(鮮血から始まる恋情)


夜の教会には、吸血鬼が出る。
今、ローレライ教団にはそんな噂が出回っていた。

何も知らなければ何を馬鹿なことをと笑い飛ばせもしただろう。
しかし一般信者達にこそ隠されているものの、ソレが事実であることは神託の盾兵達ならば誰もが知っている。
本当に吸血鬼が存在するかはともかくとして、それに準ずる被害が出ているからだ。

被害者の数は今の時点で7人。
死んでこそ居ないものの被害者達は皆多量の血液を奪われ、極度の貧血状態で発見されたのだと言う。
愉快犯なのかもしくは何かしら目的を持っているのかすら定かではない。
証言は夜の教会を歩いていた時に背後から黒い影に襲われたと一致している。
しかしそれ以外の手がかりは欠片も存在せず、一部の神託の盾兵達は一向に進捗しない捜査状況に苛々している様子だ。

導師守護役である私は、その話を聞くたびにため息をついていた。
勿論馬鹿にしているわけではないのだが、面白半分に吸血鬼だとはやし立てる人間に呆れている部分があることは否定しない。
同僚であるタトリン奏長などが中途半端な情報をイオン様に伝えてしまったというのもある。
お陰でイオン様が守護役たちを心配するあまり、早めに仕事を切り上げて帰ったほうが良いとまで言う始末。
それでイオン様が狙われては本末転倒ですと説得するのにどれほど苦労したことか。

「それではイオン様、時間になりましたのでこれにて失礼致します」

「はい。今日もお疲れ様でした。吸血鬼も出ると言いますし、気をつけて帰ってくださいね」

「ご心配ありがとうございます。イオン様もお気をつけ下さいませ」

午後八時を迎え、イオン様に挨拶をしてから別の守護役と警護を交代して私は帰路に着いた。
犯人は吸血鬼だと確定したわけではないのだが、イオン様の中では既に吸血鬼だと確定しているらしい。
後で中途半端に情報を仕込んだタトリン奏長を叱っておこうと心に決めつつ、私は寮へと繋がる廊下へと足を向けた。

吸血鬼の噂が流れているせいで、いつもはちらほら人が居る筈の廊下はほぼ無人。
たまに巡回の兵士とすれ違う程度で、ブーツのロウヒールがカツンカツンと響く。
天井が高いせいで音が反響し、不安を煽っているような気がした。

噂を鵜呑みにするわけではないが、夜の教団と言うのも結構に気味が悪いものだ。
冷えた肩を抱くようにして震えをごまかし、さっさと自室に帰ろうと歩くスピードを速める。
しかしソレは僅かに開いていたドアから伸びてきた手によって遮られてしまった。

「っ!?」

空き部屋に引き込まれたと気付いた瞬間には、既に視界を覆われていた。
咄嗟に短刀を手にしようとしたものの、すぐさま腕を背後に捻り上げられてソレも叶わない。
ドアの閉まる音がやけに無慈悲に聞こえた気がした。

「くっ、この…っ!」

吸血鬼の噂が脳裏を掠め、このままやられるわけにはいかないと背後に向かって蹴り上げる。
しかしソレはあっさりとブロックされ、そのまま壁に押し付けられてしまった。
それだけで相手がかなりの強さだと解り、膨れ上がった警戒心が肌を焼く。

犯人は手馴れているらしく、私の両腕を背中で拘束したかと思うとすぐさま布で目隠しをされる。
最後の手段として叫ぼうとした瞬間、背後から伸びてきた手で今度は口を塞がれてしまった。

「動くな。抵抗しなければ、殺さない」

低いボーイソプラノの声が耳元で聞こえたかと思うと、思いきり壁に押し付けられる。
導師守護役という栄誉職に抜擢されそれなりに腕に覚えがあったというのに、こんなにもあっさりと押さえ込まれてしまった。
しゅるしゅると警戒心がしぼんでいき、相反するように湧き上がる恐怖心。
その恐怖心に背中を押され、抵抗するのを諦めた私は素直にもがくのをやめた。

「そう、大人しくしな。大人しくしてれば、殺しはしない。今から手を外すけど、声を出したら刺すからね」

早鐘を打つ心臓。背中に押し付けられる刃の感触に相手の本気を悟る。
口を覆っていた手がゆっくりと外され、固い刃の感触がするすると上に上がってくる。
そして布を切り裂く音が聞こえたかと思うと、首筋を撫でる冷たい風に服が切られたのだと解った。

首筋にかかる、生温かい吐息。
背中に悪寒が走ったかと思うと、鋭い痛みが首筋に走る。

「……く、ぅ」

噛み付かれたのだと理解した頃には、既に血を啜られていた。
相変わらず背中に当たる刃の感触を感じながら、声を出すまいと必死に堪える。
時折リップ音を立てながら血を吸われ、歯を噛みしめてその痛みに耐えた。

「……甘い」

「う、ぁ…!」

背中に押し付けられていた刃の感覚が消えたかと思うと、カラン、という軽い音が耳に届いた。
ナイフか何かを床に放り捨てた音だろう。
その代わりとでも言うように背後から伸びてきた腕が腹部に回され、もう片方の手は私の唇を撫で始める。
その間にも首筋にある傷口を舐める舌は動き続け、ぞくぞくとした感覚が背中を這い上がっていた。

