ガーデンフール02(13)



 導師イオンに花を摘まれた翌日。私が守護役部隊に居る最後の日だ。
 花を食べて少し安定したのか、昨晩の導師イオンはきちんと夕食を召し上がったらしい。といっても昨日は咲いた花の三分の一程度しか食まなかった。
 元々小食なのか、それとも遠慮したのかは解らない。残った花は約束通り、今私とアニスの手でドライフラワーにするために加工中である。
 導師イオンがお部屋で眠っているので暇なのだ。そんな中、アニスが零したのは昨日の私と導師イオンのやり取りについての本音だった。

「よく、わかんないんだよね。痛くないならそっちの方が良くない? 何でわざわざ痛い思いするの?」
「……なんていうのかな。花を食むって、多分、アニスが思っている以上に特別なことなんだよね」

 アニスに教わった方法をなぞりながら、自分の花を加工する。初めてのことに妙な気持になりながらも手は止めない。
 それよりもどう言えばアニスが理解してくれるだろうかと頭を捻る。

 昨日のアニスの直接食んでもらえばいいという言葉は、完全なる善意だ。それくらい私でも解る。
 実際に今だって痛くない方が良いだろうと言っていて、多分それは花体質でない人にとっては当然の感想なのだと思う。

「流した涙に口づけられるか、指先で拭われるか、みたいな」
「……それは、確かに親しくない人にやられたら嫌かも」

 私の例えにアニスは小さく頷いた。
 個人差はあるかもしれないが、近い感覚じゃないかと思う。

「まだよく解んないけど……あたし、もしかして結構に無神経なこと言ってた感じ?」
「アニスだって悪意があって言ったわけじゃないんだから気にしないで。多分花体質じゃない人からすればアニスの感覚が普通なんだろうし。でも私にとってはもう痛いのだって慣れたものだからさ」
「そうは言うけど、凄く……痛そうだったんだよね。確かに綺麗だったよ? でも……肌が裂けて花が咲いていくの、綺麗なのにすごく痛々しくて……あんなに痛い思いをして咲かせてるなんて思わなかった」

 そう言って下唇を噛んだアニスは俯いたまま黙り込んでしまう。
 どうやら花が咲いていく姿はアニスにとって随分と衝撃的なものだったらしい。
 今更ながらそのことを知って、だから余計に直接食んでもらえばいいと言っていたのかと遅まきながら納得した。

 というか、そういえば私も自分の肌に花が咲くとこ見たことないな。
 そんなに痛々しいんだろうか。師団長はそんなこと一言も、と考えたところであの師団長ならもっと痛々しい光景を見ても飄々としていそうだなとかぶりを振る。
 六神将の一角にも数えられる師団長とアニスを同列に考えてはいけないだろう。

「アニスは私を思って言ってくれたんでしょ。だからもう良いよ。それに何度も言うけど慣れたものだし、師団長とヤドリギになってからは咲く回数も減ったんだから」
「そうなの?」
「うん。毎日だったのがだいたい三日に一回くらいに減ったの。だから、余計にかなぁ……師団長が嫌なら、他の人に食んでほしくないって思ったの」
「そっか……シンクってそっけないっていうか、冷たそうなイメージあったけど、ルビアにとっては良い人なんだね」
「うん」

 私の言葉にようやくアニスは笑みらしきものを見せてくれる。
 それに密かに胸をなでおろしたところで、ちりんちりんとベルの音が聞こえた。導師イオンがお呼びのようだ。

 ドライフラワーを作る手を止めてアニスと二人で導師の私室へと足を踏み入れる。
 初めて足を踏み入れた教団の最高指導者の私室は、清貧というより質素という方が正しいように思えた。

「イオン様、どうしました? お腹減りました?」

 ベッドに腰かける導師に向かって、先程までの落ち込みようが嘘のようにアニスが楽しそうな声を上げていた。
 きっとアニスなりの気の遣い方なのだろうなと思いながらアニスの一歩後ろに控えていると、導師イオンはどうやら私に用があったらしい。
 食事はお昼に貰いますねと柔らかな笑顔を浮かべてから、私に向かって視線を移す。

「お呼びでしょうか、イオン様」
「はい。昨日はみっともない姿を見せてすみませんでした。お詫びにもなりませんが、ルビア。こちらへ。アニス、執務用の筆記用具の入った木箱を持ってきてくれませんか」
「筆記用具ですか? 解りました」
「あ、待って。アニス。イオン様、タッピングなら結構です。ですから御身を傷つけようとなさらないで下さい」

 導師イオンが何をしようとしているのか察した私は退室しようとしたアニスを止め、断りを入れる。
 首をかしげるアニスを横に、眉尻を下げて微笑む導師イオンに苦笑が零れた。

「僕のことなら気にしないで下さい。貴方の花のお陰で気持ちも楽になったんです。小さな傷程度すぐに治りますから」
「いえ、これも師団長との約束なんです」
「そう……ですか。それなら、これ以上言うのは野暮ですね。余った花まで貰えると聞いたので、何かお礼が出来たらと思ったのですが……」

 しゅんとする姿は教団の最高指導者という立場に反して妙に幼く見えたが、これ以上言えることはない。
 だから首をかしげているアニスに導師イオンが自傷して血液を私に分け与えようとしていたのだと説明すれば、アニスはぎょっとして導師を見た。

「駄目ですよ! いくらお礼だからって駄目です、駄目駄目! もう!」
「でもアニス、花生えにとって花食みの体液は一番の栄養剤なんです。花を咲かせるために花生えはたくさん栄養が必要ですから、これが一番お礼になるんですよ」
「だからってイオン様のお身体を傷つけちゃ駄目です! 木箱は持ってきません! というか、イオン様をお守りするために居る導師守護役に自傷道具取りに行かせないで下さいよ! あたしのことクビにしたいんですか!?」
「すみません。ルビアにも断られましたし、もうしませんから」

