ファンファーレは祝福の為なんかじゃない
「期限になりましたが、さて、ファイノン。あなたの回答、いえ……あなた方の回答について聞きましょうか」
「そうだね。じゃあ代表して僕から答えさせてもらうよ。アナイクス先生が出した問いはこうだったよね__『私たちはどのような関係なのか。それを公表していない背景について答えよ』ここでの『私たち』とはアナイクス先生とエフィーさんを指している。ここまでは問題ないかな?」
「ええ。間違いありません。続けてください」
「まず結論からいうと、アナイクス先生とエフィーさんは実質的な秘密の恋人関係である。どうかな、これには自信が結構あるよ。そしてそれを公表していない背景だけど、僕は以下の三点であると考えた」
「なるほど、聞きましょう。」
「結論に対して答えはくれないのかい?」
「この問いにおいて結論はさして重要ではありません。重要なのは__どのような仮定で進めていったのか。この一点です。結論はそれを見るためのもっとも便利な道具でしかありません。正しいかどうかは次の項目を聞けば自ずとわかります。さあ、続けてください」
「わかったよ。僕がそう考える背景は全部で三つ__まずひとつめは先生とエフィーさんが愛し合っているから。あっ、笑わないでくれよ!どうしても愛がないようにはみえなかったんだ」
「失礼。まずそこから来るとは予想外でした。さあ、二点目はなんです?」
「そうだね、仕切り直して、ふたつめはアナイクス先生はダクリスの伝承を信じていないから、自分がエフィーさんと結ばれるにあたって邪魔な伝承を廃れさせたかった。そして三つめは二点目の派生だけど、秘密の恋人となっているのはダクリスへの信仰のせい。樹庭でダクリスに関連する資料を読もうと礼拝学派の先生にもお願いしてみたんだけど、すげなく断れた」
「吠える愚か者どもの顔が見えますね。ぜひ私もその場に同席したかったものです」
「はは、特に僕がアナイクス先生の門下生だと聞くと烈火のごとく起こっていたよ。つまり、何が言いたいかというと、礼拝学派の教授たちはダクリスの伝承に触ってほしくなさそうだった。
__彼らから、僕はこんな信仰があることを聞いた。この樹庭ではダクリスはサーシスの恵みであり、ダクリスの恋人はサーシスから恩寵を得られるという信仰だよ」
アナイクスは黙って腕を組んだ。無言でファイノンのその先を促している。
「教授たちは説明したわけじゃないけど、言わんとすることはわかった。だから司書さんに噂について聞いてみた。古参の学者になれば知っているんだ、先生たちの関係を。でも黙っている。なんならダクリスの伝承をもみ消している」
唇を舐め、ファイノンは背中に力を入れた。アナイクスの左目は試すように細まっていて、鋭い赤色の瞳孔がファイノンを観察している。
「『なぜモネータは花は散ることが美しいと定めたのか?パルフォス古代寓話集におけるモネータからの考察』__この論文を読んだよ。伝承ではダクリスはあくまでもサーシスとモネータの愛から生まれているらしいね。それから、伝承はこう続けている、ダクリスはモネータに献身を捧げたが、同時に恋をした。相手は……サーシス。考えてみれば当然だよね、ダクリスはサーシスを思う涙から生まれているんだから。でも、みんな知っている通りダクリスの恋は悲恋に終わった」
口から言葉がなくなってから、ファイノンは少しだけ長い瞬きをした。想像した。ファイノンは恋がどのようなものなのかを知らない。けれど、ダクリスが抱えていた感情を想像することはできた。きっとそれは、ファイノンにとってのエリュシオンの麦畑を撫でるあの茜色の夕日と、前髪を乱す西風だ。失う、得る、そういう類いのものではない。当たり前にあり、それなしで生きることが信じられないもの。
眼を開き、樹庭の永夜をみた。紺色の夜はファイノンの肺を冷たい空気で満たした。風はなく、晴天の夜空で金色の星が光っている。
