ガーデンフール(3)


「うひゃぁっ!」

 思わず悲鳴を上げた私に師団長が僅かに首を傾げる。
 私の目の前には今しがた勢いよく傷がつけられた師団長の腕があった。

「なに、その声」
「い、いきなり自傷されたら誰だって驚きますよ!」
「そういう契約だろ。僕が君の花を。君は僕の体液を。だから飲みやすくするためにわざわざ切ったんじゃないか。さっさと飲んでくれる?」

 そう言ってじわりと血がにじむ腕を突き出されて、一瞬腰が引きかけたところを理性で押しとどめる。
 私の花を全て食んだ師団長は解りづらいがご機嫌になったようで、応接スペースのソファでこうして体液を分けてくれることにしたらしい。
 でもだからって血を飲ませられることになるとは思わないじゃないか。
 びくびくしながらも鼻孔を擽る鉄錆の匂い。嗅ぎなれたものの筈なのに何故か少し甘く感じて、思わずごくりと生唾を飲み込んでしまう。
 血を呑む、なんて。まるで吸血鬼みたいだ。

「その、失礼します」

 恐る恐る師団長の手をとって、口を近づける。震える舌を傷口に這わせれば、予想外に甘い味に嫌悪感などすぐに吹き飛んでしまう。
 ぺろぺろと舐めているとすぐに血は止まってしまったけれど、その僅かな摂取だけでも想像以上の満足感と幸福感が私を満たしていった。

「もういいわけ?」
「はい。ありがとうございます。あの、治癒術をかけても?」
「ああ、そういえば第七音譜術士セブンスフォニマーだったね」
「はい。小隊では余り役に立たないと言われていましたが……」
「貴重な第七音譜術士に随分な言い草だよね。頼んだ」
「はい」

 ファーストエイドをかければ師団長の傷はすぐに塞がった。それをなんとなく惜しく思う自分と、綺麗な肌が戻ってきてホッとする自分が居る。
 引っ込んだ腕を名残惜しく視線で追っていたら、師団長から預言が詠めるのか聞かれたのでふるふると首を振った。

「そこまでは。それに詠まれた預言の解釈もできる気がしません。古代イスパニア語も履修してませんし」
「そう。満足したなら仕事に戻るよ」
「はい」

 ごもっともな言葉に素直に頷いてデスクへと移動する。
 それから時間が来るまで目いっぱい書類と格闘した後、明日もこの部屋に来るように言われて私はそのまま退勤した。

 騎士団寮に戻れば寮監に部屋の移動を命じられ、何故と問えば花生み用の部屋があるのだと言われた。
 花体質ならちゃんと申請はしてくれなきゃ困りますと小言を貰いながら慌てて私物をかき集めて部屋を移る。
 突然の部屋替えだったが、新しい部屋は個室だし日当たりも良い。以前の共同部屋は日当たりが悪くて体調を崩しがちだったからこれは嬉しい。

 案内してくれた寮監に礼を言ってから、同時に花生み用だというリボンを渡される。
 これを付けておけば食堂で何も言わずとも大盛りにして貰えると聞いて私は一等喜んだ。
 毎回お替りする度に食堂のおばちゃんによく食べるねと呆れられていたのだ。きちんと花体質だと申請するだけでこんなにメリットを享受できるなんて思いもしなかった。
 今更ながら勝手に報告を止めていたという小隊長に沸々と怒りが湧くが、もう私は解放されたのだ。今更恨んでも仕方ない。
 改めて寮監に礼を言ってから、私は新しい部屋での生活を楽しむことにした。

 新しい生活は以前に比べて快適だった。
 食堂のおばちゃんにアンタ花生みだったんだねえ。そりゃお替りするわけだよと笑われながらもたくさん食べても怒られなくなった。
 シンク師団長とヤドリギ関係になってからは毎日咲いていた花は二、三日に一回までに減って、痛みによるストレスも減った。
 職場も個室も日当たりがよく、日光浴不足による体調不良もなくなった。

 ただ騎士団や教団の花食みの人に声をかけられるようになったことは予想外だったな。
 なんと特務師団師団長も花食みだったらしい。私が知らなかっただけで、思っていた以上に教団にも騎士団にも花体質の人は居るのかもしれない。
 実際、他の花生みの人にも声をかけられた。その人は涙が花になる体質なようで、花が咲く時は意味もなく涙があふれて辛い気持ちになるのだという。
 肌に咲く私が羨ましいと零され、背中に咲く時も結構痛いと言えばお互い大変ねと苦笑し合った。同じ苦労を分かち合える人がいるだけで気分的に楽になるのだと初めて知った。

