世界から零れ落ちた薇から生まれた
翌日、オクヘイマのバルネア図書館の奥にファイノン、ヒアンシー、キャストリスは集まり、額を寄せていた。
「じゃあ誰から始めますか?」
ヒアンシーの提案に、ファイノンが手を挙げた。
「ここは僕から行かせてもらうよ。まず、僕はエフィーさんはダクリスの生き残りだと考えている。樹庭でこんな噂を聞いたんだ。いや、今じゃ実質おまじないといってもいいかな?」
「おまじない、ですか?」
「そう。まああまり気分のいい話ではないんだけど、ダクリスを恋人にするということはサーシスの恩寵を受けられるっていうことだよ」
「それは……またどうしてそんなお話になっているんでしょう……」
「ふふん、皆にも今朝方、石板に礼拝学派の教授から連絡が来たと思うんだけど、それは教授から聞いて、さっき真偽を司書さんに確かめてきたんだ」
礼拝学派の教授、という言葉に思わずヒアンシーとキャストリスの頬が硬直した。
ふたりの反応には気づかないまま、ファイノンは石板を経由してふたりに礼拝学派の教授からの返信と、司書からの答えを共有した。
「とはいえ、想像がつく流れではあると思うよ。伝承にがちゃんと、ダクリスはサーシスに恋をしていることも智者を愛することもちゃんと書いてあるからね」
石板を見つめ、キャストリスは礼拝学派に教授の内容に困ったように眉を下げた。
皆まで言わなくても、三人は何を考えているのかがよくわかった。ファイノンも自分の石板を見下ろし、件の返信を確認した。
《モネータが花が散ることを美しいと言ったのは寿命のある人間の美しさや儚さを湛えたから__なんて美しい結論なのか。そう、全てはタイタンの定めたこと、たとえ全てが滅びゆくエスカトンが来ようとも、タイタンがつくったこの世界は涙がでるほど美しい!それに反論し否定するなどもってのほかだ!だから我らはサーシスへの信仰を捨てない。捨てないために我らの信じるダクリスはまだ存在しないことを認める。》
「確かに樹庭には過去、そう言う信仰が流布していいたということ自体は事実だと認識していいと思う。まあ。これも正式な記録はではないから、噂話に過ぎないんだけれどね」
感情論でダクリスを否定しているだけで、実際にはどうという話にはなっていない。
「であれば、私の聞いていた話はファイノン様の話の助けになるかもしれません……」
「助けに?」ファイノンが目を丸くして、おうむ返しをした。キャストリスはゆっくりと頷いてから胸に手を当てながら語り始めた。
「はい……これはキメラを管理している山羊学派の方から聞いたのですが、信仰対象になるくらいですから、ダクリスはやはり神話上の生物だったそうです。神話上の生物と実際のダクリスこれには少々違いがあるというのが一説です。しかし、それを復興させる動きがあるそうで……それが、その、エフィー様の存在がきっかけだとか……」
「……ファイノン様と同じ意見ですね。やっぱりエフィーたんはダクリスということなんでしょうか……?」
「ん〜。話がこんがらがってきたね、結局ダクリスって何だろうか」
「それは……現在だと、大地獣などと同じように実在するタイタンの創造物存在であるとみなすのが一般的な認識だそうです」
「ちょっと気になることとしては、実際に確認する方法ってあるのでしょうか?」
「それは……根拠が足りず憶測にしかなりませんが、エフィー様はダクリスの生き残りで、そのエフィー様自身が実験体になる、とか」
エフィメリアはダクリスである。そうであればほとんど答えが決まったも当然だった。しかしそもそも関連がなければアナイクスはヒントとしてダクリスのことを調べろなどと言わないはずだ。
「…………アナイクス先生はそれが嫌だった?」
口にするとそれはとてもこの話に馴染んだ。ファイノンは子供のように抱きしめるアナイクスの手を思い出した。赤い刺青に金色の指輪、男性の角張った手。それでも手つきは不安そうにエフィメリアの身体を抱いていた。
「そうだね……ヒアンシーさんはどうだい?」
「わたしも改めてダクリスについて調べてみました!伝承というよりはどちらかというと研究資料をあたってみたんですが、少し興味深いことが出てきました。寓話集の中には書かれていなかったことですが、どうやらダクリスは人間の姿から樹化するようなんです」
「樹化……?それは、どういう状態なんだい……?」
「そうですね……これについて論じている論文があまりなかったので、わたしも正確なことは言えないのですが、どうやらダクリスは寿命を迎えると木になってしまうようなんです」
「樹に……?」
「ええ、もともとはダクリスの体の大部分はサーシスの神体が元になっていますから……でもこれについてはびっくりするくらい伝承でも語られていません、どうしてなんでしょう……?」
「これはどこから持ってきたんだい?」論文集を手に取ると年代物の埃っぽい匂いが鼻にきた。開くと砂埃が舞い上がった。
「それが……これ、アナイクス先生の論文なんです」
ヒアンシーがおずおず、といったように上目遣いでファイノンとキャストリスの顔を伺った。
「寿命を迎えると木になる。というのもわたしが解釈したものですね、なんというか、アナイクス先生自身が研究してそれを廃棄……いえ、没稿にしたものみたいなんです」
「……それってどこにあったんだい?」
「……アナイクス先生の書庫の中に。鍵がかかっていました」
「ええっ、それ勝手に開けて良かったのかい?」
「おそらく大丈夫だと思います。それに鍵と言っても謎解きのようなものだったんです。問題はこうでした____『ダクリスの花の色は何色?』」