「ダクリスはモネータに献身を捧げ、モネータとサーシス、彼女たちの恋仲を祝福しながら、サーシスを恋しく思う感情を忘れられない。それがなければダクリスではないからね。だから、サーシスの祝福を受けた智者を慈しむ。転じて、ダクリスの感心をかえる存在はサーシスと比肩する智者だという信仰になった」
アナイクスは分厚い眼帯に覆われていない右目を閉じた。彼が何を見ているのか聞きたくなったが、ファイノンは自分の回答を進めた。
「樹庭にいる学者は大なり小なりサーシスの祝福を受けている。知恵を求め愛すること。ダクリスの論文は礼拝学派にあったから、他の学派の中でも一際余その信仰は強かっただろうね。サーシスそのものになれるわけではないけれど、ダクリスに認められ、愛されたいと思うのはサーシスを信じていたら仕方がないよ」
礼拝学派の教授の血走った目を思い出し、ファイノンは首をすくめた。ファイノンたちにとっては昨日今日聞いた噂話だが、彼らにとっては何十年、いや場合にとっては何百年と続いた信仰であるとすれば、それは簡単に捨てられるものではない。本能だと括るのは暴力的だが、当たり前にあるという前提で生活が構築されているものが実在せず錯覚であると見せられるのは正気でいられるはずがない。
ここからが本番だった。ファイノンは右手を硬く握った。
「でも、実際はエフィーさんはアナイクス先生を選んだ。タイタンを信じない、あらゆる信仰を批判する冒涜者アナクサゴラスを選んだとくれば、ダクリスへの信仰なんて捨てたくなる。そして実際に僕ら学生にはダクリスなんて何を言っているのかわからないくらいだよ」
アナイクスが何を考えているのは伺えない。微笑みもせず、冷ややかな視線を浴びせるのでもなく、ただファイノンを観察していた。実験動物を見るように、視線でファイノンの五臓六腑を解剖するような視線だった。
「____アナイクス先生はこの状態を狙っていたんだよね?ダクリスの信仰なんてものを語る人が現れない状態を作るために、エフィーさんと公然の秘密として恋人であり続けた」
「以上ですか?」アナイクスの声は平時通りだった。
「あと一点だけ。これは、憶測でしかないんだけど、エフィーさんはダクリスだけど、ダクリスとしては不完全な存在だったんじゃないかな。そう、例えば花が咲かないとか。花が咲かないダクリスは先生は信仰を壊すことでエフィーさんを解放した……これが僕らの結論なんだけど、どうかな?」
「そうですね。……一つ、確認したいのですが、ダクリスの伝承を廃したい、というのは私が彼女を愛しているから、ということになるでしょうか」
「そのつもりだったけど、違うのかい?」
「……答えに困りますね。まあいい。ファイノン、あなたの意見はわかりました。あなたに倣って結論から言いましょう。__不正解です」
「ええ〜……」
強張っていた方や腰から全て力が抜けて、ファイノンは文字通り膝を床についた。その様を見下ろし、アナイクスは、愉快そうに口角を上げた。今にも大声で笑い出しそうな師の顔をファイノンは仰ぎ見た。
「とはいえ、十分及第点ではありますよ。全くの不正解というわけではありませんし、この三日という短い期間でよくここまで調べたものですね、ここまでできるとは考えていませんでした。できればそれは成績を出す前に出してほしいやる気でしたが」
誤答を出したという割に上機嫌なアナイクスは少し不気味だった。口の中で何かを小さく呟いた後、左目に手を当てて、天井を仰いで胃から声を吐き切るかのごとく高く笑った。
「どこが間違えていたんだい?」
ファイノンは食い下がる。
「どこが、といわれるとすべてといいたくなりますが……」
笑った顔のままアナイクスは左手の人差し指で眼帯を撫でながら思案した。よい助言を探すときのアナイクスの癖だった。トントン、と2回人差し指を叩いてから、アナイクスはファイノンに向き直った。
「そうですね、あなたは結論から逆算したでしょう。私とエフィメリアが恋人である、が起点ですね。そこがあなたの悪癖ですよ、ファイノン。その始まりでは恋人である以上のことは見えてこない。問題の構造に踊らされてはまだまだということですね。ひとことでいって、詰めが甘い。」
