蓮の花は密やかに咲く(X)
翌日、僕らは動き始めた。
あえて来た道とは違うルートを通ってダアト港を経由しダアトを出る。
仮面をつけた僕をじろじろ見てくる船員は不愉快だったけど、渡された時の話を思い出して好都合だと思った。なるほど、こうして行く先々で仮面の少年だとわざと痕跡を残して行くのか。
ケセドニアで装備を整え、辻馬車に乗ってセントビナーへ。ここで強い影響力を持つマクガヴァン元元帥は大の預言嫌いで有名だから、この近辺なら神託の盾が追って来ても派手に動けない筈だとルビアは言う。
そこから今度は徒歩で移動。野営中にもルビアはいろんなことを教えてくれた。
星を見て方角を知る方法や、食べられる野草。魔物の分布や換金できる交易品。戦うための知識ではなく、生きるための知識を教え込まれる。
相変わらず戦い方も教えられているけれど、以前のような苛烈なものではなくなった。そのことについて聞けば、急ぐ必要がなくなったからねとルビアは笑っていた。
その道中で、初めて盗賊を殺した。人の肉を殴打する感覚は既に慣れ親しんでいた筈なのに、それでも何とも言えない感情が胸を満たした。
その日の野営中、ルビアは人が人を殺すのに忌避感を覚えるのは本能的なものだと僕に教えた。
それでも殺すなとは言わなかった。生きたいなら躊躇うなと言うルビアは、どれだけの数を殺してきたのだろう。
エンゲーブに立ちより食料品を補充して、村人たちにはグランコクマを目指すと嘘をつき、更に山間部へと向かう。
途中ルビアは自分の髪を短く切った。だいぶ印象が変わる。更にこの先にある小さな集落では仮面を外せという指示に従い、僕もまた片目を包帯で覆ってルビアの後に続く。
導師と同じ顔だとばれるのではないかとひやひやしたが、集落の人間は僕らの来訪に驚きはしたものの、僕の顔を見て何か言うことはなかった。
ルビアは愛想よく、この近辺に居を構えたいと村人に言った。
村人たちはこれ以上人間を養うことはできないと取りつく島もなかったが、近くに勝手に家を建てると言えば反対はしなかった。
ルビアが求めたのは交易だ。魔物を倒したり採取した山の幸を交換して欲しいと言えば、村人たちはまあそれくらいなら……と頷く。
それどころか少し考える素振りを見せた村長に、魔物を間引いてくれるなら使わなくなった狩猟小屋を拠点にしてくれて構わないと言われる。
ルビアはありがたくその申し出を受け、礼を言ってからその狩猟小屋へと向かう。使わなくなったと言っていただけあって狩猟小屋は結構にボロかったが、修理すればまだ使えそうだった。
「近くに沢もあるし、雨風をしのぐ宿もある。追手が完全に撒けたと判断できるまでいつでも逃げられるようにしつつ、ここを拠点に過ごそうか。しばらくは自給自足だから、一緒に頑張ろうねェ」
「……わかった」
「しばらくはあの村人たちから監視されるかもしれないけど、それは私達が隣人として相応しいか、危険人物でないか確かめるためのものだからね。無駄に反発しないように。隣人だと認められればもう少し交流が出来るようになる。交流が出来れば交易も出来る。交易が出来れば融通も利かせてもらえる。距離感さえ間違えなければ、良い隣人になれるはずだよ」
「随分と詳しいじゃないか」
「あっこの村はねえ、私のお師匠さんの出身地なのさ。だから聞いて知ってたの」
ルビアの師匠と聞いて興味は湧いたけれど、とにもかくにも家の修理をしなくちゃいけない。
家があるのに野宿するのはごめんだと、二人がかりで穴の開いた屋根を直して家の中を掃除する。
レムが落ちてルナが昇る寸前になって暖炉に火を入れることができたのは僥倖だった。
魔物除けの罠を張り、簡単な食事を済ませて二人で暖炉の前で毛布にくるまる。
ベッドなんてとっくに朽ちていたので家はあってもしばらくは床で寝ることになるだろう。
