君の影踏み


「ほんと、恵ちゃんって、手がきれいだよね」

俺の右手をつかんでまじまじと見つめるよるさんに、俺は今日何度目かもわからないため息をついた。よるさんは俺のため息なんて意にも介さないので、どうすることもできずにうんざりとした視線をよこす。無意味かもしれなくても「よるさん」と呼んでみる。
よるさんは生返事しかかえさないで、俺の手で「大蛇」なんて笑っている。
よるさんの口元にえくぼが浮かんでいるのを見るともうなにもいえなくなる。自分でもちょろすぎるとは思う。想像はあくまで想像上なわけで。

「なぁ、よる……うっわ、恵。オマエなに鼻の下伸ばしてんだよ」
「……俺の手で遊んでるよるさんに言ってくださいよ」
「よるの手綱はオマエが握らねえで誰が持つんだよ」
「わるいな〜恵。俺からもイチャイチャしてるようにしか見えないわ〜、人間ってくっついてないとダメなの?」
「しゃけしゃけ」

禪院先輩はいつもどおりの対応ではあるが、それ以上にパンダ先輩が俺たちを一歩引いてみてくる。そのくせ視線は刺さるかと思うほど鋭利に感じる。

ふたりから発される圧に俺がただひとりぐ、と言葉を飲み込む。もちろんよるさんは俺が怯んでいることも、先輩たちの視線も意に解せず俺の肩に顎を乗せてくる。
この人も五条先生もみんなパーソナルスペースがおかしいだろ、どうにもならない感情でよるさんの顔を手で押し戻す。よるさんはともかくとして、ここで引き剥がさなかった場合、五条先生に見つかる可能性が高い。
そして、それは明日にまで格好のネタとなり、ずっとからかわれるという先例は両手じゃ足りないぐらいある。

つまりは、このままでいてもなんらいいことはないということだ。

「よるさんはとりあえず離れてください」
「恵ちゃんそんな唐突に。……眉間しわよってるよ」
「アンタのせいだろ」

顎をのせるのはさすがにやめたらしいが、さっきと変わらぬ距離で眉間に触れてくるよるさんの手首を掴む。さっきから禪院先輩の視線が痛い。完全に傍観者となっている狗巻先輩を縋るように見る。ぐっ、と親指が立つ。今はそれではない。間違いなく。よるさんを押さえるなりなんなりして欲しい。

俺ひとりの問題なのか?いや、俺とよるさんふたりの問題。ほかに頼れるのはいないらしい。本当に最悪だ。

「あー……もう、いい加減にしてください。周りからの視線が痛い!」
「周り?」
「アンタここが高専ってわかってないだろ……部屋じゃないんですよ」

どうすることもできなくて、俺は窓の外に広がる空を仰ぎみる。昼間の青はいつもどおりそこにただあるだけ。よるさんと空だけはいつだってブレない、いや、割と全員ブレることがないような。
今にも痛み出しそうな頭に、はぁ、と大きくため息が溢れる。結局、グレーのコンクリートに俺の視線が落ちる。

「じゃあ、最初から部屋でやれ」

両手で腕を包み、仁王立ちでこちらを見下ろす禪院先輩の目が細められる。レンズ越しにも関わらず身体に穴が開きそうだ。勘弁してほしい。フラフラになりつつよるさんをなんとか引き剥がし、立ち上がる。ああもう、勘弁してくれ。

「言葉の綾です……」

完全降伏。パンダ先輩と狗巻先輩が両サイドからなにも言わず、ぽんと軽い音がなるぐらいで背中を叩いてきた。よるさんにも人の心があったらしくて「なんか、ごめんね」と俺を見上げる。

「本当に反省してるんですか」
「ん〜?反省はともかくとして、後悔はしてない。……あっ、真希待って」

俺への謝罪を聞いたらしい禪院先輩はこりゃだめだと言わんばかりに顔を歪めたあと、そのまま顔をふって、そのまま歩き去ろうとする。

「よる」
「はい」
「別にオマエの男の趣味には興味ねぇけど、あからさまにイチャイチャすんなら他所でやれ」
「ごめん……」

俺が何を言おうとも右から左へ聞き流しているのかと疑うほどに飄々としていたよるさんも禪院先輩へ向き直る背中は弱々しいものだった。

「よると恵って付き合ってんの?いつから?もうチューした?」
「ツナツナ」
「付き合ってませんよ。入学前にちょっと会ったことがあるぐらいですよ」

俺の言葉を聞くや否や先輩ふたりは硬直した。そもそもそんな関係になれる見込みすら怪しい。相手はよるさんだ。

「オマエさぁ……攻め方間違ってんじゃね?」
「すじこ!」
「なんで俺がよるさんが好きっていう前提なんですか」
「高菜」
「そりゃ流石に見ればわかるだろ」

即答。顔が歪む。前に五条先生にうたた寝してる先輩と俺の写真が回ったあの時だ、間違いない。思えば五条先生は俺たちをすぐそういう関係に仕立て上げようとしていた覚えがある。最悪、今度殴ろう。

