嘘をついても正しいままで


 夏の影もオレンジも呑気で、嫌になる。わたしはこんなに泣きたいのに、世界は何も知らない顔をしてるんだから。鼻を鳴らしても、誰も迎えにはこないから、わたしはスカートのポケットから財布を取り出して確認をする。つい最近買った小さな銀色の財布の側面がオレンジを反射する。
 商店街に向けていた視線を逆方向へスライドさせる。コンビニの袋が足元に絡む。五つもあるそれをわたしは持て余している。数を間違えてしまうことに安心するのはなぜだろう。

 どうすればいいかな、と思った瞬間ひとつ年下のクソガキの顔が浮かぶ。不遜というか、人懐っこいというか、まあクソガキには違いない。悪いやつじゃないんだけど。そうやって彼に沢山の形容詞をつけてから気づく。なるほど、わたしも八戒のこと笑えないや。
 真っ黒を吐き出すアスファルトを通り過ぎて、小さなアパートまで走り出した。

「三ツ谷くん、八戒を笑わせるコツって何?」
「突然遊びにきたと思ったらソレかよ」
「だってアイツわたしの前だと表情凍らせてるんだよ?あり得なくない?ガキのころはルイちゃん、ルイちゃんって後ろについて回ってきたのに!だからユズハだって笑ってくれてたのにさ!」
「はいはい。オマエ今日ひとり?」

 わたしが差し出した袋を受け取った三ツ谷くんは、玄関のすぐそばで「お、シュークリームじゃん」とか呑気な声を上げた。わたしとそんなに変わらない身長の彼は、時々子供っぽくて、それ以上に大人ぽく見える。
 わたしが何をしても笑ってはくれない八戒を身体全体で笑わせることができて、なおかつ、暴力とかいう不毛なコミュニケーションを止めたひと。

「父さんはいま地方だからひとりよ、かあさんも忙しくて今日は帰ってこれないって」
「んじゃウチで飯食ってけよ」

 ぴかぴか、人工的な銀色が光る。中学に上がった瞬間に染めた銀色はとても三ツ谷くんらしいと思う。もちろん初めは驚いたし、不良なんかじゃ家族を守れなくない?って言ったけど。
 三ツ谷くんはまあ見てな、って歯を見せて笑った。太陽の下で見る彼の髪は本当にまぶしい。信頼に値しない言葉だったから聞き流してもよかったのに。それにもかかわらずわたしは未だに三ツ谷君のところへ来ている。矛盾。わたしの中に巣食う何かにいつも名前をつけられない。
 ルナ、マナ、と三ツ谷くんが妹たちを呼んだ。こんにちは、とふたりと目線を合わせて微笑む。ふたりは揃ってルイちゃんだー!ってわたしに抱きついてくる。ルナとマナ、ふたり分の重さに思わず目を細めた。

「オマエら、ルイちゃんのこと潰さねえように気をつけろよ」

 忠告をしてから、んじゃあとよろしく、なんて軽く子守をわたしに全部投げてきた。そうして三ツ谷くんはくるりと背中を向ける。ルナもマナもはあーいなんてかわいい返事を重ねた。それからふたりは顔を覗き込んできて、ルイちゃん、ルイちゃん、てわたしの名前をなぞる。左右で笑う姉妹がかわいくて、かわいくて、八戒も昔はこうだったなあなんてことを思い出す。

 ユズハは昔からしっかりした子供だったから、かわいい子にこんな風に名前を呼ばれると弱い。だってかわいいだもん。いや、ユズハに関してはわたしにもお姉ちゃんぶってわたしよりも柔らかな手を伸ばしてくるところがかわいかったんだけど。

 かわいいと呟くことに理由なんかない。砂糖菓子、微睡、深夜のホットミルク。優しいだけの、あったかいだけの、何か。
 ふたりの色素の薄くて細い髪を撫でる。蛍光灯の光に照らされて一部がさらに透き通った色になる。

「そういえばさ、お兄ちゃんのおでこの傷どうしたの?つい昨日学校で見たときはきれーなオデコだったんだけど」
「聞いてよルイちゃん!お兄ちゃんね、また喧嘩してたの!」
「ルイちゃんあのね、あれ、マナがはったの!」

