The only one in this world.(04)
ヴァンの先導で暗く狭い廊下を歩く。
フード付きのマントを被っているせいで、ただでさえ暗いのに視界が悪い。それでも後ろを歩くシンクの足音は迷いがない。悪路に躓くのは私だけだ。
「ねえ、何度目?」
「ごめん……」
転びかけた私の腕をシンクが掴む。呆れたような言葉に何度目か解らない謝罪を返しつつ、たどり着いたのは教団の隠し部屋だった。
窓のない小さな部屋は空気が篭っていて湿っぽい。病人を置く部屋ではないな、と内心眉をひそめた。
「イオン様、調子はいかがですか?」
「……ヴァンか」
やすりでもかけたように錆びた声はとても弱々しかった。
喉をやられているらしい。嘔吐か喀血か。ヴァンから受け取ったカルテをざっと脳裏に思い浮かべる。恐らく両方だろう。
「埋葬地でも決まった?」
「いえ、治癒術士を呼んでまいりました」
「無駄なことを……」
力のない声は諦観にまみれている。
私はヴァンの背から顔を出すように一歩踏み出すと、ベッドに寝ている子供に歩み寄った。
視線すら寄越さない少年は既に生きることを諦めているようだ。
「すみませんが、布団を捲ってもらっても?」
「ああ」
ヴァンに声をかけ、布団を捲ってもらう。
今にも折れそうなほど細く不健康な手足は露わになる。清潔に保たれているだけ、今まで見てきた患者の中ではまだマシな部類と言えるかもしれない。
フードを取り、譜術を使う。診察の補助に使う、体内の音素の流れを診るものだ。
ぼんやりと浮かび上がる音素の流れは細く頼りなく濁りがあり、彼の余命が幾ばくもないことが見て取れた。
その時点になってようやく興味が出たのか、少年がこちらを見る。シンクとよく似た顔が私の顔を見て僅かに目を見開いた。
「レプリカ……?」
「触りますよ」
骨の浮かぶ手首を取って脈を取り、更に服の上から触診を繰り返す。
「肺をだいぶ侵されてますね……食事や排せつなどの日常の記録はとってますか?」
「少し待て」
「どういうこと。何でレプリカなんかに、医師の真似事なんて」
私の要望を受け、ヴァンが席を外す。
疑問を零し咳き込む少年の胸を優しく押して乱れた音素の流れを整えてやれば、一度血の塊を吐いた。
その後雑音交じりの呼吸音が少しだけまともになって、驚いたように私をまじまじと見る少年に頬が緩む。
「お前は……」
「どのような治療をされていたのか、聞かせてもらっても?」
「……いい、疑問は横に置いておく。僕が受けた治療は投薬がメインだ。症状が出始めたのは一年前で……」
どうやら少年は随分と頭の良い子供らしい。
疑問は尽きぬだろうに、それを脇に置いて淡々と症状の進行と受けた治療について時系列順に語り始めた。
その後も聴力を強化して胸の音を聞き、問診をしたところでヴァンが記録を持って戻ってきた。
それらに目を通した後、この子の病についてのあたりを付ける。
前世ならばもっと音機関を使って精密検査をしたところだが、この時代では無理だろう。
なのでそこでいったん切りをつけ、私はベッドの端に腰かけて少年を見下ろした。
「治療を望みますか?」
「……お前なら、治せるとでも?」
「確率としては五分、といったところです。治療は出来ますが、病が進行しすぎています。私が使いたい薬はこの地では手に入らないでしょうから、治癒術のみでの治療となると貴方の体力が持つかどうか……体力が尽きるのが先か、治療が完了するのが先か。といったところでしょうか。苦痛も伴います。いっそ苦痛だけを取り除いて、残り短い時間を安らかに過ごすことも」
「治せ」
私の提示した選択肢を最後まで聞くことなく、少年は命令した。
睨むようにこちらを見やる少年は僅かな可能性があるならばそれを掴むことに躊躇いはないようだった。
