終わりは聖女の形をしている。(一)



 青々と密集した木々の葉の隙間から零れ落ちる陽光は柔らかく、頬を撫でる風は穏やかで、空気は湿気を孕み濃い草木の匂いが満ちている。
 お陰でレムの向きを把握しづらく、匂いでの探索を邪魔される。鬱陶しいことこの上ない。

 ヴァンから掃除の仕事が回ってきたのは久々のことだった。
 第五師団の仕事に参謀総長として情報管理や作戦立案など、ボクにふられている仕事は多岐に渡る。
 言われた仕事はこなすだけだと、デスクに積まれた書類を切り崩すだけの単調な日々を続けていた。

 そこに追加で言い渡された仕事は本来ならば特務師団あたりに投げればいいものだ。アイツらにもアッシュのお守以外の仕事もさせてやればいい。
 そう思ったが、まあ要は腕をなまらせるなという意味なのだろう。そう解釈して、久方ぶりに書類の塔を切り崩す以外の仕事に従事した。

 実際、やってみて良かったと思う。日常的に筋肉が衰えないようトレーニングはしているが、今回の仕事で少しばかり鈍っているのを実感してしまった。
 さっさと死ねばいいものを、生き汚いターゲットが森の中に逃げ込んだせいで、長らく追いかけっこする羽目になった。
 まあ、もう息はしていないけれど。

 問題は的当ての訓練も兼ねて少し遊びすぎたせいで、現在地が解らなくなってしまったことだ。
 最悪木に登って上から探ればローレライ教団の本部が見えるだろうが、それをすると鳥型の魔物に狙われる可能性が高くなる。
 魔物は殺せばいいだけだが、その中にアリエッタのオトモダチが紛れていたら後々面倒くさい。
 仕方なしに来た道を戻ってみるも、見覚えのある風景は見当たらない。

「……迷ったか」

 ため息交じりに零した言葉に返答したのは、頬を撫でる生温く湿った風だけだった。
 気持ち悪い。

 とはいえ、手掛かりが全くないわけではない。
 ターゲットを追っていた痕跡を辿って帰還すればいいだけだ。目を凝らして探す必要があるために面倒くさくはあるものの、神託の盾に入団する際にその手の訓練は受けている。
 僅かに残った足跡を探し、投げたナイフの刺さった穴を見逃すことなくたどれば、問題なく教団に辿り着くだろう。

 ぱらぱらと雨音がし始めたことに舌打ちを漏らしたものの、幸いなことに密集した木の葉が雨よけになってくれる。
 さっさと帰って仕事を片付けなければ。そう思っていたのに、どんどん雨脚が強くなるものだから仕方なしに雨宿りをすることに決めた。
 軍服に撥水加工はされているものの、このまま雨に打たれて身体を冷やし体調を崩した方がスケジュール調整が面倒だと判断したからだった。

 幸いなことに雨宿りに良さそうな大木を見つけたので、帰還ルート確保のための痕跡に目印を付けてそちらに向かう。
 大木の密集した木の葉は全ての水滴を防いではくれないが、それでも雨を弱めはしてくれる。
 幸い周囲に魔物の気配もない。小休憩も兼ねて少し腰を下ろそうと濡れていない場所を探せば、妙なものがあった。大木の根に埋もれるようにして聖壇があったのだ。

 聖壇、という言い方も正しいのか解らない。
 正確に言うならば、自分の胸ほどの高さしかない、一人入ればいっぱいいっぱいになりそうな窮屈そうなガゼボもどきの真ん中に、腰ほどの高さの厚い石板が祀られている。
 その大半は大木に呑み込まれるようにして埋まってしまっているために全容は解らないが、それは教団では見慣れないものだった。

「……ローレライ教団のものか?」

 石造りゆえ壊れてこそいないが、表面は風雨に削られているし屋根の端っこは欠けている。
 石小屋の中に置かれた石板は腰ほどの高さしかなく、目を凝らせば表面に何かしら刻まれているのが見えるが、それが何かは解らない。
 表面の砂を払そうと手を伸ばせば、僅かに石板がぐらつく感覚があった。

「?」

 どういうことかと床との接地面を見ても、石板はしっかりと固定されている。ではこの感覚は何だ。
 詳しく調べてみて見つけたのは石板の固定された台座、それを抑えるための壊れかけの留め具だった。
 随分と古い上に風雨に晒されすぎたせいか脆くなっている。鍵はかかってはいたがここまで脆くなっていれば無いも同然だろうとさっさと壊す。
 そして台座ごと石板を押してみれば、思っていたよりもあっさりと石板は奥へとスライドした。
 そこに現れたのは、地下へと続く階段。

「……地下通路」

 見つけたものを確かめるように呟いた後、腰のポーチからペン型の音素灯と取り出す。家の中を照らすタイプのものよりも光が弱く持続時間が短いが、持ち運びができる探索用のものだ。
 それを顔の横に掲げてスイッチを入れれば、音もなく先端から光が溢れ出し暗い階段を照らす。
 階段が設けられた穿孔は深く、ちゃちな光ではその先に何が待っているか解らない。しかし階段自体は思っていたよりもしっかりと残っている。

