ガーデンフール03(15)


 ルビアです、ただいま戻りました。と声をかけながら執務室のドアをノックする。
 しかし返事がない。さて、シンクは執務室に居る筈なのだけれど、火急の要件でも入ったのだろうか。
 疑問を覚えながら試しにドアノブを捻ってみれば、鍵がかかっていないドアはあっさりと開いた。
 中を覗き込めば、シンクがいつものデスクで腕を組んで黙りこくっているのが見える。 

 何故室内に居たのに返事をしてくれなかったのだろう。
 各部署から書類を集めるために席を外していたのだが、その間に何か面倒な書類でも届けられて考え込んでいるとか……?
 執務室に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める。私もまた書類の束を片手にデスクに歩み寄り、師団長と声をかけようとして、ようやく気付いた。

「……寝てる」

 微か聞こえるすぅすぅという呼吸音。
 シンクほどの実力者がこんなに近寄っても起きないなんて、余程疲れているのか。はたまた気を許されているのか。
 後者だと良いなあと思いながら極力音を立てないように書類をデスクに置く。
 そして席に着くことなく、なんとなくシンクの顔をまじまじと見た。普段なら怒られるところではあるが、シンクも寝てるのだからお相子だろう。

 私は、シンクの顔を知らない。ヤドリギになってなお、シンクの素顔を見たことがない。
 見てみたいな、とは思う。きっと見せてくれたら嬉しいだろう。けれど仮面を奪ってまで見たいとも思わない。
 これだけ一緒に居るのだ。シンクが自分の素顔が嫌いなことは流石に気付いていた。大きな傷とかあるのかもしれない。

 そんなことを考えながら恐る恐る近づいて、ブランケットでも持ってきた方が良いだろうかと考える。
 こんなに起きないのだ。きっと疲れているのだろう。第五師団の仕事に参謀総長の仕事。シンクの仕事は多い。
 十四歳が抱えるには責任重大すぎるものが数多とあることを、補佐として働くようになって知った。

 仕事はたまるかもしれないが、寝かせてあげよう。
 そう思って何かかけるものがないか室内を見渡した時、かくんとシンクの頭が前に傾いた。
 仮面がぐらつく。普段強固なほどにシンクの目元を覆っている金色の仮面が、あっさりと落ちる。

 あ。と思った時には手を伸ばしていた。同時に目をぎゅっと握る。顔は、見てはいけない。
 落ちる仮面を受け止めるために伸ばした筈の掌には、何も振ってこなかった。
 代わりにカランと仮面がテーブルを打つ音がして、自分の目測がずれていたことに気付く。なんとも情けないことである。

 床に落ちていないだろうか。
 そうだとしたら、せめてデスクの上に置いておいてあげたい。

 ぎゅっと目を閉じたまま手探りでデスクを探ってみる。
 しかし私の指先に触れたのは固く冷たい仮面の感触ではなく、私の手を握るシンクの指先だった。
 
「何してんの」
「あ、師団長。おはようございます……?」
「何してるのかって聞いてるんだけど?」
「師団長の仮面が落ちそうだったので手を出したんですけど、受け止め損ねて探しているところです」
「目を瞑って?」
「師団長、顔見られるの嫌でしょう?」
「……そーだね。それでわざわざ目を瞑ったまま僕に近寄ってきたわけ?」
「いえ。近くには居たんですけど、師団長の仮面が外れそうになった時に咄嗟に目を閉じて」
「仮面を受け止めようと手を伸ばして失敗した?」
「はい」

 ぎゅう、とシンクが私の手を握った。骨ばっていて、それでいて力強い。男の子の手だ。
 けれど手はすぐに離れて行ってしまって、それが少しだけ寂しく感じた。

「……目開けな」
「良いんですか?」
「もう仮面をつけたからね」

 一瞬素顔が見れるのか期待したが、どうやら既に仮面をつけおえたらしい。
 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、仮面をつけた見慣れたシンクの顔がそこにあった。
 座ったままのシンクを、立った姿勢で見下ろす。いつも通り、口はむすっとしている。

「ルビア」
「はい」
「……僕の顔、見ようと思わなかったの?」

 その声音は、以前のように顔を見たか詰問するようなものではない。声のトーンだけで判断するなら、ただの確認のようだった。
 けれどその中に戸惑いのようなものも感じ取れて、こちらもどう答えたものかと少しだけ頭を捻る。

「えっと……師団長が自主的に見せてくれるなら、見たいなあとは思います。でも師団長の意思に反してまで見たいとは思いません」
「なんで?」
「なんで、って。そうですね……師団長に嫌われたくないですし、師団長の嫌なことはしたくないと思うので??」
「前も思ったけど、お前は妙なことばかり気にするな……」
「え、妙なことってなんですか?」
「僕の感情とか」
「大事なことでしょう」
「どこが。捨て置けばいい。僕自身がそうしてるんだ。お前が同じことをしても何の問題もない」

