、鈍い音と共に緑の髪をした少年がまた一人、私の近くに落ちてきた。

「あ」

 思わずそんな声が漏れるのと同時に咳き込み、自分の喉が痛んでいることに気付いた。やすりでもかけたようにざらついた声だった。
 さっき叫んだせいかもしれないし、この熱気のせいかもしれない。むしろ両方だろう。
 ひとしきり咳き込んだ後、痛む身体に鞭を打って立ち上がり、私と同じように全身を打ち付けたらしい少年に近寄る。
 痛む身体を動かし何とか立ち上がろうとする少年に手を伸ばせば、顔を上げた彼がぼうっと私を見上げた。

「にげよう」

 もたつく舌を動かしざらついた声でそう誘えば、しばし私を眺めていた少年がゆるゆると目を見開く。そして先ほどの私を再現するように、頭を抱えてのたうちまわった。
 その反応にぎょっとしながらも溶岩の海に落ちないように少年の身体を抑えつける。
 自分と同じ体格の少年がリミッターが外れたように暴れているのだ。音素による筋力強化を駆使しても、その身体を抑え込むのには随分と苦労した。
 その時間は決して長いとは言えないものだったが、やがて痛みが引いたのか暴れるのをやめた少年が腕の中で肩を上下させる。
 恐る恐る顔を覗き込めば、目を見開いて掌を見つめる姿があった。その姿は何かに絶望しているようにも見える。

「……だいじょうぶ?」

 声をかければ、のろのろと顔を上げる少年。
 その瞳はさっきと違って理知的な光が宿っていて、ああ彼も一緒なんだなと直感的に悟った。

「二回目?」
「……たぶん」
「わたしも。まだ、混乱してるけど」
「……僕も」
「とりあえず、逃げよう? 魔物が来ちゃう。私、死にたくない」
「……僕を置いて逃げればいいだろ」
「火山の火口に落とされても、そこまで外道に落ちた覚えはないよ。そんなことしたら上に居た奴等と同じってことになる。私、あんな奴等と同類になりたくない」
「自己満足?」
「そうだよ。あとは、打算。いざという時はお互いが囮。どう?」

 私がそう提案すれば、少年はしばし目を伏せて考え込む。
 彼がどんな記憶を持っているかは知らないけれど、無意味に見捨てるようなことはしたくなかった。少なくとも、私はそんな下等な教育は受けていない。
 もう暴れる様子はないので腕の中から少年を開放して立ち上がる。もう一度手を差し伸べれば、彼は緑色の瞳で私を見上げる。

「行こう」
「……いいよ。ただし、どっちかが死ぬまでだ」
「うん」
「その内迎えが来る筈だ。そこまで案内する」
「え?」
「行こう」

 私の手を取った少年が立ち上がる。重ねた掌が痛んだが、そんなこと今更だ。なにせ全身あちこち痛い。
 それでも痛みに負けて蹲れば死んでしまうことなど解り切っているから、二人そろって歩き出す。
 周辺を警戒しながら迎えというのがどういう意味か聞けば、前を向いたまま少年は前の記憶だとそうだったと教えてくれた。どういう意味だろう。

「ねえ、あんた戦える?」
「えっと、一応攻撃譜術は使えるけど……どっちかっていうと、治癒専門だった」
「ダアト式譜術は?」
「使えると思う。知識はあるよ。でも即戦力になるかと聞かれると不安がある」
「だろうね。僕が前衛やるから、あんたは援護して」
「解った。前は剣士か何かだったの?」
「拳闘士。今の身体で、どこまでできるか解らないけど……」
「充分心強いよ。ならちょっと待って。念のために回復しとこ」
「……ん」

 歩む足を止め、回復譜術を使う。今後のことを考えて完全回復するよりも、つつがなく戦えるレベルまでに抑えての回復を施した。
 何度か手を握っては開いてを繰り返した後、少年はまた歩き出す。その背中を追いながらしばらく歩いていると、少年の言う通り本当に迎えの人が現れた。

「……誰?」
「ヴァン・グランツ。頭のいかれた聖女の子孫様さ」

 私の疑問に答えになっていない答えを返しながら少年はさくさく歩いた。
 幸い道中魔物に出会うことはなかったので体力はまだあったが、それでも見知らぬ人間の登場に不安がぬぐえない。
 半ば少年の影に隠れるように迎えだという男性と相対すると、何故か男性は私を見て目を丸くしていた。

「シンク以外にも生き残りが居たか」
「へえ。あんたも記憶があるんだ」
「その口ぶりだとお前にもあるようだな。そっちは?」
「お察しの通り、僕と同じ死にぞこないさ。それも、二回目ってところも一緒らしいよ」
「ほう?」