「恵ちゃん、コンビニ……ってなに男子3人で密集してんの」
「なんでもいいでしょ」
「そっか。ね、コンビニいこ」
「……奢りですか」

ふふ、とよるさんは笑って「いいよ」と返す。そしてそのまま俺の腕を軽くひく。抵抗だってできたはずなのに、俺は先輩の後ろをついていく。こんなつもりじゃねぇのに。

不思議だ、いつだってよるさんは大切なことはなに一つ教えてくれない。今考えていること全てだとかそういうふうに欲張っているわけじゃない。もし俺が先輩の足枷になるならいつだって諦める。追いかけるのをやめる。

だが、実際どうだ。よるさんは、俺がすきだと思える人は『最期』を告げてはくれない。恋の終わりも人生の終わりも……この曖昧な関係の行方なんて、どこにもありはしないのに。
日に当たって透けるよるさんのまっすぐな黒髪が、黄金にチカチカ光る。それに指を伸ばして、やめた。

よるさん。アンタが最期をいわないなら、俺に最期を決める権利はありますか。もう勝手に決めてしまいたいんですが、どうですか。



「私は別によると恵がどうなろうと文句はねぇけど、恵と付き合うなら任務の時の鬼電はやめろ」
「なんでよ、真希の声聞かなきゃ寝れない〜!」
「うたた寝写真悟から送られなかったか、パンダ、棘」
「えっ、なにそれ」

俺とよるさんが付き合ってるなんだというが、よっぽど禪院先輩とよるさんの方がらしいだろうと思う。パンダ先輩があれな〜とよるさんにスマホの画面を見せる。完全に先輩はノータッチだったのかアレ。

ブラックコーヒーだけが俺の救いだ。黒い液体を見つめて、ため息がでた。俺のため息に気づいた狗巻先輩がすっと、ポテトチップを差し出す。ありがとうございます、とお礼を言って軽くつまむ。

「恵とよるっていつからの知り合いだ?オマエ高専来るまで禪院家の奴とは会ったことなかっただろ」
「悟繋がり。恵ちゃんが高専入学する前に会ったの、ほら、被呪者警護、ほら、去年の」
「あー、それか。……初めてあった恵ってどうだったんだ?」
「ふは、つっけんどんのクソ生意気な中学生!」
「ウケる」
「しゃけ」

3人が同時にこちらをみて爆笑するので、「うるせぇ」と吐き捨てる。会話を再開するうるせえ先輩たちをおいて、立ち上がる。居心地の悪さが限界を超えた。
無論、最低という意味で。もし聞かれたら便所とでも答えようとだけ考えて、テーブルを離れるが背中に声はかからなかった。

よるさんは俺とどうなるかなんて考えてことがないんだろうか。
あの人だって大概俺のことをすきだろうと思うことがある。恋愛感情ではないという線も完全に消えたわけじゃないが、少なくとも側にいたいというストレートな感情ではある。そうじゃなきゃあの人がただのクズだ。

毎回のように夜遅くの任務終わりに俺の部屋へくる理由は。なぜ警戒心が強いくせに俺の前で寝たのか。泣かないでなんていうよるさんの震える睫毛。アンタのがよっぽど泣きそうだって言ってやればよかった。すきだ、やっぱり、特別だ。

「恵ちゃん、奇遇だね」
「……なんでこんなとこ来てるんですか」
「なんでだろ」

茶目っ気たっぷりに首をすくめて、俺の隣に立つ。自分はたった一言しか返さないくせに、俺にはもっと長く話すことを求めるよるさんに嫌気がさす。外の空気は、寮に比べると美味しいような気がする。
人工甘味料じゃなくて、自然な甘さ。目の前を赤い自転車が一台通り過ぎるのを目で追いつつ、俺は口を開く。

「あと10分したら戻ります」
「わたしもあと10分ぐらいここにいようかな」

今の俺と先輩の間には拳一つ分の距離がある。一歩にも満たない、高々十数センチの溝。さっきは物理的に埋まっていた距離。俺たちの頭上に広がるのはさっきと同じ色をした空だ。だが、俺たちの前にはさっきの赤い自転車はもう通らないだろう。同じで違うものが俺たちを形成している。

拳一個の空白。……曖昧な関係なら名前をつければいい。俺はもう最期を決めたんですが。

「よるさん、手を出してください」
「なんで?」
「いいから早く」

よるさんの左手が俺に方にまっすぐのばされる。俺よりも白い手の甲をまでで、そのまま握りこむ。少し汗をかいている俺の右手になにも言わず、なすがままになっている先輩が珍しくて、ふ、と笑って指と指を絡めるように手を繋ぐ。

「……恵ちゃんさぁ、わたしみたいな女は捨てれるようになりなよ」
「なにが言いたいんですか」
「恵ちゃんってばかみたいにまっすぐだねって。もう、ほんと、正方形じゃないんだから」

俺が一方的に繋いだ手は、力を込めていないからいつだって振り払えるものだった。このままだと俺はそれ答えにしますよ、よるさん。握り返してこない、素直じゃない先輩にやっぱり、呆れた。けど好きだった。

「もう埒あかないんで名前さんの最期は俺が決めます」

は、の音を出す口のカタチで先輩が俺を見上げる。正方形だとかばかだとか聞きたいことはたくさんあったが、全部をそのままにして俺は拳一つ分の空白を影で塗りつぶす。
逃げられないようによるさんをこちらに引っ張りあげる。耳元に唇を寄せて囁く。この人だけに届くように。

「左手の薬指は空けておいて下さい」

ほのかに握り返された白い指が、きっと答えだ。
20.02.26