傷者同士の一夜限り【後編】
 それから、何年かが経った。

 "俺"は夜叉丸に裏切られ、木の葉崩しにも失敗し、様々な出会いや経験を重ねて十年ほどの月日が過ぎていた。
 あんなに擦り切れていた自分が風影になって奔走しているとは、自分でも感慨深いものがある。

 里のことに注力する一方で、あの時、あの夏に出会った名前子の事を心のどこかで探していた。けれど、風影という位置に立っても名前子という存在は、里のどこにも見つからなかった。
 違う名前で同じような人間が居ないか、家系や住民の略図を調べても、該当すらしなかった。

 一生懸命に隙間時間を削って探しても手がかりがないのは、悔しかった。

 あまりに見つからないので、俺があの時に出会った彼女は幻だったのではないかとすら思うこともあった。
 友達が欲しい自分が見ていただけの、イマジナリーフレンドだと。

 ……いや。

 俺は岩の天辺から、里を眺めて静かに目を閉じて首を振った。

 あれは幻なんかじゃない。

 岩に登った時に引かれた手の温もりも、俺を呼んだ高い声も、全てこの身に感じたものだ。
 この里のどこにいるのだろう。
 もし生きていたなら、人目だけでも会いたい。
 会ってもう一度会いたい。それが今の俺の気持ちだ。

 夕暮れ時になり、少し肌寒くなるかと感じた時。
 背後から伝達の忍に声をかけられた。

「風影様。里の暗部が敵国から帰還しましたが、重症を負って帰ってきたようです」
「任務は?」
「そちらは成功です。怪我は敵国からのものではなく、道中に指名手配中の忍と遭い足元を見られ……負傷したとのこと。ですが重要な情報も手に入れたようです。話を聞かれますか?」
「ああ。俺から行く」

 ではそのように伝えますと言って、伝達の忍はその場から消えた。重症なら話す事も難しいのではないかと思ったが、忍の口調からするに話はできる状態なのだろう。

 風影の仕事はひとつではない。
 俺は夕日の沈む里の景色を今一度見渡した後、踵をかえし治療室へと向かった。

 部屋に一歩踏み入れれば薬品の匂いがつんと鼻を刺す。
 治療室には誰も居なかった。応急処置は終えたのだろう、一番奥の窓から近いベッドから足が覗いている。
 先程の伝達の忍が「あの者です」とだけ言って頷いた。俺も頷いてゆっくりと奥のベッドの前へと向かうと、そこには一人の女が横たわっていた。

「…………っ」

 その女を見て、俺は驚いて目を見張った。
 色素の薄い長い髪、両手足と首、顎までのたくさんの傷痕。暗部のお面をつけていたが間違いない。
彼女は――

「名前子……」

 ぽつりと呟いた言葉に、女の口が動いた。

「……風影様はどなたかと勘違いされておりませんか」

 冷たい声で否定されたが、俺の確信は揺らがなかった。

「勘違いなんかじゃない。お前は、名前子だろう?」
「違います」
「こんな形でまた会えるとは思わなかった。どうりで見つからないはずだ。いや、見つけられないはずだ」
「何の事だか……それより、任務の情報を先にお伝えしたいのですが」

 不自然にはぐらかす女の声音も、あの頃より大人びているが間違いはなかった。
お前は。

「名前子」

 俺はしっかりとその名を呼ぶ。

「会いたかった」

 そう告げると、名前子と呼ばれた目の前の女が被る面の隙間から、一筋の光が流れていく。

 それはやがて枕を濡らし、小さな染みを作った。声をあげずに泣く彼女の面を俺はそっと外して微笑んだ。うまく笑えていたかはわからない。でもどうでも良かった。
 再会の歓喜に唇を震わせながら、俺は彼女にこう言った。

「お前は、そんな顔をしていたんだな」