目は口ほどに
 最近、風影様によく見られている気がする。

 自惚れでも自意識過剰でもなく、本当に見られている。
 風影室のある窓からだとか、里の人達に囲まれて話されている時だったりとか。
そういう時にじっと見てくる。

 かと思えば、何か用があるのかと思って振り返ると、何事もなかったかのように目を逸らされる。任務の話で直接本人を目の前にした時も、書類ばかりを見ていてこちらをチラリとも見て来ない。

 風影様ご本人が何も言って来ないので、気づかないふりを続けているが……。

「私……何かやらかしたんだろうか……」

 じっとりと朝から見つめる翡翠の双眸に、私は額に汗をかいた。

 正直言って、私はビビっている。

 風影様に見つめられる理由が思い当たらないからだ。
 思い当たる節もないのに監視のようにじっと見られるのは、あまり良い気分ではない。
 むしろ、プレッシャーに感じている。

 友人達は、

「もしかして、風影様は名前子の事が気になってるんじゃない?」

 などと面白がって勝手な事を抜かしている。

 私は「それはない」と即座に言った。風影様は上層部が設定したここ何ヶ月かのお見合いを全て断っているそうなのだが、その中には一刻の姫やら、商家のお嬢様やら、一般市民が手の届かないような位の高い女性ばかり。
 それでなくとも風影様の周りには、自分より遥かに顔面偏差値の高い女性や能力の高い女性が多い。そんな人達に見向きもしていないのに、どうして私なんかが好かれていると思えるのか。

 よって、あのクリアな瞳が性的な意味で私の事を見つめているとはどうも思えなかった。

 友人は言う。

「わかんないよ。あんた、任務以外はドジだからね。転んだり慌てているところを目で追って行くうちに……なんて事もあるかもしれない」
「まさか」

 私は友人達を一蹴して否定した。

 自分が見られているという事実は他者にも伝わっているようで、先日は自称「風影様を守る会」の会長とやらが私へ難癖をつけに来た。

「あなた、ちょっと風影様からお目にかけられているからって、自惚れない方が身のためだと思うわ! あなたみたいな人をあの方が見ているだけで好かれているなんて、勘違いも甚だしい。どうせ、風影様に何か失礼な事でもしたんでしょう!」
「……いやあ、特に身に覚えもなく……」
「嘘つかないで! 風影様はお優しい方だから、追求できずに黙っておられるだけよ! ……あっ! ちょっと! 待ちなさいよ!」

 毎回、逃げ切るのに苦労している。
 けれどそれもいい加減うんざりしてきた。
 いわれの無い事で何かを言われたり、答えのない理由を探し続けるのもちょっと……いや、かなり面倒くさい。

 風影様は嫌いじゃない。
 むしろ尊敬はしている。
 でも、里の中心になるような人と話題になるのは避けたい。
 目立つのはちょっと、苦手なのだ。
 できれば波風立てずにそれなりの忍道を貫き、それなりの人生を終えたい。

 私はこれから、終えたばかりの任務を報告しなければなかった。
 ちょうどいい。
 今日は風影様本人に私を見てくる理由を問い質してしまおう。夕日に照らされた私の背中が、煌々と赤くきらめいていた。

「失礼します」

 私は丁寧にドアを開けて風影様と対面した。
 報告書が積まれた机の上、彼は書類作業をしていた。端から端までサッと見ては判子を押し、要らないと判断された書類は脇の箱に入れられていく。

「報告に参りました」
「ああ。西側の集落の様子は?」
「はい、特に問題はありません。ですが……」

 言葉を濁した私の様子に、風影様がふと顔を上げた。私は彼をずっと見つめていたので、思ったように目と目が合った。
 すると、風影様の視線がゆらりと泳ぐ。
 私は眉間に皺を寄せて話を続けた。

「何か問題でもあったのか?」
「……はい。以前より気になっている事が少々ございまして」
「言ってみろ」

 私はさっそく目を逸らされたことに腹を立て、早々に尋ねることにした。

「風影様が少し前から私の事を見られている事についてです」

 ぐしゃ、と風影様が手元の書類を握りしめた。それは大切な書類ではないのか。
 表情は何も変わらないのに、彼の目は金魚すくいの魚のごとく泳ぎ回っている。私は畳み掛けるように風影様に尋ねてみた。