 少し迷った末に、入ってみることにした。
 教団に繋がる道の可能性もある。そうでなくとも、潜伏先となりえるのならば確保しておくに越したことはない。
 過激な改革派の奴等のアジトになっている可能性もある。調べられるなら、調べておいた方が良いだろう。そう判断した。

 灯りで足元を照らしながら慎重に階段を降りていく。幸い人がすれ違うことが出来る程度の幅はあったし、分岐点もない。傾斜も緩やかだ。
 蓋をされていたせいか、荒れている様子もない。もしかしたらあれは封印だったのかもしれない。
 妙な匂いがしたり息がしづらくなったら即座に退避すべきだが、その気配もない。

 そうして警戒しながらゆっくりと降りていったところで、待っていたのは場違いなほど鮮やかな扉だった。
 否、これを扉と形容するのはいささか語弊があるだろう。

「……ダアト式封咒が、なんでここに」

 流石に予想外が過ぎた。
 聖堂のステンドグラスを連想させる封印は、本来ならばセフィロトにのみ施されている筈の特殊な封咒だ。
 しかし自分が刷り込まれた知識のものとはいささか相違点がある。
 跳ねる心臓を宥め、じっくりと封咒を検分する。解ったのは、この封咒がセフィロトに設置されているものよりも簡易なものである、ということだった。

 恐らく、自分でも開けられる。
 だがこんなもの、刷り込みにもなかった。

「刷り込みにないだけか、あるいは導師が口頭で伝えていたものがどこかで失伝したか。禁書の棚を漁れば何か解る可能性はあるけど……」

 考えてみるが、判断材料が少なすぎる。答えは出ない。
 だが設置された封咒の甘さから考えても、セフィロトよりも重要なものは出てこないだろう。
 ヴァンにこれを報告したとして、恐らく解咒は自分に命じられる可能性が高い。なら今自分が解咒したところで同じ。

 そう結論付け、自分のコンディションを再確認する。
 この失敗作の身体は、ダアト式譜術を使うように出来ていない。しかし劣化品の封咒を解く程度なら、帰還のための体力まで削られることもないだろう。例え想定以上に消耗したとしてもグミの類も充分にある。
 問題ない。そう判断してペン型の音素灯を口に咥えて両手を伸ばす。想定通り、多大な疲労感と引き換えに封咒は音もなく掻き消えた。

「ふー……」

 乱れかけた呼吸を長く息を吐くことで誤魔化す。
 額に浮かんだ汗を雑に拭いとり、咥えていたペン型音素灯を持ち直し、再度自分のコンディションを確認する。
 派手な戦闘は避けたいが、探索程度ならば可能。掌を何度か開閉してそう結論付けたところで、封印されていた空間へ足を踏み入れた。

 そこは奇妙な造りをしていた。触れてみた壁は石やレンガではなく、しかし鉄や鋼にも見えない。
 継ぎ目もなくつるりとした手触りは、磨き抜かれた金属に似ている。そしてかろうじて道を照らす程度の僅かな光が、壁の足元にぽつりぽつりと点灯していた。

 道は一本道。途中扉が並んではいたが、開かないなら無いも同じ。耳に痛いほどの静寂が、扉の向こうには誰も生きていないのだと教えてくれる。
 地上と違って空気は清浄で、籠っていた空間特有の匂いもない。通路に埃が積もっている様子もない。まるでつい先日まで誰かが使っていたような清潔さ。
 しかし入り口に施されていた封咒がそれを否定している。まあ他の出入り口があって現在も誰かが使用している可能性もあるけれど……その可能性は限りなく低いだろう、と直感させるだけの静謐がここにはあった。

 たどり着いた先は一瞬ただの壁かと思ったが、近づいた途端に空気の抜ける音と共に横にスライドして壁が消える。
 慌てて後ろに跳びのいたものの中から何か出てくることもなく、それどころかスライドした壁が元に戻って静寂を保つ。
 もう一度近づけばまた壁がスライドして、恐らく創世歴時代の扉はこういう仕様だったのだろう、と納得した。
 自分でドアを開閉する手間すら惜しんでいたとは、創世歴時代の人間というのはそれほどに怠惰だったのだろうか。

 足を踏み入れた先は、やはり壁の足元に淡い光が点々と灯っていた。部屋全体を照らすほどの光量はないが、足元が見えず蹴躓くことはなさそうだ。
 それよりも気になるのは壁際にある別の光だ。音譜盤を読み取るような、大型の音機関に設置されているディスプレイに似ているように見える。
 警戒しながら近づくと、ディスプレイに書かれている文字が見えた。そこに書かれているのは当然のように古代イスパニア語で。
 それを読み解く前に、微かな異音と共にディスプレイの光量が強いものとなった。

 咄嗟に腕で視界を覆って周囲を警戒する。
 数度のノイズ。ディスプレイを見れば、そこには音叉のマークが表示されていた。

『……初めまして、遠い未来に生きる方』
「喋った!?」
『ええ。私はサザンクロス博士によって作成された人工知能『OSSAJ049』。与えられた個体識別名称はルビア・ジュエ。貴方のお名前を伺っても?』

 ジュエ。
 ユリアの縁者か。


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