The only one in this world.02(11)
「呼吸、脈拍、体温、音素回路、共に正常。血液検査の結果も数値も見る限り正常の範囲内に収まっています。血中音素の少なさが少し気になりますが、健康的な生活を心がければ徐々に回復していくでしょう。今までよく頑張りましたね。もう、大丈夫ですよ」
私の言葉にイオンがゆるゆると目を見開く。
自分の手を見下ろし、掌を何度も握っては繰り返した後、のろのろと顔を上げた。
「治療、終わったの?」
「ええ。とはいえ体力も筋力も落ちています。これからリハビリが必要です。ですが、もう病気に怯える必要はありませんよ。貴方は間違いなく、病に打ち勝ちました」
ひぐ、とイオンの喉が鳴る。
嗚咽を呑み込み、滲みだした涙を乱暴に拭う細い手首。それでもぼろぼろと溢れ出す涙をぬぐう姿に、私はハンカチを取り出して差し出した。
ひったくるようにハンカチを受け取って目元を押さえ、鼻をすすりながらイオンは声を押し殺して泣いている。
身体を折りたたむようにして泣き続けるイオンを眺めながら、私はもう一度本当によく頑張りましたと声をかけた。
導師守護役の仕事と並行しながら継続していたイオンの治療。
前回の訪問で治癒の工程は全て終えていたのだが、今日の診療と検査で予後の安定を確認し、間違いなく完治したことを伝えた。
苦痛を伴う治療を見事耐えきってみせたイオンの精神の強さは、正しく称賛に値する。
だからこそ、一気に力が抜けたのだろう。もう終わったのだと、そう理解して。
丸まったイオンの背中を無言で撫でる。しばらく撫で続けた後、嗚咽を漏らしながら顔を上げたイオンの目元は真っ赤に腫れあがっていた。
「ごめん、みっともないところを見せた。ありがとう。本当に、ありがとう。まさか生きられるなんて、本当に預言に抗えるなんて……たぶん、僕は心のどこかで信じ切れてなかった。どうせ失敗して死ぬんだろうって……思ってたんだ。君はずっと真摯に僕を治そうとしてくれていたのに」
「確かに治療したのは私ですが、生きたいと願い苦痛に耐えぬいたのは間違いなくイオンの強さですよ。途中諦めて穏やかな死を願うことも出来たのに、貴方はそうしなかった。イオンはそれを誇るべきです」
「でも、ありがとう。君が居なきゃ、僕は預言通りに死んでいた」
鼻をすすりながら両手で私の手を握り、そっと自分の額に当てる。
イオンなりの最大の感謝を示す方法だと解って、私は素直にそれを受け入れた。
「イオン様」
背後で私達のやり取りを見ていたうちの一人、ヴァンが歩み寄ってくる。
顔を上げたイオンの前で膝をついて視線の高さを合わせると、その細い肩にヴァンの掌が乗せられた。
「よく頑張りました」
「うん。ヴァンも、ありがとう。お前がルビアを連れてきてくれたおかげだよ」
晴れやかに笑うイオンに、ヴァンもまた笑みを見せる。
一通りイオンの完治を喜び合いったところで、もう一度目元を拭ったイオンががらりと空気を変え、真剣な顔でこう言った。
「これからの話をしたい」
その言葉に、緩やかだった空気がピンと張り詰める。長い話になるだろうと、背後で無言を貫いていたもう一人、シンクも含めて全員が腰を下ろした。
そこから話し合ったのは、イオンの今後の予定をメインに計画をどう実行していくか、という内容だった。
イオンが完治ししたため、計画はいずれイオンが導師に戻ることを前提に、新しい惑星預言を詠んで貰う方向で舵を切ることになる。
とはいえ人類の存続を願う以上、早々に人類が滅んでしまう未来は選べない。望んだ惑星預言を手繰り寄せるためにも一度や二度で済まない可能性は高い。
なのでまずはイオンは部屋を移り、体力の回復に努めることになるだろう。惑星預言を詠んで貰うのはその後だ。
治癒術士としても惑星預言を詠むならば万全の状態で挑んでほしい。ユリアと同等の預言を詠む能力を有しているとしても、惑星預言を詠むとなれば身体への負担は大きい筈だから。
続けてアルペジオについても話す。
私とヴァンに懐いてはいるが、今計画に引き込むのは時期尚早だ。もう少し導師の仕事に慣れさせ、地盤固めをさせたい。
最終的には預言とは一つの未来ではないと提唱する改革派の筆頭として立ってもらうことになるのだ。円滑な人間関係の構築を優先するのは計画のための下積みでもある。