ぱちぱちと火がはぜる音を聞きながら、二人で並んで横になる。
これからのことについて注意事項を並べるルビアの話を聞きながら、僕は恐る恐る口を開いた。
「ねえ」
「ん? どうしたの?」
「アンタの師匠って、どんな奴だったの」
僕の質問にルビアは目をぱちくりさせると、ふっと笑った。
昔を懐かしむように目を細めて、強い人だったと囁くように教えてくれる。
ルビアも十分強いのに、それ以上に強かったのだろうか。
「これからはそういう話もしようか」
「あんたの昔話を聞かせてくれるってこと?」
「それもたまにならいいけど、シンクちゃんの話も聞きたいにゃあ。くだらない話をしようよ。初めて見る花を見つけたとか。きれいな景色があったとか。そういう、どうでもいい話」
ルビアに何か教わるのではなく、何の役にも立たない話をお互いにしようと言われて僕は目を瞬かせる。
そんなこと、と思ったけれど、僕らはもう何かに縛られている訳ではない。急いで強くなる必要もない。
追手は注意しなくちゃいけないけれど、これから重要なのはいかに暮らしていくかだ。
その提案はなんだか胸がむず痒くなったけれど、悪感情は抱かなかった。
そんな僕を見てルビアは何故か嬉しそうに笑っていた。
新しい生活はあっという間に時間が過ぎていった。毎日やる事が多すぎるのだ。
応急処置しかしていない小屋の補強や、食料品や薪の調達。この辺りの魔物を間引きつつ、その中に訓練も混じる。
野生動物をしばき倒し、肉をさばいて皮を剥ぎ、なめして使えるようにする。余った肉は村に持って行って、物々交換してもらう。
油や布といった調達の難しいものを分けてもらいながら少しずつ村人と交流もする。
驚いたことに、この村の人達は殆ど預言を詠んでもらったことがないらしい。
殆ど自給自足で成り立つこの村には第七音素の素養がある人間は一人しかおらず、その一人も簡単な治癒術が使えるだけだという。
誕生日の近くでエンゲーブに向かう予定があり、そこに預言士が居れば生誕預言を詠んでもらうこともあるけれど、そんなことは稀も稀。
中には一度も預言を詠んで貰ったことがないという人間も居て、そりゃ僕の顔を見て驚かない訳だと納得もした。
ルビアから言わせれば、こういう村は珍しくないという。
ヴァンはこの世界は預言という毒に侵されてもうとっくに手遅れになっていると言っていたけれど、蓋を開けてみれば預言に従わずに生きる人間なんてあっちこっちに居るようだ。
「ヴァンちゃんもなんだかんだ言って町育ちだからねぇ。ま、知らなくても仕方ないさー」
「アンタは違うの?」
「わたしもこういう村育ちだよ。まあマルクトじゃなくてキムラスカ出身だから、あっちはもうちょい過酷だったかなぁ。キムラスカじゃここみたいに肥沃な土地は珍しいからね」
そんな昔話を時折交えながら、ルビアとの生活は少しずつ落ち着いていった。
村人から藁を分けてもらって、ベッドを作った。毛皮をラグにして、手に入れた布で服を仕立てた。
何もかもが新しくて、何もかもが新鮮だった。預言という言葉を一日たりとて聞かない日だって珍しくない。
村人達と交流するにつれて目の包帯のことも聞かれたけれど、ルビアが町で色々あったのと言葉を濁せばそれ以上何も言われなかった。
少しずつ日々が進んでいって、少しずつ生活も楽になっていく。
ふと、こういうのが穏やかな日々というのかもしれないと思い至り、がむしゃらに生きていく内に憎悪が胸を突く瞬間が減っていっていることに気付く。
こうして暮らしていく内に、いつか預言への憎しみを忘れられる日が来るのかもしれない。
その時になればきっと、あの時逃げてよかったと、心の底から思えるようになるのだろう。
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