「ダクリスの花の色……」
「はい。答えは『白』です。パルフォス古代寓話集にも書いてありましたよね……内容については要審議ですが、アナイクス先生がダクリスについて知っていて、それに関する真実を隠したいというのは事実だと思います。実際、伝承を信じていないという立場を貫くにしても、花についての研究ではなく木になることを隠す必要はあるのでしょうか? いえ。むしろ先生の研究のことを考えれば積極的に出すべきだと思います」
「そうだね。……先生の研究テーマは神性の解明。」
「私個人はそう思いませんが……それに花が散った後木になるのかもしれません」
「そうですね。なのでわたしのものは参考程度です。ですがアナイクス先生が何かを証明しようとした。この事実は手掛かりにならないでしょうか?」
「なるほど……それはあるかもしれない」
「他には何か出てきたかい?」
「他にはダクリスの論文がかなり出てきました。美学、神話論、モネータの司祭との対話記事、形而上学、古代生物論……おそらく樹庭にあるほとんど全ての学派で使えそうな資料です」
「なるほど……礼拝学派、山羊学派……結縄学派か。これで、よん、ご、ろく……でも、魂についての研究はないんだね」
「はい……作成途中なのでしょうか?」
「なんだか、情報が多くなってきましたね」
「そうだね。一度整理しよう」
ファイノンは人差し指を立てる。
「ひとつ。このパルフォス古代寓話集にダクリスというタイタンの創造物の伝承があること。伝承ではダクリスはサーシスとモネータが産んだとされている」
ふたりが大きく頷く。ファイノンはそれを視認してから二本目の指を立てた。
「ふたつ。この伝承が転じて、この樹庭ではダクリスはサーシスの恵みであり、ダクリスの恋人はサーシスから恩寵を得られるという信仰が生まれた。以上がダクリスの伝承だ」
「はい。おそらく、重要なのは後者のダクリスに関する信仰ですね」
ヒアンシーの言葉にファイノンは同意した。
「みっつめ。ダクリスという生物について。これは実際の生態だね。それこそ大地獣やエンドモ、僕たち人間だってタイタンの創造物だ。だからあくまでもサーシスとモネータが創造主ということは分類の問題であって、大きな問題ではないかな」
「……強いて言えば、サーシスとモネータが産んだ、としていることが気になる点でしょうか。植物性が強いですが、モネータの要素は少ないことが気になりました……」
「そうですね。確かにそこは気になりますがそれを説明したものはありませんね。モネータを信仰する側から生まれている伝承ですから、やはり主論は『花が散るさまは美しい』よって『人の儚さをモネータが称えた』という解釈なのではありませんか?」
「僕もヒアンシーさんと同じ意見だよ。これがよっつめ。ダクリスは人間の姿をしているわけだからね。人間との違いは死後に木になること。そして花が咲く。その花は白で、……論文によると神事に使われることが多いみたいだね」
「いえ、ファイノン様。ダクリスの花がいつ咲くのか、ということはどこでも断言されておりません……寿命を迎えたら人の身体から樹木に変わる、です」
「あれ、そうだっけ? でも寿命も死んだことも同じじゃないかな?」
「はい。限りなく近いのですが、実際のダクリスを分析したものがないので確証はありませんが、寿命という表現なことに意味があると思うのです」
「まあ考えてみれば植物、とくに樹木の死というと枯れることだね。種の姿でも死んでいるわけじゃない……眠っているだけだ」
「私が提示した山羊学派の論文はダクリスそのものを検証したように見えますが、実際はキメラを使った実験です。角に花を咲くキメラを覚えていますか?エフィー様によく似た」
「ああ、あの白い花を咲かせてた子ですね!」
「あれがおそらく一番ダクリスに近い存在です。ですから、生きたまま花が咲く可能性が高いかと」
「そうなると……ダクリスは人間の姿で活動する期間と樹木として生きる期間があるということですかね? 実際、あのキメラちゃんは、その、かなり激しく代替わりをしている子なんです。花を咲かせるほうに栄養素が持っていかれてしまうようで、ダクリスはダクリス同士で番うと、すぐに次の代の種を残して寿命を迎えてしまうようなんです。木になることは見たことがないそうですが……それならば、人の身で花が咲くということは、そうですね」
「はい。私も同じ話を聞きました」
「……花が咲いて、実がなれば人の身体を保てない……その可能性も高いんだね」
ファイノンは言葉を区切る。
「僕は、エフィーさんがダクリスだと考えている。でも、僕は、エフィーさんに花が咲いているところを見たことがない。これはおそらく、2人も同じだよね?」
「……はい。でも見えないところに咲いている可能性も捨てられません。ですが、その場合、ダクリスの花を隠しているということです」
「アナイクス先生もエフィーたんもダクリスは過去になったとおっしゃっていました。エフィー様はダクリスとして信仰されることを望んでいない。……もし、ダクリスとして信仰されている状態でアナイクス先生と恋仲であることが知られれば……」
「こうなると、アナイクス先生が何を言いたかったのかも見えてくる気がしないかい?」
「はい」
ファイノンは黙って、論文の題字を目で追った。なぜ花は散ることが美しいのか。それは神が定めたから。アナイクスはそれを認めない。信仰されることに違和感を覚えるのであれば、神を認めず批判するアナイクスの門下にはいることは違和感はなかった。
____もしそうだとしたら、アナイクス先生はどんな気持ちでエフィーさんを見ているのだろうか。