The only one in this world.(03)
疲労由来の発熱から回復するのに二日かかった。以前のシンクは一週間は寝込んだらしいので、充分早い回復と言えるだろう。
その間の看病はシンクがしてくれた。欠片も心がこもっていない看病であったが、身体を拭いて食事を作ってくれただけで充分だ。
「ヴァンが動けるようになったなら仕事を頼みたいってさ」
「解った。仕事って何を?」
「まずこれ」
私が眠っている間にヴァンと話したらしいシンクが、テーブルの上にどんっと書類の山を置く。
試しに一枚手に取ってみれば何かの帳簿のようだった。
「何これ」
「神託の盾騎士団の書類。各小隊から集められた半期分の出納表だよ」
「それをどうするの?」
「全部確かめ算して計算のミスがないかの確認と、不正をしていないかのチェック。学院で教鞭をとってたって言うなら計算くらい余裕だろ?」
淡々と言われた内容に顔が歪む。確かにできないことはない。むしろ簡単な仕事だろう。
だがこの場合必要なのは能力ではなく根気だ。後は不正を意図的に見逃さないという信頼くらいか。
漏れかけたため息を呑み込み、私とシンクは早速書類の山に向き直った。
この仕事に関してはシンクと二人がかりでも終わらせるまで丸一日かかった、とだけ言っておく。
そこからの日々はヴァンが持ち込む仕事をこなしながらも平和に進んでいた。
仕事のない時はシンクは身体を鍛え、私はヴァンが持ってきてくれた治癒術関連の書籍を読みふけった。
体力を衰えさせないためと食卓を豊かにするためにシンクと一緒に森に入って採取に励むのも、ありふれた日常の一幕になっていた。
「あんたの治癒術は僕等が使うものより優れてるくせに、今の時代の治癒術なんか学んでどうするんだよ。無意味だろ」
「そうでもないよ。範囲型の治癒術は今使われているものの方が譜力効率が優れてるし、応急処置として施すなら今の治癒術の方が俄然効率がいいね。緊急時に傷口を塞ぐだけなら、間違いなく現代のものの方がいい。根本的に治療したいなら昔の方が優れてるけどその分綿密な診察が要るし、必要譜力も増える」
「ふうん」
「それに知識は更新しないと。いつまでも昔の技術に頼るだけじゃ、進歩や進化がなくなっちゃう。より良くしようとする向上心は人間の生活を豊かにするからね」
「僕たちは人間じゃなくてレプリカだろ。所詮道具なんだ。与えられる仕事だけこなせばいい」
「じゃあシンクはレプリカなんだから家になんて住むな、洞穴程度がお似合いだって言われて納得できる?」
「それは……嫌だけど」
「でしょう? 生活を豊かにしたい、という思想は人間もレプリカも一緒だよ」
木の枝から果実をもぎ取るシンクとそんな会話をする。そのまま食べるとすっぱいが、追熟させて食べると甘くて美味しい奴だ。
手に持っている籠に食べられる果実や香草を放り込みながらシンクと話すのは、これが初めてではない。
一緒に暮らしていく内に少しずつ会話も増えていた。まあその口調は出会った頃と変わらない淡々としたものだったが。
シンクはもぎ取った果実をじっと見降ろしながら僅かに目を伏せる。
私達の身体は同じオリジナルのデータを元にしているけれど、そうして憂う顔は綺麗だなと純粋に思った。
「僕達みたいなレプリカを生み出す技術も、そうやって生まれたんだとしたら……やっぱり人間は滅ぶべきなんじゃないの」
「……シンクはそう思う?」
「思う。こんな愚かな命を生産する技術を生み出した奴なんてとっとと死ねばいい」
「そっかぁ」
嫌悪を露わに吐き捨てたシンクの言葉を聞きながら、私もまた別の木から硬い果実をもぎ取った。
私の反応が意外だったのか、シンクは顔を上げて私を見る。
「……怒らないんだ」
「なんで?」
「あんたも身体はともかく、中身は人間側だろ」
「まあそうだね」
「滅べって言われてるのに何飄々としてるのさ。それとも何? 僕達みたいなレプリカが何をしようが人間が滅びる筈がないとでも思ってるの?」
「まさか。人間滅ぶときは滅ぶよ。勿論その瞬間が訪れようとしたら抗うけどね。その原因がレプリカ達の復讐だと仮定して、抗った結果人間が滅ぶならそれが人間の未来なんでしょう」
もぎ取った果実を顔に寄せてくんと匂いを嗅ぐ。途端に感じる甘酸っぱい匂いに良い食べごろのようだと判断して籠の中に入れた。
シンクはそんな私を見て理解できないものでも見たような顔をしている。
