ひかりという研ぎ澄まされた欠損

ファイノンはオクヘイマの中でヒアンシーとキャストリスを探した。調べ物をするなら樹庭が一番だが、これについて答えを知ることはできない。エフィメリア、個人の話だからだ。ならば聞くべきはふたりしか浮かばなかった、アナイクスとアグライア。
オクヘイマを超えて、雲石の天宮へ向かう。すでに樹庭の祝宴は始まっていて、音楽と談笑で満ちている。人混みと顔見知りの挨拶を肩で交わしながら、ファイノンは回廊を走った。
頭の中で何度も何度も同じセンテンスが繰り返される。__エフィメリアはダクリスだが花が咲かない。それはなぜなのか? あの論文が書かれたのは先の礼拝学派の賢人が健在だった頃、かなり昔だといっていた。数百年の間、信仰される空間で生きていてかの樹庭の学者に花が咲かないことを暴かれないなどあり得るはずがない!
白い装束を着た同級生と、ピンク色のツインテールを揺らす教員助手の背中を見つけ、ファイノンはその肩を叩いた。
「キャストリスさん、ヒアンシーさん。いまちょっといいかい? アグライアがどこにいるか知っている? 昨日のアナイクス先生の問題について、どうしても確認したいことがあるんだ!」
「ファイノン様?」ヒアンシーが汗だくのファイノンを見て目を丸くした。
「あの論文を書いたのはエフィーさん本人だった!ちょっと気になるからダクリスについてもっと知りたくて」
「それならこれ以上のことはエフィーたんに聞くのが一番な気がしますが……アグライア様ですか……?」
「確かめたいことはひとつ。エフィーさんは花が咲かないダクリスなのかってことだ。エフィーさんがダクリスだといっている学者の人を見た。エフィーさんもそれ自体は否定していなかったんだ。でも明らかにアナイクス先生たちの言動はダクリスっていう存在自体を風化しようとしているし、ここになにかがあるんじゃないかな!」
身を乗り出して熱弁するファイノンを落ち着かせるように、ヒアンシーは背伸びをしてファイノンの頭を人差し指でつついた。
「一度落ち着いてください! アグライア様もこの祝宴には参加されますから、その機会を伺いましょう。わたしたちは黄金裔ですし、集まることには違和感はありません。どこにいるかを知っている人がいないか探しましょう」
「それには及びませんよ、ヒアンシー」
そう、回廊の向こうから、アグライアがこちらに向かってくるのが見えた。
「あなたたちは宴に参加しなくて良いのですか?」
美しい彫像のようにアグライアはわかりきったことを確認した。
「ちょうどいいところに!エフィーさんについて教えてくれないか?」
「ええ。あなたたちに必要なものを私もっていますから、それを差し上げましょう。あなたたちが知りたい答えはそこにあるはずですよ」
いつも通り優雅な所作でアグライアは三人を個室に導いた。そしてアグライアはひとつの美しい絡繰箱を手に取ると、金糸を使って開錠した。
「ファイノン、まずあなたの疑問に答えましょう、エフィメリアはダクリスですが、私が記憶している限りでは彼女の身体には花が咲いたことがありません」
アグライアは絡繰箱の中から、一冊の手記を取り出した。
「まず、私とエフィメリアの関係についてお話しいたしましょう。今から数百年前、このような噂が回りました。パルフォスのモネータの神殿にダクリスの故郷がありましたが、そこにいつまでも少女のまま、花を咲かせることがないダクリスがいると。そして、その少女の血は黄金の血である。ここまで言えばわかりますね、当時火を追う旅の指導者になったばかりで、盟友を求めていた私はその少女に会いにいったのです」
「そしてその少女がエフィーさん、ってことだね」
「ええ」アグライアは過去を懐かしむようにそっと目を伏せた。
「……この手記は実験記録? 手にとってもいいのかい?」
「ええ、お好きにどうぞ」
ファイノンがページを捲り、その紙面を三人で覗き込む。
「これ、アナイクス先生の筆跡ですね……実験体、エフィメリア……」ヒアンシーが言葉を失い、アグライアの顔を見つめた。
