傷者同士の一夜限り【前編】
赤い夕陽が砂の大地に沈んでいく。
今夜の里の中心は、いつもと違って賑やかだった。
人は浴衣に羽織を着て、音楽や太鼓の拍子の鳴る方へ向かっていく。
途中には食べ物や射的、輪投げなどの屋台が並び、飽くことのない楽しみが連なっている。
今日は砂の里のお祭りの日。
夜は気温が低いので、あまり長い時間は行われない。夕刻からの僅かな間に大きな火を炊き、老若男女がこぞって集い出す。
踊る者やパフォーマンスをする者、親しい者同士で会話に花を咲かせる者など、心擦り切れる砂の里の人達が憩う唯一のイベントだった。
その様子を、ボクは離れの窓からじっと見つめていた。
「……我愛羅様」
背後から夜叉丸に声をかけられて振り向く。夜叉丸はボクの身の回りのお世話をしてくれている、母さんの弟に当たる人。
ボクの大切な人。
「今日はお祭りですね」
「うん」
「……気になりますか?」
「……すこしだけ」
気にならないと言えば嘘になる。
お祭りは父さんに参加を禁止されているから、ボクはあの中には行けない。
感情で力を上手く使えないから、もし「問題」が起きたらお祭りが台無しになっちゃう。父さんにお前は来たらダメだって言われた。だから夜叉丸は、お世話をする代わりにボクを見張るように父さんに言われている。
「夜叉丸もお祭りに行きたかった?」
ボクは夜叉丸に尋ねた。
ボクのせいで夜叉丸もお祭りに行けないのは、可哀想だと思った。
夜叉丸は優しい顔をして、首を振って答えた。
「いいえ。私は人混みが苦手なので、我愛羅様とお部屋で過ごしている方が気が楽です。それにここからなら、花火も綺麗に見えますしね」
窓を開けるカラカラという音と一緒に、夜叉丸は空を見上げた。真っ暗な空には、未だ花火が咲く気配はない。
「そっか……」
「我愛羅様は行きたいですか? お祭り」
「…………」
ボクは黙って俯いてしまった。本当は行ってみたい。駆け出して、かき氷や綿あめを買って、友達と食べて、綺麗な花火を見たら絶対に楽しい。友達なんて、いないけど。
でも、
「……行きたい……けど、ボクがお祭りに来ていたら、みんなが怖がるから……」
じわりと目元が熱くなる。抱えていたクマのぬいぐるみを悲しくてぎゅっと抱きしめた。自分の楽しいを優先して、誰かの楽しいが無くなってしまうのは悲しい。
それが自分のせいなら尚更。
夜叉丸はずっとボクの話を聞いていたけれど、しばらくすると部屋から消えてしまった。どこに行ったんだろうと思って探そうと部屋を出てついていくと、数分足らずで戻ってきた。
手には、タヌキのお面を持っている。
「夜叉丸、それは?」
「去年の夏に売られていたお祭りのお面です。これを被っていれば、誰も我愛羅様だとは気づきません」
「え……じゃあ、ボク、お祭りに行ってもいいの?」
「絶対にお面を外してはいけませんよ。でないと私も我愛羅様も風影様に叱られてしまいますから」
「うん、うん……! わかった!」
夜叉丸が着替えを用意してくれている間、ボクは飛んでいきそうなほどワクワクしていた。
子供用の黄緑色の浴衣に、紺色の帯。背中にうちわを刺してもらって着替えを終えた。お面を被っている間に、夜叉丸も水色の浴衣に着替えている。
一緒に行ってくれるんだ……!
お面の下で、ボクは笑顔になってしまうのを抑えられない。夜叉丸がキツネのお面を被って、ボクに手を伸ばしてくれる。
その手をぎゅっと握ると、夜叉丸もお面の下で微笑んでくれたような気がした。
「行きましょうか」
こくりと頷いて家を出た。玄関から出てすぐの通りを、子供達が集まって駆けて行く。その先は人混みで溢れていた。
「手を離さないでくださいね」
「うん」
離したら迷子になるのはボクでもわかった。
ゆっくりと人に合わせて前へ進むのは初めてで、新鮮な気持ちだった。
両側には優しい光の提灯が奥まで続いている。その下に、イカ焼き、サボテン輪投げ、射的など様々な屋台が開かれていた。どの屋台も初めて見るものばかりで、眩しくてキラキラと輝いているように見えた。
「あっ、綿あめ……」
やぐらに大きく綿あめと書かれているのを発見して、ボクは指をさした。ちらりと夜叉丸の方を見る。視線に気づいた夜叉丸が、ふふっと笑ったように見えた。
「食べますか?」
「う、うん」
「わかりました。おじさん、ひとつ下さい」
夜叉丸が代金を渡すと、あいよっと気前の良さそうな男の人が機械を使ってくるくると割り箸を回していく。細い雲のような糸が段々と綿あめの形になっていくの見て、ボクは「わあ……」と感嘆の声を上げた。
「まんまるになった……!」
「ほらよ、坊主。落とすんじゃねぇぞ」
「ありがとう!」
いそいそと両手で受け取る。よく見ると、綿あめの店主はいつもの八百屋のおじさんだった。
ボクが昼間に店の前を通る度に、怖い顔をして店を閉める人……。
ボクはおじさんの顔をしげしげと見つめた。
そうか、今日のボクはお面を被っているから、ボクが我愛羅だって気づいていないんだ……!