その反応にくすりと笑みを零し、果実はこれくらいで充分だろうと判断してシンクに向き直った。
「どうしたの、そんな顔して」
「随分と達観してるなって思っただけさ。創世歴時代の人間ってみんなそうなわけ?」
「どうなんだろうね? ただ私は治癒術専門だから……人の死には、たくさん立ち会ってきた。その分人より割り切った思考をしている自覚はあるよ。人が障気に満ちた世界を捨てて大地を空に打ち上げたように、人間は抗えるだけ抗うでしょう。それでも終わりはいつか訪れる。それだけの話。それにね」
言葉を切り、さくさくと草を踏みしめてシンクに歩み寄る。
顰め面をしているシンクの頬にそっと手を添えれば、緑色の瞳がいぶかしむように歪んだ。
「シンクの思想を、私は否定しようとは思わない。否定する権利もない」
「僕を使うのはアンタで、僕はそれを良しとしてここに居るんだ。都合のいいように思想を誘導しても、誰も咎めない」
「そうかもね。でも私はそんな教育は受けてないの。期待に添えなくてごめんなさいね」
「……前から聞きたかったんだけど、ちょうどいい。アンタ、僕をどう使うつもり?」
「んー……今のところ、一緒に生活をして助けになってくれれば充分かなあ。お互い素性を知った相手と助け合って暮らせるってだいぶ助かってるし」
私の返答にシンクは解りやすくため息をついた。期待外れ、とでも思っているのかもしれない。
だからシンクの顔を覗き込んで、でもシンクがしたいことがあるならちゃんと言ってねと言葉を付け足す。
その返答にシンクはすとんと表情を消すと、皮肉気に唇だけ釣り上げて笑った。
「へえ? じゃあ僕がオリジナルを滅ぼしたいって言ったら?」
「大変そうだけど、計画はあるの?」
「それは……無いけど」
「計画立てたら教えてね」
私の言葉に、シンクは大きなため息をついた。
暢気な奴、とでも思ってるのだろう。間違いなく。
採取を終えて二人で小屋に戻ると、ヴァンが小屋の中で待っていた。
私に頼みがあるという。
「頼み、ですか? なんでしょう?」
「診てほしい人がいる」
「病人ですか?」
「ああ。病魔に蝕まれた身体は、預言でもうすぐ死ぬと言われている。事実、ダアトの医師は匙を投げた。だが病すら癒せる創世歴時代の治癒術の使い手ならばあるいは、と思ったのだ」
なるほど。藁にも縋る思いで、という奴なのだろう。
確実に癒せるとは限らないが、と了承しようとしたら眉根を寄せたシンクが口を挟んできた。
「ヴァン、まさかそいつ」
「察しが良いな。そう、イオン様だ。その身体のオリジナル、と言った方が君には解りやすいか」
ヴァンの言葉にシンクの気配が解りやすく怒気を孕んだ。シンクがオリジナルを嫌いなのだなと察するに余りある態度だ。
同時に刷り込まれた知識を引っ張り出す。確かオリジナルはレプリカと入れ替わって自分の死を隠す計画だったはず。
「診察は構いませんが、万が一生きながらえたとしてオリジナルの処遇はどうするおつもりです?」
「しばらくは私が抱える家で匿うことになるだろうな。回復次第では同志として働いてもらうことになるだろう」
「今まで傅かれ、導師としての生き方しか知らない子供ですよ。それ以外の生き方が出来ますか?」
「……君はイオン様を生かすことに反対なのか? それともシンクのようにオリジナルが憎いか?」
「いいえ。寄る辺のないものに、未来の保証なく命を永らえさせることは本当に幸福なのか? これは学院に通ったもの全てに投げかけてきた問いです。生きることは苦痛を伴う。生き永らえさせるならばその命に責任を持たねばならない。私は多くの治癒術士にそう教えてきました。あの頃は戦火が続いていましたから……」
助けられる術を持ちながら、次の戦地に向かうために譜力を温存しなければならず、命を見捨てたこともままあった。
戦場で命に優先順位を付けた回数は数えきれず、私が治癒術をかけなかったせいで死んだ人間の数はもう覚えていない。
あの頃の治癒術士は、命を救うのと同時に多くの命を見捨てなければならない地位だった。
だからこそ教鞭を取るようになった後は、助けた命の行く末について何度も語って聞かせた。
ヴァンはしばし瞼を伏せた後、ゆっくりと私を見る。
その目に迷いは、ない。
「それでも、治療を頼みたい」
「解りました。確約は出来ませんが、診察しましょう」
頷く私の隣で、シンクが小さく舌打ちを漏らした。
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