開花




ひらひら、ひらひら、桜が踊る。
ふうわり、ふわり、夜風が薫る。

明々と降り注ぎ学び舎を照らす日光とは裏腹の、ひやりとした静けさを孕む風。春の穏やかな夜に皆が味わうであろうそれを、私は毎日この身に纏っている。
おかげさまで熱さや寒さとは縁遠い生活を送ってきたが、「からりとした温かさを知らないなんて勿体ないな!!」と親友にばしばし背中を叩かれてからは、ふとしたときに無いものねだりをしてみたくなることもあった。あの大柄で闊達とした少年のように、晴れやかな風というのは。触れてみれば、一体どんな心地がするのだろうか。

「…五分、過ぎちゃった」

僅かに眉を顰めて真新しい制服のスカートをくしゃりと引っ掴んだ…、刹那。
きーんこーん、単調に始業を告げるチャイムが無情にも鳴り響く。

ーーー入学式。遅刻、決定。
どこか他人事のようなフレーズを脳裏に浮かべながら、舞は細く長く息を吐き出した。吐息とともに、花弁がゆるりと前方へ押し流されてゆく。

ひらひら、ふわり。
桃色が踊る。

厳然と目の前に佇むのは、今日から自分の通う高校の正門だ。その内側へ、一つ歩を進める。
舞は、そのまま何事も無かったかのようにすたすたと下駄箱へ消えていった。
後に残る花弁が、ふわり。風に溶けて、消えた。


***


「…あれ」

がらり。開いた大きな扉の向こうには、伽藍とした空間が広がっていた。誰もいない。隠れんぼをしている訳でもなさそうだ。
始業式が終われば戻ってくるだろうか。ぼんやりと思考に耽りながら、指先でくるくると桜を弄ぶ。
僅かに薫る風と、舞う桃色の花弁。それをある人は美しいと称した。またある人は、気味が悪いと恐れ慄いた。
神様の加護を受けた、この個性。私にとっては、家族のようなものでもあり。と同時に、生涯相容れないものでもある。
ふと、耳に喧騒が届いてきた。

「、ブラドキング」
「よざ……いや、吉野か。A組なら、今はグラウンドにいるはずだ。早く着替えて行ってこい。あと、俺のことはきちんと先生と呼びなさい」

がやがやと近付いてきたその正体は、お隣さんのB組だったらしい。そっと教室の扉から顔を覗かせた途端、沢山の人間の視線を一身に浴びることになった。当然のことながら知らない人ばかりで、緊張に身を縮める。先頭にいた顔見知りの男性…プロヒーローのブラドキングは、私の姿を認めて僅かに目を見開いた。怒らないのは、きっと私の仕事を知っているからだ。朝は家業の神事やら禊やらをしなくてはいけないから、正直今後も間に合う気がしない。校長の許可を取っているから大丈夫だとはいえ、あまり遅刻したくはないものだが。
一クラス分の生徒がこちらを見て目を丸くしている。気になるのは、私の容姿か。それとも一人だけこんなところにいるからか。容姿に関していうならば、アルビノ…つまり色素が先天的に欠けているものだから、儚そうに見えるらしい、けれど。昨今の個性社会で、白い髪なんてそれほど珍しくもないと思う。

「ありがとう、ございます」
「えっちょっ、先生!? A組はいないってどういうことですか!?」

金髪の男の子が、ぐわっと噛み付いた。その勢いに少々仰け反ったブラドキングはぽりぽりと頬を掻き、「あっちの担任の方針だからな」と返事をよこす。へぇ、こっちのクラスの担任プロヒーローはかなりの変わり者らしい。一体誰だろう。
とにかく授業があるならば、出なくてはならないだろう。頭をたれ、くるりと踵を返す。「持っていけ」と投げ渡された体操服を有難くキャッチし手早く着替えてから、ちらりと窓から確認したグラウンドまで一気に駆け抜けた。更衣室の場所は分からなかったから、着替えも袋に突っ込んで持ってきてしまった。邪魔だけれど、あとでまた取りに来るのも面倒だ。
ひらひら、頭上から降り注ぐ桜は地面に届く前に溶けて消える。私の、桜。桜花を纏う夜風を操る個性。
それは、きっとこの学び舎で本領発揮することはないのだろう。少なくとも、訓練の際は。
指先をじっと見つめながら、ふぅ、と軽く溜息を一つ。この個性を衆人監視の下で使うことは…少々、憂鬱である。ヒーロー科なんて勘の鋭い人も沢山いる筈だ。
しかし、これからはそうも言っていられないのだろう。私は目的を果たすために、ここ雄英高校に入学したのだから。

「…頑張らなきゃ」

ふわり、私を鼓舞するように桜を纏う夜風が髪を擽った。
これから、どんな人物と出会うのか。私の人生がどうなっていくのか。
そんな不安に駆られていた私は、まさかグラウンドに到着すると同時に爆発音が鳴り響くなんて、想像だにしなかった。




-2-
*前次#