今も昔もまぼろし
人生を棒に振る、なんて傑に説明したけれど、わたしには死んでしまおうという気力はなかった。同じく誰かを殺すことも。ただ、結果的に人を殺すかもしれない。呪いというものはそういうものだから。
わたしの耳は軽くてそれがなくしたものの大切さを語っていた。桜の花びらのカタチをしたピアスは他にもある、でも、あのピアスはそうそう代わりなんてないのだ。あのピアスの中には、昔、直哉くんが仕込んだ呪符が入っていた。寂しがりの直哉くんが、わたしがどこにいるかわかるために入れた呪符。けれどもそれも今じゃ粉々になってしまった。
だからというわけじゃないけれど、わたしの現在地は誰もしらない。禪院の追手の話も聞かない。これに関しては御当主様の心づかいに近いものだったから実際のところ、高専からは呪詛師扱いかもしれないけれど。
路地から商店街へ向かう。そのルートを選んだのはひとえに泊まっているホテルへの近道だからで、それ以上の意味はなかった、そのはずだった。
「禪院、おい、まて!」
一瞬足が固まる。苗字を呼ばれたのかと身構えるが、「禪院」と呼びながら声の主はわたしを追い越した。ああ、わたしじゃない。けれど禪院がここにいるのは違和感があって、わたしの他に立ち止まった人を探した。
禪院だなんて名前がわたしのしらない禪院とはとてもじゃないけれど思えないから。そこそこ人通りのある駅前の商店街のなかで、ふたつ、人の流れに逆らっている人影を見つけた。
黒いスーツの男と、ラフな格好の大柄の男。ラフな格好の男が振り返る、まっすぐわたしを見た。人ごみの中、刺すような視線。翡翠のような青緑色の瞳。わたしと同じ色。口の中がからからに乾く。黒髪も、目の色も、肌の色だけは違ったけれど、確かに彼は禪院の人間であるとハッキリと示している。だれ、どうして。
「と、うじくん……」
顔は覚えていない。自信なんてこれっぽっちもない。けれど、わたしの目の色は父と同じだ。甚一さんと甚璽くんはわたしの腹違いの兄弟だから、目の色がおなじでもおかしくは、ない。でも、どうして。生きてたの?
見れば見るほど甚璽くんだ、という確信ばかりが深まっていく。呆然と彼の目を見つめるわたしに付き添っていたスーツの男がなにかを耳打ちする。甚璽くんが首を振る。
それから、スーツの男もわたしへ視線をやった。顔が熱くなる。わたしはいったい何をやっているんだろう。来た道を戻る足はどんどん速くなって、いつのまにか地面を蹴り上げて走る。息が荒れて口でなんどもなんども浅い息をする。
禪院の家から出たってわたしは禪院家の人間であるのは変わらない事実だ。逃げられない。わたしですら逃げられないのに、直哉くんは。ああ、早く、早く、早くしなきゃ。早くしなくちゃダメだ。立ち入り禁止の札を通り抜けて、廃ビルをぐるりと囲む階段を駆け上がる。金属音が耳に悪かったけれど、そんなことに構っている場合じゃなかった。
コンクリートに四方を囲まれた長方形の室内は暑くて、一気に汗が噴き出した。もし、万が一、あれが甚璽くんだったとして。話しかけてもわたしに利はない。
禪院家に帰ろうとしているなら彼に関わるのは得策じゃない。これでいいのだ。きっと。背中が汗で濡れているのがひどく気持ち悪かったけれど、それよりもしなくてはならないことがある。早く、早く、早く。
足を引きずるようにふらふらと部屋の奥へ向かう。
床には男が三人転がっている。その辺の呪詛師だか呪術師だ。それぞれ同じようにロープで身体をがんじがらめにされている。もうひとつ特徴を上げるなら彼らはみな血を大量に流している。ひとりは腹の傷から、ひとりは首筋に、さいごのひとりは足のねじれているところに血がたまっている。誰一人として明瞭な言語を操るものはおらず、う、やら、ああ、やら意味のない母音だけを口にしている。
「お嬢ちゃんが例の呪詛師か?」
