最後に残る空白に口付けて

 禪院家の近くにある老木の前に直哉くんはいた。ひっそり抜け出してきたのが一目瞭然の格好をしている。わたしだからわかるのかもしれないけれど。
 普段通りの袴と着物。瞑目して背中を老木へ預けているさまは随分と絵になっていた。小さな頃、ここで花びらを捕まえようと躍起になっていた日のことを覚えているだろうか。花と緑の若い木なのも相まってどこか混沌とした絵だった。

「ひさしぶり。ねえ直哉くん。あなたのお父様はもうくたばった?」
「巳晴」

 風がわたしと直哉くんの間を通り抜けていく。わたしのスカートの裾が風で膨らみ、伸びた前髪を乱して、直哉くんの人工の金色が激しく揺れた。円を崩すような風は不吉だ、そんなことを思う。
 ひさしぶり、といったきりわたしと直哉くんはどちらも何も言わず、家路を歩く。直哉くんの表情は何もなかった。おそらく、わたしへなんの感情も見出せなかったのだろう。無味無臭。
 数年ぶりの実家。2年ぶりの直哉くん。けれど全てわたしを異分子として迎え入れた。そうなるだろうとは思っていたからさして驚きはしない。高専を離脱したあと、当然のように呪詛師として扱ってきたのだから。

「あの死んでも死ななそうな御当主様がくたばったなんてことがあればもっと大騒ぎだから、今もご存命なのでしょう?契約の件で会いたいの」
「……よう顔出せるなあ。面の皮が厚くて驚くわ、いつから俺に命令できるほど偉くなったん?」
「そうね、契約が破綻したから」

 直哉くんの目が見開かれ「は?」と低い声が聞こえた。みないうちに随分と禪院家に染まってしまったらしい。残念だわ、という言葉は飲み込んだ。わたしとて禪院から離れていたのに、こんなにも禪院の人間らしくなっているから。仕方ないのだ。わたしたちは甚璽くんのようには生きることができないから。
 わたしたちはこの血に呪われている。だから、こうして間違えた人生を正解だと言い聞かせて、生きるしかない。はじめから。はじめから、わたしたちの人生は終わっているとも言える。

「取り次いでもらえなくても、反転術式が使えるってことだけは伝えて。禪院家を不幸にはしない保証になるなら」
「死に損ないが」

 吐き捨てるように、けれど、直哉くんの強固な外面笑顔がわたしの喉元へ小さな刀を突きつける。奥様によく似ている。ほら、この陰湿そうな目の細まり方だとか。

「……直哉くん、約束したでしょう?」
「約束?」

 忘れたわけはないのに直哉くんは言葉尻を取るように強く問いを投げる。忘れているはずはない。だって忘れているなら、死に損ないなんていうわけはない。

「どんな手を使ってもわたしを側に置くと約束したじゃない。ずっと一緒だって」
「最初にそれを破ったんは誰や?」
「ねえ直哉くん。忘れちゃったの?嘘でしょう?ねえ、わたしはあなたの役に立つために力をつけるって話でしょう?」
「知らん、巳晴、昔はかわいそうでかわいかったのになあ。……ああ、なるほどな、あの巳晴は死んだんやな。俺が阿呆だったわ」

 踵を返そうとする直哉くんの手を掴む。ああ、やっぱり遅かったんだわ!でも、わたしの全てを話すわけにはいかない。幼い日の契約まで語る意味はない。ねえ直哉くん。

「できない約束はしちゃだめなんだよ」

 はじめから全て間違えていたの、わたし達。わたしからこの春が去るまであと何年かはわからない。ただ、確かに終わりのある呪われた春だった。間違った季節。
 けれど、いつかこの季節も全て忘れる。

21.04.11