ガーデンフール03(18)
シンクは書類仕事が多いことも相まって基本的に執務室に缶詰めだが、それ以外の仕事が無いわけではない。
他の師団長達との会議に出たり、多くはないが出張に出たり。身体が資本の仕事なので当然基礎訓練だって参加するし、師団員達と交流も兼ねて乱取りしたりもする。
その場合私は後ろで待機である。この時の私の仕事は乱取りで怪我をした師団員達の回復をすることなので。
他にも馬鹿をやった師団員の尻ぬぐいに駆り出されたりとか。師団員同士の喧嘩の仲裁に駆り出されたりとか。
試作型タルロウマークXを止めて下さいとかいう訳の分からない理由で第二師団の人に泣きつかれて飛び出したりとか、突っ返された書類を片手に経理部にカチコミに行ったりとか。
まあ何が言いたいかというと、基本缶詰ではあるものの部屋を出ることもそこそこにあるということだ。
大変忙しい日常を過ごしているため、シンクは効率的に動くことを好む。
ちょっと隙間時間が出来た途端に私に乗馬訓練をさせようとしたあたり、ただのワーカホリックの可能性も否めないけど。
「少し、休憩していこうか」
「え?」
だからそう言われた時は自分の耳を疑った。
効率よく仕事をするために短時間の休憩を挟むことはままあるけれど、今は経理部との戦争(軽め)(当社比)(約三十分)を終えた帰りである。
いつもなら舌戦の観覧に疲れてぐったりとしている私の襟首を引っ掴み、さっさと帰って仕事をするよと言うくせに。中庭を見てそんなことを言い出すなんて、明日は季節外れの雪が降るかもしれない。
驚く私の腕を掴んでシンクはずんずかと中庭に向かう。
そこそこ広い中庭には、雑談をしている律師と教団員。休憩中であろう師団員達。憩いの場として利用しに来たダアト市民などが居る。
それらを無視して隅っこの方の木陰に向かうと、私の肩を押して無理矢理その場に座らせた。私は何をさせられているんだろう。
「あの、休憩って……仕事は?」
「後でやるさ」
仕事の効率化を極めているシンクが? 仕事を?? 後回しに????
これまた予想外の言葉に慄くものの、隣にどかりと座り込んだシンクはそのまま私の膝の上へと倒れこんできた。
想定外の上に予想外を塗り重ね、更にその上から慮外なことをされて私は今度こそ思考を停止させた。
私の膝の上に、シンクの頭が乗っている。
「……あ、の」
「なに」
「これは、いったい」
「何って、休憩。思ったより柔らかいな。ちゃんと骨入ってる?」
「入ってますが????」
頭を起こしたシンクが私の太ももを軽く押して確かめながら失礼なことを言ってくる。まさか太っていると言いたいのか。
とはいえ、この会話の間も私は指一本動かせていなかった。錆びついた音機関みたいにぎこちなく首を動かすだけで精一杯だ。
見下ろせばまたシンクが私の膝の上に頭を乗せていた。横向きに寝転がっている顔はやっぱり仮面で見えない。
これは、あれだ。その……ひざまくら、というやつでは。
「師団長」
「シンクでいい。この距離なら誰にも聞こえやしないからね」
「……シンク」
「なに?」
「なんで、こんな……急に」
「何度も説明しただろ。僕はもう、お前を誰かと共有する気はない」
それはただの花食みの独占欲じゃないの。それならこんなことする理由なんてないでしょう。
飛び出しかけた言葉は喉奥で絡まって、結局音になることはなかった。
いつの間にか自分の心臓が早鐘を打っているのが解った。
これ以上ない程にドキドキしている。
本当にそれは花食みの独占欲というだけですか。
こうして触れて、時間を共有したいと、シンクが思ってくれたってことでいいですか。
固く口を縛っておいたはずの袋の中から感情が溢れ出しそうになる。
自分の顔が真っ赤になっている自覚があった。だってこんなにも顔が熱い。
私面の皮厚いって言われてたのに。あれはやっぱりシンクの嘘だったのかもしれない。
……私からも、触れることが許されるのだろうか?
