弱さも何もかもを食べてあげる



「アンタ、俺のことなんだと思ってんだよ」

 問うてみるが、よるさんは沈黙を貫いた。耳に刺さるような沈黙。加えて、俺の意図を探るような視線に耐え切れなくてため息を吐く。

 肩をトン、と押せばなんの抵抗もなく後ろに倒れた。ベットのスプリングに従ってよるさんの身体も弾む。少しは抵抗されるかと思ったが、そんなことはなかったらしい。

 抵抗のないのをいいことに、視線はよるさんの顔から首筋をなぞった。俺は、左手をギュッと握り込む。特に意味はなかった。さっき風呂から上がってきたばかりのよるさんの手のひらはもう冷たい。俺だってさほど体温が高いわけじゃない。でも。心のなかでひとりごちて、よるさんの腰を抱きこむ。首筋に顔を埋めて、額を肩に押し付ける。子どもがするような所作に嫌気が刺す。対等に見て欲しい。俺だってアンタの肩の荷ぐらい背負えるのに。

「……恵ちゃん、苦しい」
「そっくりそのまんま返します」

 そっかぁ、と気の抜けた相槌を打ってから、よるさんは俺の毛先で遊びだした。余裕たっぷりのその態度にイラッとして、顔をあげる。そんな俺を見てさらに笑みを深めるよるさんに「だから」といいかけて、やっぱりやめた。

「黙ってちゃわかんないよ」
「じゃあ聞きますけど。この距離で何も思うところはないんですね?」
「ないよ。どうしたの恵ちゃん、なんか変なものでも食べた?」
「ほんっと無神経だなアンタ……」

 仮にも俺とよるさんは付き合っている。いわゆる恋人だ。それはよるさんだってわかっているだろうに。恋人にはがいじめにされてもなにも思われないのは流石に俺だって困る。年下といえど、男として見られていないような気がする。付き合っておいてなんだという話だが。そもそも、一個しか違わないくせに。不満げな母音を口にするよるさんが俺の視線を煩わしそうに避ける。

「え〜、今日の恵ちゃんめんどくさいしすっごく童貞くさいんだけど……」
「……よるさん、俺、男ですけど」
「だから?」
「俺がアンタより年上だったらこんな思いしなかったかなって、考えてただけですけど」

 よるさんの服の布地に吸い込まれた声は、くぐもって、ずいぶんとふてぶてしい響きになった。ははは、と楽しそうによるさんだけが声を上げる。なにがそんなおもしれぇんだよ、とイラついた俺を宥めるように、ぽんぽんと背中を叩く。ぐずる子どもをあやすみたいなテンポ。

「ほんとさぁ、なんで恵ちゃんってこんなにかわいいの?」

 その声に我慢ならなくて顔をあげる。蜂蜜や朝日を煮詰めて溶かしたような瞳が、俺を映す。その視線はいつだって俺を年下であるとしか見ない。いつもならそこで折れるが、今日はそうはいかない。いつも同じ手で逃げられると思うなよ。

「そーかよ」
「わ。恵ちゃん、なに?」
「うるせぇ暴れんなばかよる」

 よる、といつもは呼ばないように呼ぶと、よるさんの動きがぴたりと止まる。空中に投げ出された腕も、全く噛み合わない視線も、真っ赤に染まっていく耳も、全部に向かっていってやりたい。かわいい、ってどっちのことだよ。絶対言えない言葉が口の中を湿らす。多分よるさんには聞こえてない。

「………めぐみちゃん、わたし、いつまでこうしてたらいい?」

 問いかけには一瞬視線をやるだけやって、左手で首筋を撫でる。冷えた手のひらの感覚に驚いたらしいよるさんがびくりと跳ねる。いつもの余裕はずっと遠くに消え去っている。いつもどれだけ気張っているんだろうか、この人は。

 愛おしくて、指でなぞったところに唇を落とした。跡をつけるよりも、よるさんの顔が見たくてそのまま目だけで顔を伺う。ばか。口の動きだけで抗議をして、ぎゅうと俺の身体にすがりつく。こっちの負荷なんて気にぜず思いっきりやってくるので色気もあったもんじゃない。つーかまじかこの人。

「ちょ、よるさん、さすがにこれは」
「言いそびれてたけど。恵ちゃんのことそういう風に見てないと、ここにこないから。そこまで危機感ゼロじゃないし……」

 よるさんの身体からゆるゆると力が抜けていく。圧迫感の代わりに、空気の冷たさを感じた。ひたすら言い訳を並べるよるさんに、状況の整理が追いつかなかった。

「は?」
「……恵ちゃんだけって話」

 悠仁とか、悟とか、棘とか憂太たちのところでだって。その先に続く言葉は、俺が食べてしまった。皆まで言わせてたまるか。その気持ちだけに支配されている俺はやっぱりガキだ。でも、そんなガキにいっぱいいっぱいになっているよるさんだって、大概だ。好きです、と囁けば、よるさんも知ってる。と微笑んだ。俺が欲しかったのはその言葉じゃない。でもそれは別に今じゃなくてもいいはずだ。

「よるさんもうちょっとそっちつめてください」
「ん。どう、はいれる?っていうかシングルベットにふたりは無理あるけど」
「まぁそうですけど。くっつけば問題ないでしょ。よるさんさむがりだし」

 腕の中によるさんをひっぱりこむ。俺よりもずっと身体は薄っぺらい。熱を溜め込めない俺たちがどうなるのかは、息を潜めた夜だけが知っている。

20.10.13