紛れもない朝
アンタの最期を決めるのは俺だと啖呵を切った。あの日は俺と先輩の影が重なることはなかったが、今日も明日も何回でも重なっては離れていくのだろう。先輩と同じ時間を、砂みたいにちいさな一瞬を積み重ねて。
あと何回の春が来ようとも、あと何回春を通り越しても、やっぱり手放せる予感はない。
♢
あと十分と隣で丸くなったよるさんから布団を剥がして、俺とよるさんの影はまたゆらゆらと逸れる。むくりと起き上がったよるさんの前髪はぐしゃぐしゃで、そっと指で梳く。「早く起きてくださいね。俺高専行かなきゃなんで」それだけ言い残して寝室を出た。
「だーれだ」
後ろから伸びてきた手に視界を奪われる。誰か当ててみなよ、というくせに、実際やる後ろの人が隠す気なんてさらさらないせいでとんだ茶番となっている。言い換えればカオスともいえる。混沌。さっきまで布団で丸くなっていた人とおなじには思えない。切り替えの早さには呆れる。
「ちょっと恵ちゃん、無視しないで。さすがに悲しいんだけど」
「なら相応の態度をとってください」
絡みついてくるよるさんの腕を肩から払って、俺はそのまま指を絡める。
すっかり春になったおかげで、よるさんの指先は乾燥していなくて、触り心地がいい。そんなこと言ったら揶揄われるに違いないから言わないが。
「おはよ、恵ちゃん」
「おはようございます」
一連のことをただ見つめていたあと、幸せを煮詰めたみたいな声音で朝の挨拶を紡ぐよるさんがなんだか愛おしくて、それを見破られたくもなくて、ふいと視線をずらす。
くすぐったそうにふっと笑ったよるさんは「どうしたの?」と顔を綻ばせる。その顔が見たいだけなんて言えるほど俺は素直じゃないから、別になんて口の中でもごもごと不鮮明に呟いた。
「ごめんね、恵ちゃんも朝忙しいのにいろいろやってもらって」
「本当にな」
「そこは謙遜してくれても良くない?」
「……よるさんって結構、いや、すっげぇ不器用ですよね」
そう返せば「じゃあ、恵ちゃんはそんな器用なの?」なんて、よるさんが俺の背中越しにテーブルを覗き込む。俺は自分がすげぇ器用だとは思ってはいないが、まぁ、人前には出せるレベルはあると思う。昔は津美紀と当番制で自炊していた時期だってあるし、まぁ、よるさんよりは上だ。
「まぁ俺は時間無いんでもう行きますけど」
「早くない?」
「高専の呼びだし」
簡潔にそう言えば「あ〜」とわかってるのかわかってないのか判断つかない調子で相槌を打ってくる。その態度に顔を歪めたら、やっぱりよるさんは楽しそうに笑って、そっと俺の頭に手を伸ばしてくる。
「恵ちゃん、かわいいねぇ」
「遊ぶな」
「え〜遊んでないよ。本気だって、本気」
「アンタのそういうところ面倒くせぇ」
うるせぇ、と俺より細い手首を掴んで、ひっぺがす。にこにこ笑うよるさんと目を合わせるのが気まずくて視線を逸らす。よるさんの目は蜂蜜だとか、甘いお菓子みたいにとろけてて、感情がダイレクトに伝わってきて、いやでも耳がカッと熱くなる。クソ、朝っぱらからずっと、格好はつかない。いつまでたっても俺より先輩ば一枚上手だった。
「俺は行く」
「拗ねないでよ」
「時間無いんで。アンタのバカに付き合うんだったら呪い祓ったほうが楽だしな」
「ごめんね、つい」
背を向けて玄関までの一直線の廊下を歩いて行く。謝る声は、俺を追いかけてきて俺の影とよるさんの影が重なる。
「恵ちゃん、こっち向いて」
「なんでですか」
はぁ、と肩を音して大きくため息を吐く。振り返れば「忘れ物」よるさんの声と共に、鍵が顔前に垂らされる。シンプルな銀色の鍵は、照明のオレンジの光に照らされて、白く反射し返している。大人しくそれを受け取って、よるさんの顔を見る。
「いってらっしゃい」
照れ臭そうに、未だに慣れていないような挨拶をよるさんが口にする。ポケットの中に入れた鍵を握り締めて、俺は口の中を湿らせる。
「いってきます」
小さな小さな砂みたいに、受け止めることのできない日々を積み上げるように。今日も朝が来た。
20.04.08