 なるほど、とひとり合点する。今日職員室から出てきたのはそれか。昨日の放課後、うちの学校の制服着た不良が他校の中学生と喧嘩して、しかもそこに生活指導の鈴木がいて、とかなんとか。教室で囁かれていた話題の主役は三ツ谷くんだったらしい。

「ちゃんと消毒した?」

ひっついたルナとマナをそのままに、背中を向ける三ツ谷くんに問うてみる。

「あー、まあどうせ風呂入るしいいかなって」
「雑だなあ。あんまボコボコにされるとルナもマナも泣いちゃうからね。泣かせちゃダメだよ」
「誰に言ってんだよ」

 声は弾んでいる。いや笑い事じゃないから。横顔がどんどん大人びていく。三ツ谷くんが中学に上がってから一か月半。喧嘩で三ツ谷くんがこさえた傷こそあれど、ルナやマナ、それから八戒も傷ひとつなく過ごしている。家族を守るために喧嘩をするわけじゃないことは風の噂できいたけど。

三ツ谷隆はただの不良ではないのかもしれない。なんでも暴力で解決しようとしているわけではないから。髪を染める!と宣言した時に握られていた脱色剤をみた時に本当はちょっとだけ、ちょっとだけ、納得してた。金色じゃなくて銀色ってところとかさ。

……見るたびに思い知らされる、わたしは三ツ谷くんにはなれないって。
 手際良く夕食の段取りを整えていく背中を眺める。エプロンにはまだ着られてる感があるのに、なんていうんだろうな、そのアンバランスさが逆に良かった。うまく言語化ができない。カメラ持ってくるべきだったなあ。やっぱり、言葉はわたしに向いてない。

「本当ずるいくらいかっこいいよねえ。どうやってんの」
「アホいってねーで手伝えよ。こんなんでも一個上なんだろ、ルイちゃん?」
「揶揄わなくていいでしょ。っていうか、こんなんは余計だから!」

 あはは!大口を開けて三ツ谷くんが笑う。さっきまでちょっと泣きたかったのに、三ツ谷くんに釣られてわたしの口元も緩んだ。あーあ、全てに置いて叶わないや。今世こそちゃんと要望を書いておかなきゃ。来世は三ツ谷隆になれますように、ってさ。

 でも困ったことにわたしは三ツ谷くんが笑うとうれしくて、こんな表現が適切かわからないけど、あったかくてたまらないの。カメラを持ってくればよかった。そしたらあなたが笑う瞬間を撮れたでしょ。
 そしたら、わたしはあなたに、余すところなく伝えられる。

「今日のご飯なに?」
「ん、カレー。明日おふくろが休みでさ、ゆっくりさせてやりたくて」
 お兄ちゃんの横顔。しっかりしてるねえ、と言えばまあな、と軽い言葉が返ってくる。誇らしさも、自信も、少しも揺らがない音。昔はちょっと掠れてたのに、髪の色と引き換えにどんどん自信が濃くなっている。近くで見ててもあなたがわからない。
 ぐつぐつと鍋の表面が揺れる。端っこからぶくぶくと湧き上がってきた気泡をつぶすように三ツ谷くんは大きくお玉で円を描く。

「冷蔵庫開けてもいい?」
「いいけど、なにすんだよ」
「いや、せっかくだしサラダくらいならお手伝いできるしなーって」
「気ぃ使わなくて平気だって。白樺もルナマナと一緒に待ってろよ」

 わたしは野菜室からキャベツをとりあげる。ずっしりと重くて、手首が少し強張る。三ツ谷くんはまだなにか言いたそうだったけど、わたしは素知らぬ顔をして他の野菜にも手を伸ばす。トマト、きゅうり。これだけじゃ寂しいかな。玉ねぎもありかな。あ、ルナマナは生玉ねぎ流石に嫌がるかもしれないや。順繰りに手順を考える。一瞬停止した脳は、ここでやっと三ツ谷くんの焦れた「白樺」を処理した。

「無理させてねえかオレ?そういうつもりで言ったわけじゃねえんだけど」
「……あのね、こんなんでもねえ、わたしは三ツ谷くんより年上だからね?ね、このぐらいさせてよ」
「あ〜、もう。じゃあ好きにしろよ」
「ありがとう」

 もっと甘えることを覚えてよ。言ってしまえば良かったかな。でも、本当にこれを三ツ谷くんに言いたかったのか、名前を呼べなくなったアイツに言いたかったのか。もう一個もわからない。

21.07.12