蓮の花は密やかに咲く(Ⅺ)



「いやあ、助かりました。最近の新兵はどうも根性がなくて」
「年寄臭いこと言わないでくれる?」
「実際私ももう年寄りですよ。しかし新婚なのに面倒な仕事を頼んですみません」
「別にいいよ。色々と物入りなのは確かだしね。で、その年寄りはいつになったら結婚するのさ」
「死霊使いと結婚したがる女性なんて居ませんよ。最近嫌味がルビアに似てきましたか?」
「僕は良い師匠を持ったってことだよね。最近あんたがいつ身を固めるのか知らないかって聞かれるんだよ。陛下に」
「……後で叱っておきます」

 大佐とガイが去ってから一月も経たない内に、ルビアと僕はグランコクマに居を移した。
 村の人達は山を去る僕らに涙ぐみながら、向こうでも元気でと見送ってくれた。
 短いようで長い滞在だったあの村は、きっと故郷と呼ぶに相応しい場所なんだろう。

 グランコクマに着いてから大佐に連絡を取ってみれば、どうやらカーティス大佐はヴァン討伐の功績も相まってとっくの昔に中将になっていたらしい。
 結婚するから家と仕事を紹介して欲しいと言えばきょとんとした後、笑顔でおめでとうございますと言って家と仕事を紹介してくれた。

 以前聞いていた通り、僕らの技術というものは十二分に価値のあるものだったらしい。
 市民向けのルビアの護身術講座は盛況で、軍人を目指す子供向けの道場もそれなりに賑わっている。
 僕も最初はそこで働いていたのだが、最近はカーティス中将から頼まれてマルクト軍の新兵の相手をすることが多い。
 基本的な組手の相手や近場に野営に出た時の指導。あとは文字通りサバイバル技術を叩き込む役だ。
 ……あの山奥では普通だった生活が本当にサバイバル扱いされるのは、やっぱり少し納得いかなかったが。

 ただ間違いなく依怙贔屓で斡旋されたであろう仕事でも、軍からの正式な依頼である以上報酬は美味しい。
 音素の減少に歯止めがかけられない以上、ルビアは早めに出産したいと言っている。年齢のこともあるが出産時に治癒術が使えるか否かで出産時の危険性がぐっと変わるからだ。
 幸いルビアにも貯金はあるが、僕も仕事を積極的に引き受けてその日に備えている。
 ルビアのお腹の中に新しい命が宿るまでに、貯めれるだけ金を貯めておかねばならない。

 カーティス中将に新人の野営訓練の報告書を放り投げ、軍部を出て帰路に就く。
 あの日言われた通り、僕が素顔で歩いてもグランコクマの人々は特に気に留めることは殆どない。
 時折教団員らしき人間に導師の関係者かと声をかけられることはあるが、親から親戚だと聞いていると言えば大抵は引っ込む。
 導師に選ばれた人間は大抵産まれた直後に教団に引き取られるらしいから、親戚とはいえ導師自身と交流がなくても不審がられることもない。
 山奥の静かな生活とは違って随分と騒がしいが、それでも僕の日常は平和そのものだ。

「ただいま」

 帰宅の声を上げながら家に足を踏み入れれば、どうやらルビアは出かけているようだった。
 予定の書かれたカレンダーを見ても今日は仕事は休みだ。買い物にでも出ているのかもしれない。
 野営訓練のために数日空けていたので荷解きをし、シャワーを浴びて汚れを落とす。
 さっぱりした後もまだ帰ってこないから、夕食でも作っておこうとキッチンに立つ。

「……遅いな」

 けど夕食を作り終えても、ルビアは帰ってこなかった。
 万が一ということは考えていない。例え暴漢に会ったとしても、返り討ちにできると知っているからだ。
 むしろ暴漢の無事を確認しなければならない程度にはルビアは強い。
 そうと解っていてもレムが落ちても帰ってこないことに心配は募る。