 至極当然のように言われた言葉に、今度は私がむすっとする番だった。
 勿論私は口だけではなく顔全体が丸見えなので、私の感情はシンクにも丸わかりだ。

 何でそんな簡単に言えるんだろう。
 何でそんな簡単に扱えるんだろう。
 もっと自分を大切にしてほしいのに。

「どうして師団長ってそこまで自分を蔑ろにするんですか?」
「決まってるだろ。どうでもいいからだよ」
「やめてください」
「は?」
「私が尊重している人を、そんな風にないがしろにするの。やめて下さいって言ってます」
「は……」

 湧き上がる感情のままに言い募れば、珍しくシンクは口を半端に開けて言葉を失っていた。
 その姿に言葉が過ぎたことに気付いて、慌てて自分の口を塞ぐ。
 余りにも我が儘、というか自分の感情を押し付けすぎている。私達はただのヤドリギでしかないというのに。

「す、すみません。口が過ぎました。忘れて下さい」
「お前は……本当に変な奴だな。意味が解らない。前も思ったけど、何でそこまで僕を気にかける? 確かに僕等はヤドリギだけど、プートニエールでもあるまいに。相利共生の相手にそこまで気遣う必要ないだろ」
「……そんなに、駄目ですか。師団長のこと大切にしたいって思うのは」
「理解ができないって言ってるんだよ。僕にそんな価値はない。ああ、それとも花生えの本能か何か?」

 どこまでも好意が伝わらないことに下唇を噛む。
 いや。もしかしたら私がシンクのことを大切にしたいと思うのは、シンクの言う通り花生えの本能でしかないのかもしれない。
 拳を握り締め、ぐるぐると渦巻く胸の内の不快さに俯く。
 この感情が花体質特有の本能からくるものなのか、それとも私自身の感情から来るものなのかなんて私自身にも解らない。
 けれど。

「本能だとしたら、師団長は自分のことを大切にしてくれますか?」
「……今度は何」
「花生えから自分を大切にしてほしいと言われたら。花食みである師団長は、自分を大切にしてくれますか?」

 口に出した声は、自分でも思っていた以上に湿っぽいものだった。まるで縋りつくような声は、聞こえようによってはとても無様だ。
 けれど師団長は私をあざ笑うことなく、顎に手を当てて考え込む。真剣に検討してもらえるとは思っていなかったので、少しだけ面食らった。

「……確かに、花生えにとって花食みが居るか居ないかの差は大きい。そういう意味でも花食みに好意を抱いて関係の継続と生存を願うようになるのは合理的と言える」

 そうじゃないんですけど、という言葉は何とか呑み込んだ。
 どんな理由であれ、師団長に自分を大切にしてほしい、という私の主張が届いたのは間違いないからだ。
 だから今度こそ肯定的な言葉が返ってくることを期待したのだが、ふるふると首を振ったシンクに私の期待はまたもや裏切られてしまう。

「とはいえ、僕等は軍人だ。いつ死ぬか解らない危険な仕事だからこその高給・好待遇だ。お前の要望は受け入れられない。いざという時は命を賭して戦うのは僕等の仕事だ」
「はい……」

 ごもっともであった。
 しょんぼりと肩を落とす私にシンクはため息をつく。まるで駄々をこねる子供を見て呆れているようなため息だった。
 我が儘を言うものではない、と暗に窘められているような気分になる。

「……けど、お前の気持ちは理解した」
「え?」
「僕は僕自身を大切にできない。しようとも思わない。そんな価値があると思ってないからね。けどお前はそうじゃない。そう言いたいんだろ?」
「は、はい」
「なら勝手にすればいい。僕はお前に指示を出して行動を制限できる立場だけど、それでも……お前の、ルビアの全てを制御化に置いている訳じゃない。ルビアが自分の感情でどう動こうが、仕事に影響が出ないなら僕は咎めない」

 大変まどろっこしい言葉の羅列の意味を咀嚼するのに、少しばかり時間がかかった。
 ぽかんとしてしまった私にシンクが仕事に戻れと言うので慌てて自分のデスクに向かう。
 椅子に腰かけて、書類に向かって、ペンを持ったところでようやくシンクの言葉を理解して。

「師団長」
「何」
「私が師団長を大切にするのは好きにしろってことで良いですか?」
「仕事に影響が出ないなら咎めないって言っただろ。口じゃなくて手動かしな」
「はい!」

 シンクの遠回しな「勝手にしろ」という言葉に、私は遅まきながら笑顔で返事をした。


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