 もちろん、良いことばかりじゃない。
 着用が義務になったリボンのおかげで私は花体質だと公言しているようなものになった。
 花体質というだけでじろじろと見てくる人は居るし、興味本位でどこに花が咲くのか聞かれることもある。
 花が咲くところを見せて、なんて言われてもお断りだ。何故大して親しくもない人に肌を晒さねばならんのか。
 おまけに導師や総長閣下の愛人でも狙っているのかと下卑た声もかけられたこともあって、大変不愉快な思いをした。
 確かにお二方は花食みらしいが、私みたいな下士官に声をかけるわけないだろうに。

 そうした不愉快な思いも増えたが、やっぱりそれ以上にメリットが勝る。
 あの時シンク師団長に会えてよかったと思いながら、私は今日もシンク師団長の部屋へと向かう。
 そういえば適当な小隊に振り分けるって言ってたけど、いつ振り分けられるんだろう。

「おはようございます」
「オハヨウ。急だけど討伐任務に出ることになったからすぐに準備して」
「へっ!? は、はい。解りました。どの程度のものでしょう」
「小規模だよ。二小隊連れてく。ただ気になることがあるから僕も出る。君は僕の付き人兼治癒術師として同行。一三〇〇には出発する。一二三〇までにこの配給品を受け取って第三訓練場に集合。そこで詳しい任務内容を説明する。質問は?」
「ありません。すぐに準備します!」

 そう言って師団長は今回必要とされるであろう物をまとめたリストを渡しに差し出してくる。準備に走り回るのは師団長付きになった私の仕事ということだ。
 簡潔な指示に従って私は部屋を飛び出し、言われた通りに急ぎ必要なものだけまとめてから神託の盾本部を走る。
 備品管理課や配給課を回って急ぎ討伐任務に必要なものをかき集めてもらい、食事をかきこんでから第三訓練場へと駆け込んだ。
 幸い時間に余裕があったらしく、シンク師団長の姿はない。けれど集めた配給品をリストと見比べながら再確認している内に時間になり、団員たちが自然と整列したところで師団長がやって来た。

「時間通りだね。配給品は?」
「問題なく集まりました」

 チェックの入ったリストを師団長に返し、改めて師団長から今回の討伐任務について説明される。
 ダアトの二十三区に魔物被害が発生。強襲された村から被害報告を受けたことで急遽この討伐任務が組まれたらしい。
 問題は確認された魔物がドライアドの可能性が高いということだ。本来ならばメジオラ高原にしかいない筈の魔物であり、アシッドレインでこちらの防御力を下げてくる厄介な性質を持つ。
 今回の任務は魔物の討伐。可能なら魔物の発生ルートの確認して潰すこと。以上を説明した後、グミやボトル、糧食などの配給品が配られて急ぎ出発することになった。

「……ルビア」
「はい」
「もしかしなくとも乗馬経験がないね?」
「はい、ありません……」

 が、こんなバカな姿をさらすことになるとは思ってもいなかった。
 なにせ急ぎの討伐案件だ。とにかくスピードが求められる。そのため全員に騎乗が命じられた。
 が、馬に囲まれ匂いを嗅がれて髪を食べられそうになったところで師団長に救出さる。ご迷惑をおかけしました……。
 呆れた声で乗馬経験の有無を確認されたが、士官レベルならともかく下っ端の下っ端に乗馬経験なんてある筈ない。
 ましてや昔から馬に髪を狙われるせいで、苦手意識しかない。

「花生みだからか? まあいい、僕の後ろに乗りな。いつもなら置いていくところだけど、治癒術師ヒーラーが減るのは困る」
「ありがとうございます……」

 急いでんのに何してんだコイツと言わんばかりの視線が身体に突き刺さるのを感じながら、師団長に手伝ってもらいながらなんとか馬の背によじ登る。
 不格好な私とは真逆にひらりと飛び乗った師団長の号令で、ようやく討伐任務に出発できることになった。
 本当にご迷惑をおかけします……。


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