「……でも、秘密の恋人なんだろう?」
「ふふ。『秘密の恋人』」
その言葉を繰り返し、アナイクスは満足そうに数回小さく頷いた。先ほどから気に入っているのはこの言葉のようだった。
「その単語は非常に気に入りましたよ。まさかそんな浪漫にみちた言葉を、ファイノン、よりによってあなたの口から聞くことになるとは。エフィメリアが聞いたら喜びそうな響きですね、まあ、私は秘密にしているつもりはありませんが」
「人の感性を笑うのは良くないよ、アナイクス先生」
「あなただって、私のいうことを聞かないではありませんか。アナイクスではなくアナクサゴラスと呼んだことがあるのですか?」
揶揄いの色はふっとゆらぎ、そのまま先の評価を続けた。
「しかし、そういう意味ではあなたが答えた三点目『秘密の恋人となっているのはダクリスへの信仰のせいである』には事実であるというべきでしょうが……いえ、事実に基づいて否定しましょう」
アナイクスはそこまで言うと視線を外し、キメラが遊んでいる庭を眺めた。
「冒涜者のもとにいただけで周囲の信仰は揺らがないものですよ。だからこそ信仰というものは厄介なのです、それこそ世界がひっくり返らない限りはエフィメリアはその運命から逃れられません」
「そうなのかい?」
「ええ。しかし、こればかりはあなたたちがしらないことですから、答えられなくて当然。___つくづくダクリスは、本当に過去になったのですね」
まだ目も空いていない枝のようなツノを左右に生やした小さなキメラが草の上に倒れ込む。片目を隠した緑色のキメラが、倒れ込んだ幼いキメラの瞼を舐める。体液で瞼同士がくっついているから開かないことに気がついたのだろう。それがわかっているのか、幼いキメラは首元に擦り寄り甘えるようにアウアウと細い声で鳴いた。
あれは、ダクリスの遺伝子を元に作られたキメラだろうか。ファイノンはそっとアナイクスの横顔を伺うが、こちらに向けられているのは眼帯と髪に覆われている左側で、彼が何を抱いているかは何もわからないままだった。言葉を探すが何をどう聞けばいいのかわからないままだった。
ずっと後ろに控えていたキャストリスが一歩前に出ると、ぎゅっと胸の前で手を組んで、逡巡ののち、「アナイクス先生」と呼びかけた。
「あの……先生、ダクリスにはほかになにか伝説があるのでしょうか……?」
「キャストリス、あなたがほかの人の時間にまで口をはさんでくるとは珍しい。興味があるのですか?ダクリスに」
「……はい。以前から寓話集や童話に出てくるような創造物が実在するのであれば、ぜひお話を聞いてみたいと思っていたのです」
「そうですか、なら、エフィメリアと話すのが良いのではないですか? 彼女はダクリスの数少ない生き残りで、あなたの趣味とも近い専門ですから。」
「いえ、私が聞きたいのはアナイクス先生です。__アナイクス先生は、ダクリスの伝承を信じておられるのですか?」
「……私の回答はすでにあなたたちの手の中にあります。『あなたがたが《ダクリス》を知らないことがすべて』です。私の課題を達成したのですから、なにかひとつ対価を差し上げましょう。等価交換です。なにが良いですか」
「あっ、それなら、明日のオクヘイマでやる卒業の祝宴に来てくださいね、先生。先生もご自分の主席であるキャスたんのお祝いを欠席するなんてありえないですよね?」
「オクヘイマ……」アナイクスはこれでもかと不愉快そうに顔を歪めた。
「もちろん、エフィーたんもお誘いしてあります」
「……はあ。わかりました。行きますよ。どれだけ不快であっても約束は守りましょう。みなさん、ではまた明日」
アナイクスはそれだけ言い残すと、踵を翻し去っていった。その背中は昨日、それよりもずっと前から変わらない。あまりにも中途半端な問いに、ファイノンも疑問が消えなかった。__アナイクス先生は、これで何を確かめたかったのだろう。