信用の代価(@)


 ジェイド・カーティスは胸の内に熱く冷えた闘志を抱えてバチカルへと赴いていた。
 民を想う親友兼主君の憂いを晴らそうと、全身に降り積もる重圧に耐えてなお真っ直ぐに背筋を伸ばして立っていた。
 道中様々な妨害に遭い、多くの部下をなくしながらも導師イオンという仲介役を守り抜き、ルーク・フォン・ファブレというトラブルの種すらチャンスに変えて、バチカルの城へと赴いた。
 そうして教団員であるアニスの手を介し、マルクトとダアトからの意志として和平の親書はキムラスカへと手渡されたのだ。

 キムラスカの国王であるインゴベルト陛下は親書に対し「確かに受け取った」と返答した。
 ここまできたら後は待つだけだ。キムラスカの返答の如何によってアクゼリュスへの救助方法が大きく変わる。
 救助要員だった第三師団の人間はもう居ない。キムラスカがどれだけ人員を出してくれるかによって、救える命の数は大きく変わるだろう。

 我が儘と世間知らずが目立ったルークも「戦争は嫌だから」と、父親とナタリア王女に声をかけると言った。
 道中の会話で政治的な発言力は殆ど無いと解ってはいたが、だからこそ力を持つ二人に便宜を願うというのは手段としては悪くない。
 不法入国を見逃すには充分な対価だろうと、ジェイドはルークの助力に頷いた。

 親書を渡し終えた後、城の者から協議する間に滞在する部屋を用意したと声をかけられ、ジェイドはルーク達と別れる。
 ルークはジェイド達を自宅へと誘ったが、ジェイドは遊びにきた訳ではない。慇懃に断りを入れ、宛がわれた城の一室へと足を向けた。
 《死霊使い》と呼ばれる自分を自由にさせたくないのだろうというキムラスカの思惑に乗った形だ。
 いくら皇帝名代の肩書を持っていようと、あくまでもマルクトは救助に対し助力を請う側だ。相手の反感を買わないようにするのは当然のことと言えた。

 そこからのジェイドは碌な外出もできないまま、はやる気持ちを抑えながら城の一室に留め置かれていた。
 途中何度か貴族との会食を挟みながら、キムラスカが結果を出すのをじりじりとした気持ちで待った。早く救助に向かいたいが、かといって返答を急かすわけにもいかない。

 フレンドリーな警備兵やお喋りなメイドと雑談に興じて時間を潰し、焦燥感を誤魔化しながらひたすらに待つ。
 時折雑談の合間に探りを入れてみるも、流石に下っ端には国王たちの考えなど解らないらしい。
 しかし貴族院の方々が頻繁に額を突き合わせていると言う話だけは聞こえてきたため、ジェイドとしては真剣に協議してくれているのだろうと思うしかなかった。

 そうしてジェイドが親書を持ち込んでから一週間後、再度ジェイドは謁見の間へと呼び出された。ようやく結論が出たのかと内心ため息をつきながら、長い長い階段を登って謁見の間へと足を伸ばす。
 マルクトならピオニーの一声で即座に動いていただろう。彼の決断力にどれだけ多くの命が救われたことだろうか。
 しかし貴族院による議会制は、暗君が立っても政治と国が崩壊しないためのシステムでもある。結局は一長一短ということなのだろうと内心独りごち、荘厳な赤に彩られた謁見の間へと足を踏み入れた。

 そこには威圧するようにずらりと兵士が並んでいた。その奥には険しい顔つきをした貴族たちも並んでいる。
 彼等のピリついた空気にもしや親書を突き返されるのではと思いながら、居心地が悪そうに身をちぢこめているイオンを見つけてジェイドは足早にその隣に並んだ。
 キムラスカが彼を傷つけるとは思えないが、あの心優しい少年のことだ。アニスの姿も見えないし、一人ぽつんと立たされてしまって心細いのだろうというジェイドなりの気遣いだった。
 しかしイオンはジェイドの顔を見て安堵するかと思いきや、更に顔色を悪くする。俯くイオンに密かに眉を顰めた時、インゴベルト陛下が重々しく唇を開いた。

「ジェイド・カーティス」
「はっ」
「よくぞ参った。これよりマルクトから要請された和平の申し込み、及び障気が発生したというアクゼリュスの救助に関しての返答を告げる」
「はい」
「キムラスカはこの申し出を受け入れぬ。しかしピオニー陛下が真に国民を想い救助を願うというのであれば、キムラスカも最大限の譲歩をして、アクゼリュスの領土を返還することと引き換えに住民の救助を引き受けよう」

 は、とジェイドの息が一瞬詰まった。
 和平は受けない。アクゼリュスを救助して欲しいなら土地ごと寄越せ。
 余りにも一方的な言い分だった。

「……確かに和平を持ち掛けたのはマルクトです。しかしいくら何でも、その条件は流石にいかがなものかと。マルクトはキムラスカの属国ではございません」

 冷静を装いながらジェイドはやんわりと言い返す。
 確かに歴史書を紐解けば、マルクトはかつてキムラスカの一部であった。しかし今はオールドラントを二分する大国である。
 上から押さえつけられる謂れはないと主張すれば、貴族たちがにわかにざわめいた。

「ジェイド・カーティスは正気なのか?」
「陛下のご慈悲を理解していないのでは?」
「いやいや、いくら軍人だろうと流石に解るだろう」
「どうであろうな。情報が確かなら、政治というものを欠片も理解していない可能性は高い」