 何やら私を置いて解りあっている二人に更に不安が湧き上がる。
 ヴァンという男性は私をじろじろと眺めると、低く落ち着いた声で名前を問うてきた。

「……ルビア。ルビアです。治癒専門高等学院で教鞭をとっていました」
「治癒専門高等学院? 聞いた事がないな……」
「新たに発見された第七音素の研究を行う、治療院も兼ねた学院です。知りませんか?」
「新たに、発見された……?」

 私の言葉を不思議そうに繰り返すヴァンに私まで首をかしげたくなる。
 何故そんな反応をされるのかが解らない。

「失礼、君が生まれた年を聞いても?」
「BD2693ですが……」
「ちょっと待ってよ。あんた今何年か解ってる?」
「え? 今? 今は……」

 少年にそう問いかけられて、私は刷り込みされた知識を引っ張り出す。
 そして、愕然とした。

「ND……2015……?」

 私が生きていた時代よりも、二千年近く経っているではないか!!
 突如知らされた事実に呆然とする私の前で、何故かヴァンが声を上げて笑い始めた。
 天を仰いで笑う彼に視線をやれば、彼は冴えた瞳をギラギラと輝かせて私を見下ろす。

「面白い。面白いな。同じ時を繰り返すだけの人生など預言に従うだけの人生よりもつまらないと思っていたが、まさかユリア・ジュエと同じ時間を生きた人間がここで干渉してくるか!」
「……ああ、そうか。あんた、ユリア・ジュエと同い年なんだ」
「ユリア・ジュエ? サザンクロス博士のところの? 確かにユリアは同い年だけど……」
「この男、それの子孫」
「子孫!? ユリアちゃんの!?」

 少年がヴァンを親指で指し、二度目の驚愕の事実を告げる。
 目を丸くする私の前で、ヴァンが顎に手を当ててニヒルに笑った。楽し気というよりは悪役のようなという形容詞がぴったりの笑みだった。

「本当に面白いことになってきたな。前回の反省を踏まえ、計画は変更するが……これは新たな要素を取り入れるカギとなるやもしれん。シンク、また私のために働いてもらうぞ」
「お断りだよ」

 が、少年……シンクと呼ばれた彼がぴしゃりと労働を断ったことで笑みが消える。
 どういうつもりだというように、ヴァンの視線がシンクに移った。

「理由を聞こう」
「今回僕が手を取ったのはアンタじゃない。こいつだ」
「……なるほど。それはお前にとってそれほど重要なことだったか」
「そうだよ。それに世界中をレプリカにすり替えるならともかく、その新たな計画とやらも聞いてない以上賛同は出来ないね」
「ふむ。もっともだな。では提案だ。一度お前達を保護する。衣食住は保証しよう。代わりに簡単な仕事を頼みたい。ただし顔と素性は隠してもらう。理由は言わずとも解るな? これならどうだ?」
「……どうする?」
「え?」

 二人でぽんぽん話が進んでいくのを眺めていたら、何故か突然舞台に引っ張り上げられた。よく解らないながらもシンクは私に今後を委ねているらしいということだけは解った。
 一応シンクにどう思うか聞いてみるが、悪い話じゃないと言うだけでどうしたいかは答えてくれない。
 意思決定が苦手な子なのだろうか。それなら無理に意見を引きずり出すのはよくないかもしれないと、未だ混乱の引かない頭を切り替えてヴァンの言葉を考える。

 簡単な仕事の代わりに衣食住を保証してくれる、というのは悪い話ではないように思えた。
 計画とか世界中をレプリカにすり替えるとか何やら恐ろしい単語も聞こえた気がしたが、それよりも大切なのはひとまず身の安全を確保することだ。

「……仕事というのは?」
「魔物の討伐や人を入れたくない場所の掃除、単調な雑務といったところか。戦闘に関しては君は出来ないかもしれないが、シンクなら問題なくできるだろう」

 どうやら二人は知己らしい、ということはいい加減解っていたのでヴァンの言葉を改めて考え、シンクを見る。
 シンクは腕を組んで私の品定めをするようにこちらを見ていて、それがちょっとだけ怖くて恐る恐る声をかけた。

「君は……戦うのは、嫌じゃない?」
「別に。慣れてるし」
「……では、ヴァンさん。ええと、お世話になります」

 私の言葉にヴァンは頷き、では行こうといって踵を返す。ホーリィボトルを使ってくれたので魔物に怯える心配はなさそうだ。
 ひとまず安全が確保されたことに安堵しつつその広い背中を追い、同じく歩き出したシンクに声をかける。

「ねえ。今更だけど、名前聞いてもいい?」
「さっき聞いてただろ」
「それでも貴方の口から聞くのが大事なんだよ」
「意味のわからないことを……シンク」
「私はルビア。改めてよろしくね、シンク」
「どっちかが死ぬまでね」

 私の声かけにそっけなく返して、シンクは力強く歩く。
 こうして私は二度目の生を始めたのだ。


前へ | 次へ
ALICE+