「正直、それを見た時には私は絶句しました。何も実験動物にするためにエフィーを樹庭に送ったわけではありませんから。しかし、読んでいくとわかるのですが。それがエフィーの希望なのですよ」
「エフィー様は、ダクリスという生物について解明しようとなさっていたのですか……?」
「ええ。そのようですね。アナクサゴラスはその片棒を担いでいたようです。しかし、ある時エフィーがこの冊子を私に預けてきました。樹庭にあるより安全な場所は私の居場所を置いて他にない、と。その時のエフィーの顔は____」
アグライアはそこで言葉を切ってしまう。表情の変化に乏しいが、明らかに何か適切な言葉を探すことに悩んでいるようだった。
「どうだったんだい? 怒っていたとか?」ファイノンは思いつきをアグライアに投げてみる。しかしアグライアは右手を握り、首を振った。
「……つきものが落ちたような顔でした。」
「じゃあ、あの、もしかして、わたしが見つけた論文はアナイクス先生のものではなく、エフィーたんが書いたものだったんじゃないでしょうか。でも、どうして知種学派に来て探求の手を止めてしまったんでしょう……?」
「それだ!それだよ、ヒアンシーさん!アナイクス先生は僕らにそれを問いて見せろと言っているんだ!」
「……何か事情ができたのでしょうか?」
これまでずっと黙っていたキャストリスがぽつりと疑問をこぼした。
「この実験記録からわかることは血液の成分分析、比較……魂の構成についてだね。よく見ると、エフィメリア以外に非検体がいるみたいだ。名前はアリストパネス、これもダクリス?」
ファイノンはアグライアに尋ねると、アグライアは静かに頷いた。
「ダクリスの里が滅んだ時の唯一の生き残りです。しかし、彼と話すことは叶わないでしょう」
「死んでしまったのかい?」
「いいえ、彼は死んではいませんよ。しかし、母なる樹の一部になりました」
樹化。
ファイノンたちの頭にはその言葉が点滅した。
「アグライア様はなぜダクリスがその……人間の姿を保てなくなるのかはご存知ですか?」
「ええ、知っています。ダクリスは花を咲かせた後。生殖のために全ての活力を使いますから、その過程で人間の姿から元の姿に戻っていくのです。だから最後に饗宴を開く、あれはとても美しく悲しい宴でした」
「花のことは実験に入っていませんね……破られた形跡もありますが、違和感があります。エフィーたんの花についての観察がないのは理解できますが、そのもう一人のダクリスについてはなぜ記録は残っていないのでしょうか。やはり、花に何かがあるんですかね……?」
「ほんとうだ」
項目は明らかに花についても記述されているが該当するページがない。アリストパネスは男性で、花が咲く。つまりは花が咲くのに性別は無完成と言える。アリストパネスとエフィメリアの違い。
「エフィー様は、私たちと同じく黄金裔なのですよね……他にダクリスの中に黄金裔はいらっしゃるのですか?」
キャストリスの言葉にアグライアは腕を組んだ。自分を抱きしめるように。
「ダクリスの中にエフィーを以外の黄金裔は存在いたしません。私も、あなたたちと同じ考えです。エフィメリアの黄金裔としての欠陥は花が咲かないこと……ダクリスにとって花とは生殖器官ですから彼女には子供をつくることができないということです」
その言葉にヒアンシーとキャストリスは言葉を失った。ただひとりファイノンを除いて。おかしい。反射的にそう思った。エフィメリアが生殖器官を持たないことを悔いているようには見えない。
記憶の底にしまった、あの二人の睦言を思い出す。
____この場では最後までしません。
明らかにあの場以外での行為を示す言葉だった。エフィメリアが愛しているのはアナイクスであってダクリスではない。ならば花などいらないはず。しかし相手が人間であれば、エフィメリアは行為に花を必要としていないのではないだろうか。
そう問いかけそうになって、全て飲み込んだ。言えない。恋人関係にあり、明らかに性的なあれそれがありそうな二人が口にする《最後まで》はつまり……。言えるわけがなかった。
その理不尽な衝動をファイノンは指に向け、一枚ページを捲った。そして、問題の項目を見つけてしまった。魂の構成の比較。
全てのピースは揃った。