覚悟が出来ているのならば構わないと私も頷く。手を差し出せば、細い指先が私の手を掴む。その手は死にかけの病人とは思えないほど力強い。
「一度では終わりません。貴方の身体の様子を見ながら治療を進めます」
その手を握り返し、これからの治療について説明を始める。こちらを見る目に、既に諦観はない。
私の説明に全て了承した後、早速少年の手を介して音素を送り込む。普通ならまず反発があってここで苦しむのだが、レプリカだからだろうか。少年は平然としていた。
その様子を見て少しずつ治療を開始する。具体的に言うならば、病魔の切除と痛んだ身体の回復を同時に行う。
これがかなり痛む。当然だろう。高速で細胞の破壊と再生を行っているのだから。現に少年も苦痛に顔を歪め、痛いくらいに私の手を握り締めてきた。
「ぐ、ぅ……っ」
呻く少年の額に汗が浮かぶ。
ヴァンが固唾を呑んでこちらを見守っているのを感じながら、それでも淡々と治療を進める。
全体の十分の一程工程を進めたところで、少年の体力の限界を感じてそこで治療の手を止めた。
途端に全力疾走した後のように肩で息をする少年から手を放す。ぐったりとした少年に、今日はここまでにしましょうと声をかけた。
「まだ……平気だ」
「駄目です。これ以上進めては先に体力が尽きます。また来ますから、その間はきちんと睡眠と食事を摂って体力の維持と回復に下さい」
「平気だって言ってる」
「治療して欲しいなら治癒術士の指示に従ってください」
「レプリカのくせに、僕の言うことがきけないの」
「患者なら治癒術士の言うことを聞きなさい」
頑固な少年にぴしゃりと言い渡してベッドから立ち上がる。睨むようにこちらを見る少年を無視してヴァンに帰還を促した。
ヴァンが辞去の言葉を告げる間も背中に突き刺さる視線を感じたが、無視して部屋を出る。扉が閉まったところでお礼の一つもない少年に自然とため息が零れた。
「実際のところ、どうなのだ」
小屋に帰還するまでの道のりで歩きながらヴァンに問われる。
彼に説明した言葉に嘘はないと言えば、ヴァンは一つ深呼吸をした。
「治る見込みは……あるのだな?」
「説明通り、五十パーセントといったところです」
「それでも、ゼロではない……。充分だ。治療の継続を頼みたい。勿論、駄目だったからといって咎めはしない。報酬も払う」
「解りました。引き受けましょう」
微かに震える声で充分だと告げたヴァンが私へと視線を移す頃には、その瞳には硬い意志が宿っているのが見て取れた。
彼にとって導師イオンの生死がどんな意味を持つかは解らない。けれど治癒術士として、治癒できる人間を治癒するのは当たり前のことだ。そのための報酬も払うと言われたのなら否やという理由もない。
頷く私とシンクを小屋まで送り、次の診察の日時を決めてからヴァンは去って行った。
その背中を見送ってからシンクと小屋に入る。被験者の治療を始めてからここまで、シンクはずっと無言だった。
今も言葉を発することなくはぎ取るようにフード付きのマントを脱いでいる。解りやすく苛立った姿に、私はため息を呑み込んで声をかけた。
「シンク」
「なに」
「夕食は私が作るから、それまでで良ければ身体を動かしてくる?」
私の提案にシンクは無言で俯いた。黒手袋のされた手の平がきつく握られているのを視界の端に収めながら、俯いたシンクに歩み寄る。
その頬に触れようと手を伸ばしたところで、逃げるようにシンクがドアの方へと踵を返した。
「そうする」
「いってらっしゃい」
ぶっきらぼうに告げられた言葉に端的に返し、小屋から出て行ったシンクの細く小さな背中を見送る。
けれど私が夕食を作り終えてもシンクは帰ってこなくて、私はあえて待つことなく先に食事を終え、シャワーを浴びてベッドへと潜り込んだ。
かといって眠る気にもなれなかったので、ベッドヘッドに背中を預けながらゆっくりと本を読む。