「こないだからずっと見てますよね?」
「ミテナイ」
「え? いや、私も一応、忍者の端くれなので視線には気づきますよ。毎日どっかからかこっちを見ていますよね?」
「見ていない」
「しかも振り返ったらあからさまに目を逸らされるじゃないですか。何でしょう、私、風影様に何か失礼な事でもしてしまったんでしょうか?」
「見ていないし、お前は何もしていない」
「ええ……? でも他の人からも風影様が私を見てるって言われるんですよ。何かあるのなら仰ってください」
「……それは」

 言葉を濁す彼に、私は首を傾げた。
 風影様の回答には腑に落ちないものがあるけど、ここまで言って本人が何もないというのだから、そういう事なのだろうか。
 口を割るつもりのない彼に問い質しても、これ以上は何もないと感じる。
 任務の報告も完了したし、もう行こう。

「わかりました。勘違いだったのに疑ってすみませんでした。失礼しますね」
「………あ、待っ……」

 私が踵を返して部屋を出て行こうとした時、風影様が椅子から立ち上がった。座っていた人が急に立ち上がったのを見て驚いた私は、思わず振り返る。

「どうかしましたか?」
「いや……」

 風影様は珍しく言い淀んだまま、口元を手で抑えて何か言おうとしている。何か伝えづらい事だろうか、と私もやや身構えたが一向に伝えてくれる気配がない。

 いつもスマートに、クールに仕事をこなす風影様はどこに行ったのだろう。

「……風影様?」

 私は少々心配になって彼の顔を覗き込むように見た。すると、風影様の白い肌はぱっと赤く染まり、隠すように手の甲でそれを覆った。

 ……熱か?

「風影様、お顔が赤いですよ」
「気のせいだ」
「ええ? でも、耳まで真っ赤ですし。熱でもあるのではないですか?」
「……あまり見ないでくれ」
「いつも見てるのはそっちじゃないですか……誰か呼びましょうか?」
「呼ばなくていい。……名前子」

 急に名前を呼ばれて、思わず短くはいと返事をした。
 ふうと呼吸を整えた風影様が、夕日を背景に真っ直ぐに見つめてくる。いつも目をそらす風影様が、初めて正面から私を見た気がした。

 髪先が夕陽できらきらと輝いて、綺麗だなと心の中で呟く。風影様の瞳の中に、自分の姿が映っているのがわかった。

「週末の夜は空いているか」

 黙っていた風影様が、急に私の予定を尋ねて来た。
 任務以外は予定のない私は続けて肯定する。

「え? あ、はい……空いていますけど」
「空けておいてくれ。大事な話がある」
「だ、大事な話?」
「そうだ。必ず一人でくるように」
「一人で……」

 人事かな?
 と、ちょっと思った。

 思った矢先、何かを感じた風影様が口を開いた。

「人事ではない」
「あっ、そうですか……」

 人事じゃないなら、何だろう。
 特別な任務の相談やお金の相談だろうか。
 お金には困ってなさそうだから、管理を任せたいとか……。

 そんな事を先回りして考えていたのが顔に出ていたようで、風影様はため息をついてそれらを否定した。

「急な任務や金の相談でもない。……まあ、いい。時間と場所は後で伝える。いい加減 俺も、見つめるだけは終わりにしよう」

 ふと、まとわりつく感覚を覚えてそちらを見やると風影様が使われている砂の一部が私の手首に絡んでいた。
 優しく腕を引かれると、風影様がとても近くに感じられて胸がざわつく。

 私がどうしてと不思議に思う間もなく、何かが私の片頬を包み込む。
 それは彼の砂ではなかった。
 私の手より大きくて、少しだけ体温の高い、風影様の手の平だった。

「待っている」

 急に耳元で甘く囁かれた事に、理解が追いつかなかった。
 低くざらついた声が、さっきの砂のように耳にまとわりつく。彼の視線が再び私と交差した時、私は彼の視線が伝えたい事がわかってしまい、ひぇと声にならない声を出した。

「あの……か、かえります!!」

 振り払うように風影様の手をすり抜け、逃げるように風影室を出る。扉を思い切り開けたせいで、すれ違う忍が何かあったのだろうかとびくりと肩を跳ね上げた。

 何かなら、あった。
 あの瞬間、彼の瞳ははっきりと私に愛を伝えていた。友人の助言を否定した自分が、浅はかに感じられる。
 全身が湯を浴びたように熱い。息が上手くできない。
 私はとにかく心臓の音を鎮めたくて、来た道を足早に帰って行く。

「どうしよう……」

 私は真っ赤になったまま、俯いた。
 週末が来るのが、恐ろしい。