ふたり季節をまなうらに綴って
沖縄の砂浜は綺麗だった。海は僕の知らない色をしていて、まるで宝石みたいだ。昔、妹と並んでみたテレビの中で見たよりもずっと大きくて、ずっと綺麗だった。黒い枠がない場合はこんな景色だったんだなぁ、と遠くから眺める。兄さんは、沖縄に行ったらなにしたい?目をキラキラさせて、僕を見上げる妹。そうだなぁ、僕は。記憶の中の僕は、妹を膝の上に乗せてぎゅうぎゅうに抱きしめている。泣いてない妹が嬉しかったんだ。それは今も覚えている、でも、なんて答えたかは思い出せない。
思い出そうと、実家の部屋を一つずつ脳裏に描き出す。ベージュ色のソファー。僕たち兄弟のお気に入りの柔らかいクッション。母さんの作った長ネギ入りの卵焼き。通学路のところで僕らをみる呪い。時代遅れの映画のように、1カットずつしか映らない脳内スクリーンには、ほとほとあきれる。足元に落ちていた貝殻をひろって、そのまま波打つエメラルドに向かって投げる。貝殻は海面に着地するときに丸い円を生んで、そのまま見えなくてなった。
「一人で先に沖縄来ちゃって、怒られるなぁ」
青い空には、ちぎれた綿菓子みたいな雲が黙って隊列を組んで進軍している。空模様からして、雨は降らなさそうだ。いま、天気が荒れたら僕らの任務も、夏油さんたちの護衛任務も全部おじゃんになってしまうから良かった。
足首まであるスラックスを畳んで膝上までの長さに変える。浅瀬から勢いよく海に走り込む。小さな波がふくらはぎでぶつかって、さらに細かい波に分裂する。気をぬくとすぐ膝上まで進出してくるので、緩やかな弧を描きながら僕は渚を目指す。ゆっくりと視線は砂浜をなぞって、桐野の横顔を捉えた。
真っ白な砂浜にひとり、むき出しの足で渚を歩く桐野に頰が緩むのをやめられなかった。夏祭りにも、海にも、どこにも行ったことがなかった桐野がたくさんのことを経験していくのが、自分のことのように嬉しかった。雨の日に、僕や七海から隠れて涙をこぼす彼女はもうどこにもいない。海風が僕の前髪を荒らす。桐野の膝丈のスカートや、金髪もさらさらと風に従って後ろに靡く。白波が立って、彼女に踝をひたす。水面は陽光をいっぱい吸い込んで、宝石みたいにキラキラと光る。桐野の髪も負けじと、きらきら細かい金色がぱちぱちと点滅しているように感じた。
「桐野、海にいるのはいいけど帽子はかぶっておいたほうがいいよ!」
「わ、ありがとう灰原。すごいねこれ街でよく見るタイプの帽子だ。これかぶったことなかったから新鮮……」
「だよねぇ。あ、桐野は麦わら帽子とか似合いそう」
麦わら帽子を目深に被って、桐野はどこへいったんだろう。
もっと早くに出会えていたら、そういうのをもっと知れたんだろうか。小さな子どもみたいに桐野は、顔全体をくしゃくしゃにして笑う。口もとにくっきりとしたえくぼが生まれる。
「そっちは実家でも見たことある。どこに行くでもなかったからわたしは被ったことないけどね」
「じゃあなおさら、桐野に被って欲しかったなぁ。売ってなかったからこれで我慢するけど」
「なんで灰原が我慢を……?」
桐野から発せられた至極真っ当な問いは、首をすくめて流した。僕でも、うまく表現できない感情だったから。海の近くで買ったキャップは、僕が今つけているものと桐野に被せたデザインしかない。ネオンピンクのラインが入ったキャップ。つばの方を触って硬さを確かめるように触ってから、桐野はもう一度「ありがとう」と笑った。七海が見たらなんていうだろう。僕だけが独り占めしているのが申し訳ないような気がする。桐野の手をとって、砂浜からアスファルトの方へ向かった。まだ海を見ていたいと言われるかと思ったけど、僕の手にされるがままになっている桐野に視線をやる。僕と目が合うと照れ臭そうな笑みを浮かべる。桐野の視線を追うと、僕の頭上のキャップで止まっていることに気がついた。つばを傾けてこれ?と問うてみる。
「お揃いだったんだね」
「そうそう、記念になっていいんじゃないかなって」
「なら、七海の分はどうするの?」
七海の話をする桐野は、どこか大人びた表情をする。初めて見た表情に、胸がざわついた。握った手は汗で濡れていたらどうしようかな、と思考の端っこで思いつつ「いらないって」と返す。七海に写真付きでメールを送信したら、文字だけの味気ない拒否のメールが送られてきた。無視される可能性も半々だったから、僕としては十分、というか大満足だ。七海は、桐野に関することだよ、というと渋々ながら最後まで付き合ってくれる。僕はひっそり桐野と七海は結構似た者同士だと思ってる。あんなあからさまな態度で、七海は僕が一切気づいていないって思っているんだから。まったくもって、困った相棒だ!
「相変わらずつれないねぇ七海は……」
「うん。ほんと、このままじゃ夜もずっと任務してそう……。できたら桐野が代わるか、サポートするのがいいかもね」
「サポートならわたしよりも灰原の方がいいんじゃ……」
桐野の声は、どんどんトーンダウンしていく。七海だって桐野のこと頼りにしてると思うけど。その言葉は喉の奥に流して、握った手首をぶんぶん降って見る。子どもみたいなアクションを起こす僕を見て、周りにいる大人がふふと笑っている。桐野の耳が赤くなって、「もう、灰原!」そうやって大きな声を上げる。いたずらがしたい、というよりは目の前にいる僕を見て欲しかった。空港の方角を見る桐野の前に立ち塞がる。凪いでいた視線が、僕の方に向けられる。キャップから溢れている金色の髪がさらさら靡く。風に従った毛先から、七色にかわるがわる変化していく。黒とかけ離れた世界が広がっていく。いつもの違うところに来て、僕もかなり浮かれている。現に、いま、桐野の黒目がちな眼の中には、僕が、僕だけがだけがいる。七海、ごめん。必ず後で埋め合わせはするから。だから、今は。自分で蓋をした感情が緩む。
23.0528