複雑な気持ちになりつつも、優しい対応をしてくれるおじさんにボクは心がポカポカと温かくなった。
「おいしい……」
お面の隙間から綿あめを頬張る。一口食べるごとに甘さが口の中にいっぱいになった。夜叉丸にも一口いる?って尋ねたけど、お腹いっぱいだからボクが食べていいって言われた。
歩きながら食べるのは少し難しくて、持っていた手がベトベトになっちゃったけど、とても楽しい。
夜叉丸がハンカチを取り出そうとした時、少し向こうの方で男性の小競り合いが聞こえてきた。
「何だろう?」
「我愛羅様、私の後ろにいて下さいね」
彼が庇うようにボクの前に立った時、大きな男の人が人の波から倒れ込むように暴れ出て来た。
うわっと思わず声が出て、夜叉丸の浴衣にしがみついた。
この野郎とか、お前がぶつかって来たんだろうとか、言い合いながらお互いを殴りあってる。話し声から聞くに、どうもすれ違いに肩がぶつかって喧嘩になったみたい。
せっかくのお祭りなのに……。
周りにいる人達は、止める人が来るまで様子を見続けている。その時のボクは油断していた。片方の男の人が転がって来た時、ボクの顔へ目掛けて拳が飛んできた事に気づかず。
「あ」
夜叉丸もボクも反応が遅れた。
瞬間、ボクを守る砂がさあっと舞って拳を受け止める壁になる。驚いた男の人は、振り向いて青ざめた。この砂を使えるのは二人しかいない。里を統べる風影か、その息子である赤髪の――。
男の人が、口をはくはくと動かしながら答え出す。
「お前、まさか……が、」
ボクは気付かれたくなくて、弾かれたようにその場から逃げ出した。男の人が言い合いをやめた事で喧嘩していた相手や、周囲の人達がボクに一斉に目を向けたからだ。
嫌だ。
またあの目で見られるのは。
夜叉丸がボクを止めようとしたのが背中越しに伝わったが、この場でボクの名前を呼べない。躊躇した時に人混みにつまづいて、追いかけるのが遅れてしまった。
じわっと目元に熱いものが込み上げる。こんな事で、あっさりバレちゃうなんて。
もう少し楽しい時間を過ごしていたかった。まだ花火も見ていないのに。お面の隙間からポロポロと涙が伝っていく。
悔しくて、悲しくて、お祭りの人混みを逆らうように駆けていった。
いつしか走り疲れて、祭囃子が遠く聞こえる程度のところにまで来てしまった。
坂を駆け上がり、岩と砂しかない丘のてっぺん。
涙の痕を手の甲で拭いながら、岩の先端に座って里の様子を眺める。祭りの灯りがところどころに光って、里を照らしていた。
夜叉丸、今ごろ心配してるかな……。
もしかしたら、探しているかもしれない。けれど今は彼の元に戻りたくなかった。
どうしようかと思案に暮れていると、後ろで物音がして振り返った。
もしかして、夜叉丸……?
そう思ったけど、違う。とすぐにその答えをかき消した。夜叉丸なら、茂みの中から音を立てたりしない。
慌てて石の上から降りて、その影から様子を見やった。
父さまからの刺客だろうか。
ぎゅっと胸の当たりで手を握りしめる。そうであれば、戦わなければいけない。戦わなければ、殺される。
ボクがごくりと唾を飲み込み、茂みの方へと声をかけた。
「だっ……だれ!? そこにいるの……」
声をかけた拍子に茂みが大きく揺れた。
咄嗟にお面を被り直し、相手の様子を待つ。茂みからサンダルが一歩前へ出たのが見えた。
現れたのは、同じようにタヌキのお面を被った女の子だった。