「アンタ、砂糖でできてるわけ?髪も白いし…血も、こんなに…甘い」

首筋からぬるりとした感覚が離れたかと思うと、恍惚とした声で囁かれる。
腹部に回された腕に力が込められ、唇を撫でていた指が口の中に侵入してきたかと思うと舌を絡めとる。
まるで愛撫されているかのような指使いに身を捩るが、拘束が解ける筈もない。

「いいね…最高だよ、アンタ」

喉の奥で笑いながら囁かれ、耳朶を噛まれて私の身体は跳ねた。
腹部に回されていた手が離れ、傷口に触れられたかと思うと痛みが消える。
第七音素の動きを感じ、治癒術を使われたらしいと解った。

何故、とか、どうして、とか。
現状に対する疑問がぐるぐると頭の中で回っている。
けれど一番に思うのは、早く解放してほしいという、その一点のみ。

腕を捕まれ壁から離されたかと思うと、身体を包む浮遊感。
抱き上げられたらしい。人間の体温と力強い腕の感触を感じていたら、すぐに放り出された。
ぽふん、と柔らかな場所に落とされたため衝撃はゆるく、どこも怪我はない。
ベッドの上かどこかだろう。微かにスプリングの軋む音も耳に届いていたから。

「や…っ、もう、帰して…っ」

「駄目だよ。まだ、足りない」

懇願してみたものの、キッパリと言い切られる。
後ずさろうとしたものの、すぐに肩を押されて動きを封じられる。
また首筋に息がかかり、鋭い痛みが走った。
先程とは逆側の首筋に噛み付かれたのだ。

「ん…っ、く…ふ、ぅ」

まるで猫がミルクを舐めるように傷口を舐められる。
唾液の音が響き、時折艶めいた吐息が耳に届いた。
まさしく彼は吸血鬼だ。私の血を舐めて、こんなにも恍惚としているのだから。

「甘い…今迄で一番、アンタが美味しい」

呟かれ、再度背中にぞくぞくとした感覚が這い上がる。
それは明らかに悪寒ではなくて、覚えた感覚を認めたくなくて私は再度身を捩った。

「…いいね、これなら…」

呟きと共に傷口を撫でられ、また痛みが消える。
何を思ったのか肩を押さえ込まれている感覚がなくなったかと思うと、頭を持ち上げられ目隠しが外された。
予想外の解放に恐る恐る目を開ければ、視界一杯に広がるくちばしを模した金色の仮面。
くしくも、私はそれを知っていた。

「…第五、師団の」

「そう。初めましてだね…アンタ、名前は?」

「……ルビア」

口の端が上がっていて、彼が笑っているのが解る。
予想外に現れた地位の高い人物に目を見開きながら、停止した思考は素直に質問に答えていた。

「ルビア、ルビアね。僕の名前、知ってる?」

「……シンク、謡士」

「正解。アンタ守護役だよね?じゃあ、この顔も…よーく、知ってるよね?」

愉悦の笑みを浮かべながら、シンクは仮面に手をかける。
完全に彼のペースだ。彼が一体何がしたいのか、私にはさっぱり解らない。

ゆっくりと仮面が外される。
そこにあったのは導師と同じ顔で、今度こそ私は言葉をなくした。
イオン様と同じ顔。けれどイオン様はこんな凶悪な顔はしない。
同じでありながら決定的に違うその顔に、私は現状理解が追いつかずに唇をわななかせることしかできなかった。

「アハハッ、驚いた?そうだよね、なんせ導師と同じ顔だ。だから僕は普段から顔を隠してる」

「…な、なん、で?」

「何で同じ顔をしてるかって?簡単だよ。僕が導師イオンのレプリカだからさ」

レプリカ。
聞きなれない言葉の意味は解らなかったものの、その単語から漠然としたイメージは導き出せた。
私の表情からそれを読み取ったのかどうかは解らないが、シンクは笑みを崩さないまま言葉を続ける。

「フォミクリーって技術があるのは知ってる?僕はそれで作られた導師の模造品ってわけ。
ただ技術が不完全だったのか、何かミスがあったのか…こうやって人の血を飲まないと破壊衝動に襲われちゃうんだよね」

「じゃあ、ココ最近の吸血鬼騒動は…!」

「そう、僕。あぁ、言っとくけど僕を通報しようとか思わない方が良いよ。閣下も既に知ってることだ。アンタが何を言おうと握りつぶされるし、下手すれば消されるよ?」

くすくすと笑みを漏らしながら、恐ろしいことをシンクは言う。
ココ最近の騒動を知っていながら、総長は全て黙認していたのだと。
信託の盾の長たる彼が口をつぐんでいるのならば、シンクの言うとおり私が何を言おうと徒労に終わることは目に見えていた。