同志となった後、アルペジオがイオンと邂逅した時の精神状態が心配ではあるが、そこは私が補佐するべきだろう。
体力が回復した後も、アルペジオとイオンの接触は可能な限り遅くするべきかもしれない。
それまで神託の盾は死の預言を詠まれた人たちを密かに救うことに専念する。
後に満を持して登場したイオンの命令だった、と言えるように実績を積み重ねておく。
これに関しては既にリグレットが動き始めてくれているらしく、第一師団師団長のラルゴも準備をしているとヴァンが教えてくれた。
同時にヴァンはその間にマルクトともパイプを作りたいと考えているようだった。
現皇帝であるピオニー陛下は預言に対し懐疑的であるらしく、味方に付ければ頼もしいだろうとも考えているらしい。
仲間を増やして大所帯になればその分抱えるものも増えるが、それでもヴァンは今世では可能な限り敵を作らない方向でいきたいと言う。
「可能ならファブレ家もこちらに引き込みたい、と考えている」
「息子を預言に売り渡した男を引き込もうって?」
「ファブレ公爵とは幾度も顔を合わせていますが、引き込める可能性は高いと見ています。例え公爵自身は無理でも、公爵夫人を抑えることは出来るでしょう。今は夫を立てて表舞台に立つことは滅多にありませんが、それでも王妹にして純血のランバルディア王家の人間を引き込む意味は大きい」
「それは理解できるけど……まあいい。どうせ僕は動けないんだ。お前に任せる。無策で言い出す男じゃないってことくらい僕も解ってるからね。勝算があるんだろ?」
イオンの言葉にヴァンが勝気に笑った。なのでキムラスカ方面はヴァンに任せ、私達はダアトに集中することにする。
マルクトはディストに伝手があるらしい。また機会を作って顔合わせをさせてくれるとのことで、時間を作っておくと答えておく。
そこまで話したところで、イオンがシンクを見た。ひたりと視線を向けられた途端、シンクの雰囲気が少しだけ硬くなったのを感じた。
イオンは今までシンクと言葉を交わしたことはない。シンクも私についてくることはあっても、イオンに何か言うことはなかった。
二人の視線が絡み合ったのはこれが初めてかもしれないと気付いて、間に挟まれる形で座っている私までなんとなく背筋を伸ばしてしまう。
「最後に……お前は僕のレプリカだね? ヴァンが拾って来たっていう」
「……そうだけど、何」
「ヴァンにレプリカの作成を提案された時は、所詮紛い物だろうと思ってたけど……」
そこで言葉を切ってシンクをまじまじと見たかと思うと、イオンは肩を揺らして笑い始めた。
そして私に視線を移してじっくりと眺めた後、にこりと笑顔を浮かべる。
「ちっとも僕に似てないじゃないか。ガワだけ似せた別人だ。僕はもっと可愛げがあるし、取り繕うことだって知ってる」
「アンタに可愛いだなんて思われたかないね」
「ふふ。きっとアルペジオもそうなんだろうね。ルビアなんて性別からして違う上に、前世の記憶まである。ヴァン、お前はレプリカは被験者の生まれ変わり足りえると言っていたけれど、全然違うじゃないか。僕に嘘をついたの?」
「まさか。私も驚いているのですよ。同じレプリカでもこうも違うのかと」
「ふうん。まあそういうことにしておいてあげる。改めて、これからよろしくシンク。お前は僕が嫌いだろうけど、僕はお前が嫌いじゃないよ。今のところはね。これから同志になるんだ。仲良くしようじゃないか」
そう言ってイオンが右手を差し出すものの、シンクは鼻を一つ鳴らしただけで握手に応えることはなかった。
しかしイオンは気分を害した様子はなく、またくすくすと笑っている。シンクの反応すら楽しいと言うように。
まるで新しい玩具を見つけた子供のようだと思いながら、イオンの体調もあるからと話はそこで終わった。
イオンが少し動けるようになったら引っ越しの準備をしなければならない。今日から少しずつ体力づくりに励むつもりだとイオンは言った。
「完治はしましたが、また適宜体調を診にきますよ」
「うん、お願い」
アフターケアの約束をして、私達はイオンの部屋を後にした。
といっても解散はしない。続けて三人で向かったのは私とシンクの家だ。
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