 まくしたてるアニスに導師イオンが苦笑を零す。
 私から言わせればそりゃそうだ、な反応だ。

「では……そうですね。もしルビアが助けてほしいことがあったら、言ってください。僕にできる限り力になります」
「勿体ないお言葉です。もし私一人ではどうしようもなくなった時は、頼りにさせてください」
「勿論です。約束ですよ」

 私のような一介の兵士が導師イオンに頼る日など絶対に来ないだろうが、拒否も出来ないので話を合わせておく。
 私は仕事で来たのだ。下手にあれこれとお礼を渡されるより、これで収まるのならばそれが一番だろう。
 それからぷりぷり怒るアニスを導師イオンと二人がかりで宥めてからドライフラワー作りに戻り、私の導師守護役部隊への出張は終わった。

 明日には師団長もケセドニアから帰ってくる。そうしたらまた執務室で二人で書類をやっつける日々に戻るのだろう。
 早く導師イオンにパートナーが見つかればいいと思った。今回はなんとか無事に済んだが、また同じように出張させられるのはごめんだからだ。

 報告のために神託の盾本部へと戻りながらふうとため息をつく。
 肩の凝る出張を終えた途端、頭を占めるのは師団長との約束を破ってしまったことだった。
 自分から言い出したくせに、私は約束を守れなかったのである。一輪分だけとはいえ、結局導師イオンに花を直接食まれてしまった。

「……師団長、怒るかな」

 食まれた肩のあたりに手をあてながら、ぽつりと零れた不安。
 廊下を歩く足は止まっていた。俯く私の横を神託の盾の人達がさっさと通り過ぎていく。

 無理矢理言葉を引き出したくせに結局導師イオンに直接食まれてしまったと知ったら、師団長はきっとまたあの皮肉にまみれた言葉を並べ立てるのだろう。
 副官になってから解ったが、あの人は自己評価が極端に低い。
 あの歳で師団長兼参謀総長になっていて、それに見合うだけの強さがあり、毎日書類仕事を捌けるだけの忍耐強さと頭の良さがあるのに……まるで自分に価値がないような言い方をする。

「……約束、守りたかったのにな」

 零した言葉はさっきの言葉よりもずっとずっと頼りなかった。
 どんどん気分が落ち込んでいく。だから背後から近づいてくる足音にも気づけなかったのは、周囲へ気を配っていなかった私の怠慢だろう。

「ふうん、守れなかったんだ」

 普段聞いているものよりも更に一段低い声が、責め立てるような声音を持って私の背中に突き立てられた。
 慌てて振り返れば旅装束を纏った師団長が、ディスト響士達と一緒に立っている。

「し、しだんちょう……」
「邪魔。通路の真ん中でボケッと突っ立ってんじゃないよ」
「は、はひ!」

 師団長に言われ、慌てて通路の隅へと移動する。
 ため息をついた師団長はディスト響士達と二言三言話すと、そのまま別れて私の元へと歩み寄ってきた。

「守護役部隊からの帰り?」
「は、はい」
「そ。なら人事への報告は不要。あとで報告書だけ提出して」
「はい。あの、師団長は……戻るの、明日の筈じゃ」
「用事が済んだから一本早い便で帰ってきたんだよ。あんな暑くて寒い町に無駄に滞在したくなかったからね」

 どうやら私の記憶違いではなく、早めに出張を切り上げて帰ってきたらしい。
 先程の低い声はどこへやら、淡々と事務的な会話が続きびくびくしながら師団長の顔色を伺う。
 そんな私に師団長は反応を示さず、一つ息を吐いてから指で私を呼ぶ。

「ちょうどいい。少しでも溜まった仕事を消化したい。お前も来い」
「は、はい……」

 私が怯えすぎてるだけなのだろうか。
 平常運転の師団長に言われて縺れそうになる足を動かし、二人揃って執務室へと移動する。
 師団長が無言でずんずんと進んでいくのはいつものことで、それをえっちらおっちらと私が追いかけるのもいつものことだ。
 だから師団長が溜まった報告書の類を各所から受け取り私に持たせて執務室に辿り着いた時には、もしかして私が過剰反応しすぎだったのかと思った。
 師団長から言わせれば私が一方的に約束だと言っただけで、特に気にしてもいなかったのかもしれない。

 それはそれでちょっと傷つくなんて思いながら、師団長が執務室の鍵を開ける。
 私がとぼとぼと歩いて書類の束をデスクに置いている間に師団長はもう一度ドアに鍵をかけなおしていた。
 え? 鍵をかけなおしていた? いつもはドアは閉めていても鍵は開けているのに?

「師団長?」

 師団長は私の呼びかけに答えない。
 ただ出張のために羽織っていたマントを脱いで、私の手首を掴んで接待スペースのある方へと歩き出す。
 転びそうになりながら師団長に引っ張られるがままについていくと、そのままいつかのようにソファへと投げ出された。
 スプリングが軋む中、衝撃に目を閉じていた私の上に師団長がのしかかってくる。それもまた、いつかの再現のようだ。

「で?」
「え? あの、師団ちょ」
「言い訳は?」
「えっと……?」
「約束を破った言い訳はないんだ? ふうん、随分と潔いじゃないか」

 あ、違う。
 これ、人目があるから怒るの我慢してただけだ。

 それに気付いた私はサッと自分の血の気が引くのを感じた。
 目の前で皮肉気な形に歪む師団長の唇に頬がひきつる。

 師団長、めちゃくちゃ怒ってました。


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