振り返る。黒いスーツを身にまとった男が気配もなくたっていた。『禪院』と呼んだ声と同じ声。呪詛師、やっぱりあんな風に失踪すれば呪詛師扱いされるに決まっている。結局御当主様とて最初から血など腐り果てているのだ。
「呪詛師と呼ばれる謂れはないけれど、たしかに呪術師とは名乗れないわね」
「女とは聞いていたがこんなに若いとは思ってもみなかったよ」
「……あなたが一緒にいた人は?大柄の青緑の目の男よ」
スーツの男は一瞬不審そうに眉根を寄せてから、一歩わたしに近づく。直哉くんの言う通りわたしはあの家の外では生きていかれないらしい。
「オマエ、術師殺しってしってるか?」
合言葉のようだった。きっと真相を知るには『はい』だろう。けれどきっと、この人の目の前で取り繕ったって見透かされるだけだ。確信めいたものがくすんでいくのが分かった。生き別れの兄弟じゃあるまいに、出遭えないに決まってる。半分しかちがつながっていないんだから。奇跡には頼れない。
「なら、教えられない。まあアイツに惚れたところで意味なんかねえよ、その年じゃヒモはやしなえねえだろ」
子供だと言うことはわかっているようで、彼は呆れたようにため息をついた。反応を見るに、よくあることなのだろう。
「彼のことを禪院って呼んでいたでしょう。もしかして、彼は」
よくできた笑みだった。禪院の名前は彼が提示した合言葉とは違ったけれど、彼にとっても意味のある言葉ではあったらしい。長いようで本当にわずかな沈黙だった。
「…………いや?そうだな、お嬢ちゃんに免じて、惚れたっていう理由以外なら、アイツの名字くらい教えてやってもいいな」
「兄によく似ているから、知りたいだけよ。ずっと前に死んだようなものだけれど」
「なるほど。アイツは……伏黒だ。婿に入ったんだと」
知らない名前だった。婿に入った、そっか、家族ができたんだ。甚璽くんには家族ができたんだ。歪で冷たい家族ではなくて、ちゃんとした、家族が。わたしの手を渋々引いてくれたあの春の日を思い出す。どうせみんな死ぬ。小さなわたしに言い放った言葉。大人になって人間になったあなたには、同じように、家族に言えるのかしら。
「……じゃあ与太話はここで終いだ。ひとつ聞くが、後ろの呪詛師はお嬢ちゃんがここまで連れてきたんだな?」
「ええ、傷をつけたのもわたしよ。みんな死んではいないわ、今はね」
「命乞いはしなくていいのか?」
軽い言葉だった。言葉とは裏腹に彼は懐から銃を取り出して、わたしの眉間に突き立てる。迷いのない所作だった。慣れているし、わたしを邪魔だと思っている。額に銃口がぶつかるくらい近くまで彼が近づく。
彼はきっとわたしの後ろに呪詛師のためではなく、彼らの仕事場を荒らす害虫を払うために殺すのだろう。
「わたしが死んでも誰も泣かないわ。とっくにみんなのなかで死んでるし、ひとは、遅かれ早かれ死ぬわ」
「そりゃ正論だな」
「泣いてくれるはずだった友人は一年も音信不通だし、実家はわたしを処分するに良い頃だと思っているし、兄も母ももう、いないから」
「いつかは皆そうなるさ」
適当に沈黙を埋めるように相槌を打つ。彼が銃を操作すると安全装置が倒れる音がする。目を閉じる。彼が「なあ」と声をかけた。
「ひとつ教えてくれるか」
「ええ」
「……お嬢ちゃんは禪院の生まれか?」
目を開ける。
「そうよ、ご覧の通り、もう亡霊だけれど」
そうか、彼がそう言った気がした。耳元でピアスが揺れた音が最後だった。春の匂いが立ち込める。ねえ、直哉くん。わたしたちは初めから一本道しか歩いては来れなかったね。きっと初めから終わりまで、わたしたちは愛し合えないし、家族にはなれない。初めから間違えていたというわけだ。
思えば、いつだって春だった。母がわたしを置いて行った日も、直哉くんがわたしの手を掴んだのも、硝子に恋をしたのも、甚璽くんの幸せを知ったのも、全部、春だった。わたしの人生は春しかなかった。それが悪かったことなのか、人として当然の歪みなのかはわからない。わからないけれど、それはきっと、素敵なことだと思うの。ねえ、そうでしょう?