思えばいつもシンクから触れられることはあれど、私から手を伸ばすことはなかった。
例外はタッピングの時くらい。馬鹿になった頭で子供みたいにシンクにしがみ付いていたことを思い出す。
でもそれくらいだ。
私の腕を掴むのも、背中に触れる唇も、胴に回される腕も、いつだってシンクからのものだ。
理性的な時にあれだけ私に触れて、こうして今も許可なく私の膝を占拠している。
なら、私だってシンクに触れることくらい、許されるんじゃなかろうか。
震える指先を気力だけで持ち上げて、そっと髪に触れてみる。
一瞬だけシンクの身体に力が入ったのが解ったけれど、仮面に触らないと解ったのかまた力が抜けた。
セットされた髪は予想外に柔らかく、咎められないのを良いことに指で軽くすいてみる。
緑色の柔らかな髪が絡むことなくするすると通り抜けていく感覚は、思っていたよりも心地よい。
心臓がはち切れそうなくらいうるさい。でももうちょっとだけ、触れていたい。
「他人に髪に触れられたのは初めてかもしれない」
「えっ」
何度か指を往復させたところでそんなことを言われて、思わず手を引っ込めた。
が、嫌だと言いたいわけではなかったらしい。
「別に咎めてるわけじゃないさ。ただの感想だよ」
「その……嫌じゃ、ないですか?」
「別に」
その言葉にホッと息を吐く。恐る恐るもう一度手を伸ばすが、やはり嫌がる素振りは見られない。
私はまた指を動かして、シンクの髪の柔らかさを堪能することにした。
シンクの言葉から察するに、一人で身の回りのことをこなせるようになってからはずっと誰にも触れられていなかったのであろう。
それ以降、初めて髪に触れることが許されたのだと思うと嬉しくてたまらない。
ああ、やっぱり私シンクのことが好きになっちゃったんだな。
ふくろにぎゅぎゅっと詰めていた感情が溢れ出して、今度こそ自覚してしまった。
こんな感情が花生えの本能であってたまるもんか。私はこの人が好きなんだ。
顔も知らない。素っ気ない。自分を大事にできない。何でもできるくせに自信がない。でも最近ちょっとだけ優しい。
そんなシンクのことを、好きになってしまった。
無性に喚き散らしたくなって、慌てて下唇を噛む。理由もなく潤みそうになる視界を必死に誤魔化す。
はちきれそうな心臓を何とか宥めながら、髪だけじゃなくて頭も撫でてみる。
やっぱり咎められないことに頬が緩みそうになって、慌てて自分の頬をぺちぺちと叩いた。流石にそれは不審者が過ぎる。
「もう終わり?」
「あ、いえ。その」
それはもっと触れたいということだろうか。
ドキドキしながら頭の中をかき混ぜて言い訳を探す。
「人目が、気になりまして」
「訳の分からないことを」
「そりゃ気にしますよ!」
「見せなきゃ意味ないだろ」
「へ?」
「まあ何人か走って行ったから、噂は充分回るか」
意味が解らなかった。
固まった私の膝の上から重みが消える。体を起こしたシンクがぐっと伸びをする。
心臓がまたうるさかった。けれどさっきみたいな幸せなものじゃなくて。なんだかそう、自分が致命的な間違いをしてしまった時のような嫌な感じだった。
「あの、噂って……シンク、まさか、わざと?」
「そうだけど? ……お前、まさかずっと理解してなかったわけ?」
「な、にを……です、か?」
背中に氷水を流し込まれたような気分だった。
身体を起こしたシンクが呆れたようにため息をつく。
「前に言っただろ、僕はもう、お前を誰かと共有する気はない」
「それは……聞きました」
「これで理解しろよ……僕がこれだけお前に執着をしてるって噂が回れば、もうお前が導師のために呼ばれることはないだろ。花食みが執着を見せる花生えに手を出せばどうなるか、誰だって知ってるからね」
ぐずりと心臓に棘が刺さったようだった。
出来の悪い部下に説明するように、面倒くさそうにシンクは説明を続ける。
「だから伝令が来た時も花遊びを止めなかったし、食堂でも給餌もどきのこともした。今もこうやって、花食みの独占欲を周囲にも解るように見せつけてるんじゃないか。お前だって解ってたから髪に触ってきたんだと思ったのに、まさか理解してなかったとは……」
またため息をつかれた。
それ以上の理由なんてないと、シンクの言葉が胸の内で溢れたばかりの感情を蹴散らしていく。
つまり、私が勝手に一喜一憂してただけなのか。
シンクの手の力強さとか、舌先の熱とか。意識していたのは私だけだったらしい。
ずきずきと突き刺された心臓が痛んだ。ぽろぽろと涙が溢れ出す。
慌てて手の甲で拭っても、何とか止めようとしてみても、勝手に溢れてきて止まらない。
「……なんで泣く」
「す、みません。いま、止めます」
「止めろって言ってるんじゃなくて……なんで泣きだしたか、聞いてる」
「ごめんなさい」
嗚咽を噛み殺しながら何度も目をこする。子供みたいに泣いて恥ずかしい。
勝手に期待して。勝手に封じ込めて。勝手に喜んで。その上泣き出して。なんて面倒くさい女なのだろう。
ぐずぐずと鼻をすすりながら必死に涙をぬぐう。
解ってた。シンクは自分の感情に頓着しない。どうでもいいからだ。
そんな人が合理的な理由もなしに私に触れる筈がない。優しそうなそぶりを見せる筈がない。
解ってたくせに、勝手に恋心を溢れさせた私がただの馬鹿なんだ。報われないって解ってたくせに、自分の感情をコントロールできない私が愚かなだけだ。
自覚した途端失恋するのも同義なんだから、堪えようと思ってたのに。傷つかないように、蓋をしていたはずなのに。
「ルビア」
「すぐ、止めますから。あの、先に、帰ってて下さい」
「……ルビア」
「ごめんなさい」
嗚咽交じりに謝罪をしても、シンクが立ち上がることはなかった。
けれど私に伸ばされた手にびくりと肩を跳ねさせればそれ以上触れられることはなくて。
「……泣くな」
「ごめん、なさい」
それ以上、何も言えなかった。
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