だが、一つ疑問が残る。
何がなんだから解らない、展開に追いつけて居ない私でも抱ける極簡単な疑問。

「どうして…それを、私に言うの?」

「良い質問だね。でも答えは簡単、あんたの血が気に入ったから。それだけさ」

「…あ、さっき、甘いって…」

「そう、アンタの血はすごく甘いんだ。今まで飲んできた血の中で一番甘い。極上だよ」

頬に手を添えられたかと思うと、ショートカットにしている髪をすかれる。
まるで愛でるように髪を撫でられて、先程とは打って変わった優しい手つきにどう反応して良いか解らなくなった。

「ルビアの味を知ったら、もう他の血なんて飲めないよ。それだけ君は美味しんだ。身体は満足してる筈なのに、もっともっと欲しくなる…」

睦言のような、艶を含んだ呟きに先程とは別の意味で心臓が跳ねる。
イオン様なら絶対しないであろう、なまめかしい表情に私は釘付けになっていた。
言葉を忘れたかのようにシンクだけを見つめる私に、シンクは甘い言葉を続けていく。

「だからさ、僕のものになってよ。大丈夫、失血多量で死なせるような真似はしない。もっとずっと、君を味わっていたいからね」

「…シンクの、ものに?」

「そう。君の身体、僕にちょうだい?」

どこか甘えるような、おねだりをするような声音。
シンクの手が私の背中に回され、拘束されていた腕が自由になる。
そして手をとられ手袋を外されたかと思うと、指先にキスを落とされた。

シンクは、私がほしいのだと言う。
ストレートな言葉選びと楽しそうな瞳は決してその言葉が嘘ではないと言っている。
愚直なまでに私という存在を求められ、私は真っ白に染まった思考の中無意識のうちに答えを口に出していた。

「…いいよ、あげる」

「へぇ?全部、くれるの?」

「うん、全部。私の全部、シンクにあげる。だからシンクも私のものになって」

するりと唇から漏れた言葉に、シンクは指先を舐めるのを止めてきょとんとした。
多分私がそんなことを言うとは思わなかったのだろう。
そして視線を逸らして考え込んだ後、いいよ、と簡潔に答えてくれる。

「僕の全部を、君にあげる。だから君を全部、僕にちょうだい」

あぁ、こんなにも。
こんなにも私を求めてくれる人が、今までに居ただろうか。
頷く私にシンクは笑みを深め、私の頬に手を添えてまっすぐな視線を向けてくれる。
湧き上がる歓喜が全身を満たしていくのがわかる。

「そのオッドアイの瞳も、白い髪も、この肌の下を流れる血も全部…僕のものだ」

「…うん。全部、シンクにあげる」

シンクの首に腕をまわし、ぎゅぅ、と抱きしめる。
シンクも私を抱きしめてくれて、首筋に顔を埋められた。
そしてまた、首筋に走る痛み。
血が流れる前にシンクの柔らかな舌が這い、全て舐めとられる。
甘美な痛みに息を詰まらせ、シンクの服を掴んでそれに耐えた。

「…やっぱり、甘いね。ルビアの血は、すごく甘い」

「んっ、美味しい?」

「今まで飲んできた中で、ううん、口にしてきたものの中で一番美味しい。それに…」

「ぁ…っ」

傷口とはまた別の場所を舌が這う。背中を走る甘い電流に自然と喉が鳴る。
漏れた声は自分のものとは思えないほど艶かしくて、羞恥に頬が染まるのがわかった。

「その声も、匂いも…全部たまらないよ。もっともっと欲しくなる」

まるで愛の告白のような甘ったるい言葉に私の脳味噌もとろけそうだった。
若葉色の髪をそっと撫でれば、シンクが目を細めて私を見下ろしている。

「ちゃんと、シンクもちょうだいね。全部」

「いいよ。何して欲しい?」

「……キス、してほしい」

逡巡の後に告げた言葉にシンクは笑みを深め、そっと唇を重ねてきた。
柔らかな唇の感触に、身を包む幸福感。

そこで私はようやく気付いた。
シンクに求められた瞬間、私はシンクに恋をしてしまったのだ。

繰り返し繰り返し口付けられて、身体も心も融けていくような錯覚を覚える。
きっと私は今、恍惚とした顔をしているのだろう。

「いいね、その顔…もっと見せて」

「んっ、シン…ッ」

貪るような深い口付け。口内をまさぐられ鉄錆の味を覚えながらも何も考えられなくなる。
思考回路が停止し、あるのはシンクのことだけ。

あぁ、神様。
恋をしてしまいました。







鮮血から始まる恋情







あとがき
20000Hit真菰様キリリク。
吸血鬼シンク。神託の盾内部で何者かに血を抜かれる事件が起こる。夢主も襲われシンクに気に入られずっと吸わせて欲しいとプロポーズを受ける。最後は甘い感じで。

えー、リクエストは完遂できたと思います。
真菰様、大変お待たせいたしました。いかがでしょうか?

真菰様が以前リクエストしてくれた、白髪オッドアイな導師守護役ヒロインで書かせて頂きました。
シンクのストレートな言葉に恋に落ちてしまったわけですが、最後は甘い…甘い、のか?
夢主の血は甘かったようですが、雰囲気が甘いのかどうか…。

真菰様、リクエストありがとうございました。


2015.02.07

清花


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