 耳で拾ったヤジの声に、ジェイドは自分が知らない何かが絡んでいるのではないかと眉を顰める。それを眼鏡のブリッジを上げる仕草で誤魔化す。
 対して不愉快気な顔を隠しもしないインゴベルト陛下は、ジェイドの言葉に対して「不服か」と小さく漏らした。

「宣戦布告をしないだけ、我々としては充分に譲歩したつもりなのだがな」
「……宣戦布告をするだけのことがあった、と?」

 まさか自分が居ない間にマルクト側が何かしてしまったのか。
 そう危惧するジェイドに対し、インゴベルト陛下は呆れたようにため息をついた。

「本当に理解していないとは……クリムゾン」
「はっ。ジェイド・カーティス大佐。全く理解していないようだから、言葉を絞り出して説明しよう。そもそも我々キムラスカはマルクトが和平を望んでいる、という言葉を欠片も信用できない。むしろ悪意を潜ませ、救助の名の元に出した兵を壊滅させて補給線を確保し、そのままキムラスカに攻め入るのではないかと疑っている」
「ピオニー陛下は民の安寧を願っておられます。何故そのような疑心暗鬼に」
「当然だろう。誘拐された我が国の貴族を不当に扱ったのはそちらではないか。我が息子ルークは王位継承権第三位を持ち、ランバルディア王家の貴色を受け継いだ希少な男児であり、いずれナタリア王女と婚姻を経て王位を継ぐ可能性が一番高いと言われている。いわば未来の国王として期待されている立場である。そのルークを、貴殿は何とした。どのように扱った。覚えがない、とは言わせんぞ……!」

 インゴベルトの意を受けたクリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレが怒りのにじむ声で静かに、しかし叩きつけるように言い放った。深い深い眉間の皺と射抜くような視線はジェイドへの怒気を隠しもしない。
 それを受けたジェイドは身体を強張らせたかと思うと、バチカルへの道中のことが走馬灯のように脳内を駆け巡る。
 隣ではイオンが小さく震えながら、今すぐ消えてしまえればどんなに楽かというように身を縮めていた。

 ジェイドは理解すべきだった。
 例えルークがどれだけ我儘で世間知らずだろうと、その身に流れる血はキムラスカで最も尊いものであったと。
 和平を願いに行く国の重要人物だ。蔑ろにすればどれだけ手痛いしっぺ返しがくるか。

「ルークより聞いているぞ。不法入国者として戦艦に連行され、和平に協力をしなければ牢に入れると脅迫され、更には剣を持って人殺しすることを強いられた、とな」
「それは……!」
「最後に関しては、まだ良かろう。非常事態だったとも聞いている。私はルークの父であるが、同時に軍人でもある。護衛が足りず、己の身を護るために剣を揮うことになるのは理解を示そう。だが貴族として最低限の扱いすらされず、あまつさえランバルディア王家の血を引く者を軽々に罪人扱いするなど、到底許容できるものではない!」
「し、かし……実際ルーク、様は不正に国境を超えています。保護をするという意味でも、戦艦へご案内することが最善だと判断したまでです。また私はその時点でピオニー陛下より和平の命を受けておりました。最短でルーク様をバチカルへお届けするためにも和平にご協力いただければと愚考した結果であり、決してランバルディア王家の方々を貶める意図があった訳ではございません」

 クリムゾンの言葉にジェイドは何とか言い訳を絞り出した。苦しい言い訳だと理解していたが、自分のせいで和平が台無しになるなど到底認められなかったのだ。
 浅慮だった。理解が足りなかった。ジェイドは己の不徳を認めながらも、それでも何とかピオニーの願いを叶えようと言葉を尽くす。
 しかしクリムゾンの眉間の皺は消えず、それどころか親の仇のようにきつく睨まれる。

「ほう。では協力しなければ牢に入れるというのは?」
「脅迫じみた言葉を使ってしまったのはあくまでも私の落ち度です。しかしピオニー陛下の和平の意志は本物です。ですので和平を結ばれた後に、ルーク様への脅迫に対する罰として私の身柄を望まれるのであれば謹んでこの身を差し出しましょう」
「信じられんな。そもそもの話だが……ルークが国境を越えてしまったのは確かに事実。しかし意図しないことであったことは余りにも明白! 不法入国を咎めているのだ。当然、事情は聞いていよう? まさか軍人でありながらろくに聴取もせずに一方的に罪を突き付けている、などとは言うまい? その上でルークを不法入国者扱いしている時点で、貴殿の言葉は信用に値しない」

 ぐ、とジェイドの言葉が詰まった。ジェイドは事情聴取をしていない。
 そしてルークからそれを聞いているのだろう。クリムゾンはいやらしい言い方でジェイドを追い詰める。

「ルークの身分は例え戦時であろうと丁重に扱われてしかるべきものだ。それを戦艦の一室に押し込め、えん罪をかけ、あまつさえセントビナー、カイツールと護衛兵を補充できる場所に寄りながら無防備に危険にさらした。このようなことをしでかす相手をどうして信用できるというのか。キムラスカが善意で救助隊を編成しようと、その救助隊を襲って我が国の軍備を削り、そのまま攻め入るつもりとしか思えん」
「決してそのようなことは致しません!!」

 警戒を滲ませるクリムゾンにジェイドは反射的に言い返した。
 同時に理解する。これだけの軍人と貴族が集まっていることを。これはジェイドに対する警戒であり、示威行為だ。
 また軍の高官たちにジェイドの顔を覚えさせるという意味合いもあるのだろう。つまりそれはキムラスカが既に戦争を見据えていることを意味していた。


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