三分の一ほど読んだところでようやく帰宅したシンクは滝のような汗をかいていて、今の今まで身体を動かし続けていたのだと一目見ただけで解った。
「おかえり」
「……ん」
「シャワーの前に水分補給しなさいね」
「わかってる」
いつも通りを貫く私にシンクは少しだけ居心地が悪そうな顔をしたが、それでも素直に水を飲んで手早く汗を流し、食事を腹に詰め込む。
その間も読書を続けていたのだが、寝支度を終えたシンクがベッドに来たところで栞を挟んで読書を終えた。
「寝る?」
「寝る」
「そう。じゃあ私も寝ようかな」
私の言葉に音素灯を消し、ベッドにもぐりこんでくるシンクと共に布団の隙間に身体を挟みこむ。
いくら私達が子供とはいえ、さして大きいベッドでもないために嫌でも肌は触れ合う。
暗闇の中、お互いの体温を感じながら眠りにつこうとしたところでシンクがぽつりと言葉を零した。
「何も、言わないわけ」
「……何を?」
「僕が苛立ってるの解ってるくせに」
「何か言ってほしかった?」
「……そう、じゃない。でも……」
お互いの顔を見つめ合うように、横向きに寝転びながら囁くような声で話し合う。
きつく枕を握り締めるシンクは睨むような、批難するような、そんな目で私を見た。
「僕は、あいつが嫌いだ」
「うん」
「死ねばいい」
「うん」
「殺してやりたい」
「うん」
「でも、あんたは生かそうとしてる」
「うん。私は治癒術士だからね。生かして欲しいと言われて、生かせる命は生かすよ」
私の言葉にシンクはきつく奥歯を噛み締めていた。多分、シンクなりに葛藤しているのだろう。
シンクは今、生きる理由を私に託している。シンクは自分のために生きることが出来ない。自分を道具だと思ってるから。
だから私のやることを否定できない。どれだけ自分が嫌だろうと、それは道具の分を超えたことだと思っているに違いない。
「シンク」
「……」
「私は、シンクに敬意を表するよ」
「……何、急に」
「その自制心と、どんな理由であれ殺したい命を見逃した……命を生き永らえさせることを選んだシンクに、敬意を」
「……意味わかんない」
「シンクのことをすごいと思ってるって意味だよ」
「言葉の意味くらい知ってるよ。それを僕なんかに言うアンタが意味が解らないって言ってる」
「でもシンクがしていることは、誰にでもできることじゃない。すごいことだよ。ありがとう、私の意思を尊重してくれて。我慢してくれてありがとう」
顔を歪めるシンクに手を伸ばし、逃げようとする身体を抱き寄せる。緑色の頭を胸元へと引き寄せて、その背中をぽんぽんと叩いた。
逃げようと藻掻く身体を抱きしめながらひたすらに背中を叩き続ければ、やがて諦めたらしいシンクが腕の中で丸くなる。
「……預言がなければ、あいつが居なければ、僕は生まれることはなかった」
「うん」
「こんな愚かな生を、この世に受けることもなかった……っ」
「うん」
「あいつを殺したって、その事実は覆らない。そんなこと解ってる」
「うん」
「それでも……殺してやりたい……っ!」
絞り出すように告げられた言葉にシンクを抱きしめる腕に力を込めた。
生かすことを仕事にしていた私は、その言葉を肯定することが出来ない。
私にできるのはシンクに寄り添ってやることだけだ。
「それでも、私はシンクに会えてよかった」
私の言葉にシンクの身体がびくんと跳ねた。シンクが何を思ったかは解らない。
けれどシンクの手が私の背中に回され、骨が軋むような抱擁を受ける。
多分これはシンクなりの攻撃なのだろうなと思いながら、私は痛む身体をそのままに抱擁を受け入れる。
「殺してやりたい」
言葉を返してやれない私は、ただ黙ってシンクの身体を抱きしめた。
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