 ……探しに行こうか。
 道場の方まで行けば、どこに行ったのか解るかもしれない。

 そう思って席を立った時、ただいまぁと暢気な声と共にドアが開いたことにホッと息を吐いた。
 食材が入っているらしい紙袋を片手に帰宅したルビアに争った形跡はなく、やはり杞憂だったかと胸を撫でおろす。

「お帰り。遅かったね」
「シンクもお帰り。ちょっとね、病院行ってたの」
「体調でも崩したわけ? グランコクマは冷えるんだから夜はあったかくしろってあれほど」
「違う違う。ちゃんと話聞いてよ」
「なにさ」

 ルビアから紙袋を受け取りながらお腹を出して寝ていた姿を思い出し、思わず苦言が漏れる。
 けれど苦笑するルビアはちょいちょいと指で僕にしゃがむように指示すると、背伸びをして内緒話をするように両手を僕の耳元に当てた。

「シンクがお父さんになったよって話」

 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
 持っていた紙袋を落としてしまい、ルビアがそれを受け止める。
 ゆっくりとルビアの方を見れば、へらへらと笑っているルビアが居た。

「……ほんと?」
「ほんと! 早くシンクに伝えたかったんだけどねえ、病院を出るところを生徒の人達に見られちゃって、随分引き止められちゃった。遅くなってごめんねぇ」

 まだうまく動けない僕の首に腕を回して抱き着いてくるルビアが暢気な声で言う。
 僕は震える手を伸ばして、その小さな体をそっと抱きしめた。

「……ありがとう」
「ふふ、何のお礼かにゃぁ?」
「僕に、家族をくれて」
「これから増えるんだよ。大事にしてね」
「するよ、する。色々教える。君が、僕に教えてくれたみたいに」

 力いっぱい抱きしめたら、お腹の子も苦しいのだろうか。
 そう思うとどうしても力が入れられなくて、やわい身体をいつもみたいに抱きしめてやることが出来ない。
 内から溢れる感情に振り回されそうになるのを必死にこらえながら、そっとルビアと唇を重ねる。

「仕事、これからはセーブしてよね」
「それはもちろん。格闘技してるって先生も知ってたからさ、いつもの癖で動き回らないようにって念を押されちゃった」
「ほんとだよ。心配するこっちの身にもなって」
「相手じゃなくて私を心配してくれるんだ?」
「当たり前だろ。でもそれはそれとして君に挑む馬鹿の命も心配してる」
「んははは! 手加減してるから問題ないって!」
「君、手加減なんて概念知ってたの?」
「わお! 私の旦那様超辛辣!」

 ケラケラ笑うルビアにため息をつき、改めて紙袋を受け取ってキッチンに向かう。
 道中買って来たであろう食材をしまいながら、ついてきていたらしいルビアがはにかみながら聞いてきた。

「ねえシンク、今幸せ?」

 ──今は、幸せですか?
 ──どうか、幸せに。

 いつか聞いた言葉が頭でリフレインした。
 晴れやかな笑顔が脳裏をかすめる。

 思えば、僕はあの質問に答えてなどいなかった。
 だからというわけではないが、あの時ははっきりと言えなかった言葉を口にする。

「そうじゃなきゃ君といないよ」
「んふふ、私もだよ」

 抱き着いてくる小さな体を受け止めながら頬を緩める。僕に未来をくれた小さな体は、今や僕の腕にすっぽりと収まっている。
 何も持っていなかった僕にいろんなものを詰め込んだ人だ。そうして詰め込まれたものを、僕は新たに誰かに引き継いでいかねばならない。

 けどどれだけ貰ったものを他人に与えようと、この胸の内が空っぽになることはないのだろう。
 隙間ができる余裕なんてないくらい、いろんなもので溢れているに違いない。
 この小さな体が、僕の腕の中に収まっている限り。




蓮の花は密やかに咲く


 泥の中に沈まなかったシンクの話。


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