まばたきひとつで泣けてくる


俺だって、冷酷無慈悲な男ではない。
だから、目の前で盛大にものをぶちまけた人がいれば気の毒だと足を止める。そして、ぶちまけたものの一つが、俺の近くにあれば拾う。これは俺がお人好しだとか、そうじゃないとか、そういうことに関係なく。
もしこれが虎杖だったら話はもっと単純なのかもしれない。あいつはそういうやつだから。そんなことを思いながら、俺は顔を真っ赤にしている女に落とし物を渡した。

「どうぞ」

俺の手におっかなびっくりと言った動きで触れて、ぺこりを頭を下げた女にこれで終わりだろ、と踵を翻した。それと同時に、背中に「あの!」という声がかかる。このまま無視してしまうのは、流石にいかがなものかと振り返れば、頬を染めて、まっすぐな視線に射抜かれた。

純粋無垢。まっさら。
頭が勝手に視線に準じた表現を弾き出していた。白くてどこか津美紀を思い出すような、優しいもの。そうえば最近は特に、人を殺すような毒々しい物ばかりだったな、と記憶を探ってしまうほどに。「よかったら、このあとお茶でもどうですか?」その声に我に帰った。珍しいそれを観察していたからか、誤解されたらしい。

「すみません、人を待っていて」
「お手数はおかけしませんし……。なによりお礼ですから気にせず!アッほらすぐ近くのあそこでいいので」
「いや……お礼を言われるほどじゃ」

ぱっと見大人しそうだと思ったが、なかなか引かない彼女に、どうしたものか、と視線をめぐらす。つーかこれもう逆ナンでしかないだろ。おそらくその意識は周囲全体に散らばっていて、誰も俺たちの方など見向きもしなかった。

「よるさん」
「これなにがど〜なってんの?」

俺がよるさんの名前を口にすると、いつもより大きめの歩幅で俺の近寄ってきた。横目で彼女の方をみると、ほんのりと色づいていた頬が徐々に白くなっていく。よるさんといえばいつも通り飄々としたものだったが。俺を見上げてよるさんは、はて、と首を傾げる。

「で。恵ちゃん、わたしとそのオネーサンどっちがいい?」

最悪。思わず口の中でふた文字を転がしてしまった。隠し通せなかったらしい言葉に、なぜだか、よるさんの笑みが深くなる。んなこと言われたって。ね、ともう一度同じ音が繰り返される。

「恵ちゃんが選んで」

俺を見上げるよるさんの表情はいつも乏しい。無理に笑っている。いや、この人いつもこういう顔だった気はするが。とにかく違和感だからだった。とりあえず笑っている。それからいつもより回数の多い瞬き。数えているわけではないから、感覚的なものだ。
でも、よるさんの気持ちを測る上では十分だった。だからといて、最悪なことに変わりはないが。
なんでこうなったんだ、と思いつつ俺は、よるさんの背中を手繰り寄せた。

「わかってますよね、よるさん。断りますよ言われなくとも」
「わたしを?」

いくらここが道の端だといえど、周りからの視線はある。めんどくせー、と返すとよるさんはやれやれと言ったようにため息をつく。こっちがため息をつきたいんですけど?

一週間も出張に行ってたくせに、荷物の少ないよるさんの手から紙袋を奪い取る。実質荷物がこれだけというのもおかしい話だと思う。まぁ、流石にこれでわかるだろ。
一番いいのは察した彼女の方が、離脱してくれることだけど。紙袋の中には箱がふたつほど並んでいる。真希さんが欲しがっていたお菓子のパッケージがある。俺の脇腹をよるさんが突く。

「恵ちゃんさぁ、わたしは、ちゃんと言ってくれないとわかんないから」
「アンタなぁ」

よるさんの方を睨む。琥珀色の目がきゅっと細められて、俺と逆サイドを向く。

「あのッ!……いえ、あの、私は……」
「ああ、わたしはこの後の予定全部オネーサンに明け渡してもでも構わないけれど。恵ちゃんはどうなの?」
「……俺はよるさん以外とどっかいくつもりはありませんよ。つーかちょうど断るところだったんですけど?」
「ふーん、わたしじゃなきゃダメみたいなので

同意を求めるように彼女に視線をくれてやれば、まるで傀儡かのごとく、ガクガクと頷いた。

「私!!ここまでで」

彼女は脱兎の若く、ぱたぱたを慌ただしい足音とともに背中を向けた。人混みの中で人の方にぶつかったり、背中を強打したりと散々な目に遭っているのを見送る。流石に痛そうだなとは思うが、ここからでは何も手出しはできない。

「そんなお人好しだったっけ。悠仁のが移った?」
「……人並みの感情じゃないですか」
「なにそれ」

淡い色素の瞳が、いつも通り細まる。睫毛が震えて、連動するように細かい影が揺れる。黒い瞳の中に俺が映っているのは新鮮だったな。よるさんの目は淡い色だし、虎杖も五条先生も釘崎も目は明るいほうだったから。ぽつり、と鼻に水が落ちてきた。雨が降ってきたらしい。

「よるさんはとりあえずこれ」

よるさんの頭に、制服の上着を被せる。琥珀色がクエスチョンマークを浮かべた。呑気なその表情に、俺はひとつため息をついた。

「帰ってきたばっかりで風邪ひいたら困るでしょ」
「ひかないわよ。馬鹿は風邪引かないし」
「自覚あったんですか?それはそもそも迷信ですけど」
「悟の口癖」

最低な答えが返されて、自然と顔が歪んだ。今日一番のひどい顔の自覚がある。よるさんの顔が近づいて、お互いの鼻先がかすめる。背伸びをしているらしいよるさんの頭を叩く。風邪ひくつってんだろ。少しずつ雨足が強くなり出している。

「恵ちゃんってわたしじゃなきゃだめなんだ」

そうだよ、悪いか。

20.10.18