しづごころなく




「私、エンデヴァーさん苦手なんです」

独特の間を持つ少女だと思った。苦手だと言いながら、その瞳には嫌悪感なんて欠片も見当たらない。澄んだ湖面と言えば聞こえはいいが…強いて言うなら、冬の凍りついた湖を見ているようだった。

「だから、あなたとはお付き合いできません。すみません」
「………は?」

たっぷり三秒、周囲を含めて皆、固まっていたと思う。再起動が1番早かったのは、爆発したような頭の男だった。ぎゃんぎゃんと問題発言をした女に噛み付いて、詳細を聞き出そうとしている。俺も聞きたい。何の事だか、さっぱり分からない。なんで俺は、告白してもいない、なんなら今日初めて会ったばかりの女に振られているのか。腹が立つより前に、呆気に取られた。

「エンデヴァーさんが」「許嫁」なんてたどたどしく説明する言葉が聞こえてきて、顔が歪んだ。どういう意味かと思えば、そういうことか。ぽろぽろと細切れに落とされる情報と言葉の断片を、端々に隠された意味を繋ぎ合わせて汲み取ってしまえば、なんのことはない。いつもと変わらない。親父が勝手に纏めようとした縁談相手が、彼女だったのだろう。またクソ親父か、と血が沸騰するような怒りを感じる。

「あいつの言いなりにはならない」
「そうですか、良かったです」

表情にあまり出ているようには見えないが、心持ちほっとしたような顔をした気がする。巻き込んでしまったことへの罪悪感が少しだけ芽生えた。どうせ個性婚で、孫の強さまでもコントロールしようとしたんだろう。誰がそんな話に乗ってやるか。全力で蹴ってやる。

「お前のその説明の下手さはどうなってンだ…」
「……えっと…すみません?」

ああ、こいつ、分かってないな。
周囲の人間の気持ちなんて、考えたこともなかったが。
そのときだけは、珍しく。俺もクラスメイト全員と意識を同調させ、途轍もない疲労感を覚えたのだった。


…話は、数十分前に遡る。


『ああ…暗いですね。すみません、姫神様がいらっしゃるようで』

ちょっと待っていてください。そう告げそっと目を閉じれば、数瞬もせぬうちに辺りがぼんやりと明るくなった。時が遡ったというよりは、黎明に近い空模様になったと言った方が正しいかもしれない。

『これ以上、明るくすることは出来なくて…すみません』
『いや、大丈夫だよ! びっくりしただけだし! ね、緑くん』
『え!? そ、そうだね!』

クラスメイトの反応はまちまちだった。浮世離れした空間だからか、その美しさに惚けているやつもいれば、肌寒さを感じているやつもいるようだ。俺はと言えば、特に何も感じなかった。かの著名な神社はこんな所だったのか、と将来のための知識として蓄積した程度の感慨だ。担任である相澤先生が『ヒーロー目指してるなら行けるやつは行っとけ』なんて一言添えなければ、話を聞きにも来なかっただろう。
はらはらと、歓迎するように桜が舞っている。足元に落ちても消えないそれは、ここへ連れてきた少女が身に纏うものとは違うらしい。教室が桜の花びらで埋もれているなんてことは無かったはずから。

『で?』
『…説明、ですよね』

場の存在感を総じて無視し、巫女服姿の少女に声を掛けたのは、先程個性把握テストで悪目立ちしていた男だった。特に興味はないし、そのうちこんなことも忘れてしまうだろう。
俺は、母の力だけを使って、誰よりも強く在らねばならないから。
そのための経験として、足を運んだが。クラスメイトと今後仲良くする気は無かった。
場所を移し、茶と煎餅が配られる。口を湿らせ、伏せられた目を上げたら、そこにいるのはもう一人の『巫女』にしか見えなかった。…ボール投げ最低記録を更新したやつと同一人物だとは思えないな。

『まず、ここは登ってきた山とは異なる霊峰に、存在しています。霧が深いのは、そのためです。通常は神様のお導きが無いと辿り着けません』

神域ですから、と。あっさり告げられた言葉に、皆揃って固唾を飲んだ。常識が壊れる音がする。
ワープの個性でもないのに、そんなことが有り得るのか。

『入口も出口も、開くためには主神たるコノハナサクヤヒメの許可が必要になるので……、かの姫神様が降りられる際に利用なさる、巫女の言伝が必須となります』

暇ではないので、現世との関わりは求められるまで為されません。
また、プロヒーローの方も、世間一般でヴィランと呼ばれている方も。分け隔てなく、この神社を利用されます。
近しいものが『亡くなった場合』に限りますが。

そこまで言い終えると、お茶を一口含む。再び伏せられた睫毛に隠され、瞳の奥の真意が伺えない。
一方でとんでもないことを聞かされた俺達は、声も出せずに絶句していた。あまりにも非現実的だ。神とか、魂とか。だが、全て冗談で片付けるには、信憑性がありすぎる。
そんな俺達の様子にさしたる動揺も見せず、淡々と彼女は続ける。

『ヒーローとヴィランという存在が出来てから、この世界では定められた寿命を全うできない死者の数は増えました。いえ、増えすぎました。
彼岸の受け皿が足りなかった訳ではありません。ただ、強い未練を持つ者は、魂をまっさらに……次の輪廻へ載せるための時間が、より多くかかってしまう』

その循環システムが、滞るようになってしまった。人々は困った。神様たちも、困った。
そして、人間が神頼みという形で賽を投げたとき。神々の中でも、魂を巡らせるのが上手いと言われるコノハナサクヤヒメが、初代『夜桜』の巫女の身体を現し身とし、降臨した。

『この娘の一族の女に、一世代につき一人ずつ。私の力の一部を授けましょう』

しかし、神の力が人の身などという小さな器に収まりきるはずもなく。
初代は、次代の娘を産んですぐ、亡くなったという。

『困った人間は、その娘の身体を神に近付けることで、なんとか生命を永らえさせようとしたそうです』

たとえば、片目片足。目が見えないもの。
何かを失ったものは、神に近いとされていた。

『私の場合はこのように、生まれつき色素が無かったので……五体満足、という結果に落ち着いたというわけです』

そして巫女たちの献身もあり、夜桜神社は死者の魂をひとひらの花弁に宿し、巡らせることで少しずつ生まれたままの姿に戻す手伝いをする場になった。
死者のための墓石や墓標が神木たる桜の周りにずらりと並ぶ景色は、異様ではあったが。その魂を浄化するために、生きている人間が「手を合わせる」行為が重要であればこそ。
遺品を木の下に収め、死者に縁のある人物の来訪を拒まない場所が必要だったのだという。
ざわざわと、クラスメイト達が騒々しい。
話を切り出した彼女は、仄かな笑みを湛えたまま。否定も、同情も、何もかも丸ごとそれで飲み込んでしまえとでも言うような、大人な表情を浮かべていた。

しかしその膝の上を、よくよく観察してみると。置かれた手のひらが、 少し震えていて。まるで母と別れたあと、頼るもののなかった自分を見ているようだと、ほんの少しだけ。そんな風に、思った。

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