◇
部屋の隅っこで光をまとうほこりをながめていた。おもしろいことなんかないけれど、おもいつくことはそれだけだったから。太陽は赤のクレヨンでみんな書くけれど、こうやって窓ごしにみると真っ白なのに、どうしてなんだろう。白は画用紙に使えないからかなあ。
そうやってぼんやりしていると決まって、廊下側からぱたぱた走ってくる音がして、襖が開く。そこからはいつも直哉くんが顔を出す。歩いてくることだってあるけど、どうしてだか、直哉くんがくるときは直哉くんだ!とわかるからすごくふしぎだ。今日もそうだった。
「巳晴、おれ、ええところしってるんや。ついたって言うまで目ぇ開けたらあかんからな、ぜったい、ぜったい」
直哉くんの手は世界で一番温かいものだった。小さな手をつなぎ合って、着物の裾を汚すのに怯えながら、雨上がりの庭を進んだ。ぜったい、という直哉くんの言葉はわたしにとって魔法のようだった。彼がぜったいというものは本当にぜったいなのだ。ぜったいじゃないことは今までなかったんだから。
「ねえ直哉くん、危ないところ通ったらだめだよ」
「へーきや、こない道どうってことない!巳晴の方が傷のこったらだめやしな。おんなのこやから」
「ううん。わたしよりも直哉くんだよ。とうさまにも怒られちゃう」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
直哉くんの声はどんな言葉にも負けないような響きを持っている。直哉くんのお父上からも彼に怪我がないように気を配るように言われていたから、わたしはいつだって瞑目したまま、直哉くんの衣擦れをずっと気にしていた。
「ねぇ直哉くん、もう、ついた?」
「まぁだだよ」
「ええ、どこまでいくの?」
「ここの道おわったらやね。巳晴は気にいるとおもっとるんよ」
「本当?」
「おれは巳晴にウソはいわんよ」
「じゃあ楽しみにしてるね」
甚璽くんもわたしの手をよく引いてくれたけれど、直哉くんのように心がぐちゃぐちゃにされることはなかった。甚璽くんの手は、ゴツゴツとしていたし歩幅なんか合わせてくれなかったから、直哉くんに手を引いてもらうのがすきだった。
かあさまがいなくなってからすぐ、わたしのところには直哉くんがやってきた。わたしをみてくれないような冷たいかあさまよりも、あったかい直哉くんがすきだ。
「ねえ直哉くん、まだつかない?」
「あとちょっと!」
痺れをきらして直哉くんへもう一度問いかければ、弾けるように明るい声が返ってきた。わたしで遊んでいるのかもしれない。ねえ直哉くん。なんや巳晴。なんでもないよ。それズルいなあ。秘密話をするみたいにわたしたちは道を歩いた。もうきっと家の敷地から出ている。きっと大目玉だ。
「巳晴!目あけてええよ」
怒られるのはいやだなあ、とぐるぐる考え込みながら目を開ける。
「……きれいね、どうやってこんなところ知ったの?」
「それは内緒や。周りにばらされたらかなわん」
「ふうん。でも本当にきれいねえ、桜の木」
「巳晴こういうの好きやろ?」
「うん。甚璽くんと直哉くんとかあさまと同じくらいにすき」
「…………巳晴のかあさまはもうおらんやろ」
「それでも、まだ、すきよ」
「おれが巳晴の側にいるのに、一番やないんか。つまらん」
拗ねたように直哉くんがそっぽを向く。桜の大木に背中を預けて、それでも手は繋いだまま。直哉くんの髪がふわりと風で揺れる。丸い頭が少しだけ広がってまたきゅっと小さくなる様子は、学校の子が話していた海に似ているとおもった。
「ねえ直哉くん、わたしね、直哉くんだけだったよ。ちゃんとずっと一緒だって約束できたの」
今まで誰も約束してくれなかった。わたしと指切りをしようとすらしたことがない。嘘でいいから針千本飲んで欲しいのに、誰も飲み込んでくれなかったのよ。直哉くんだけだったの。もちろん叔父さまが言うように、直哉くんを守るためでもある。でもね、でも。
桜の木が枝を揺らして、わたしたちの頭上に淡いピンクのはなびらが降る。直哉くんのあたまに一枚着地する。鼻先を掠める。肩の輪郭をなぞるみたいにひゅるひゅると落下していく。ねえ直哉くん。
「あのね、直哉くん。だいすきよ」
忘れたくないなあ、と思った。ゆっくりと染まる直哉くんの頬と、きれい、とつぶやいた直哉くんの声と、それから、それから。空に並べたわたしたちの宝物のことをずうっと覚えていたい。いつまでも春がいちばんすきでいたいなあ。
21.04.11