献盃


11高嶺の花




家で飲む一人酒はまた格別だ。何よりも好きな酒にいくらでも溺れられるし、誰に構う事もない。眠たいなら寝りゃあいいし、風呂に入りたいなら入りゃいい。


『前も言いましたけど、あの時サカズキさんが関わって下さらなかったら……車掌さんにも言えず、ホントに泣き寝入りしてました』

『か、感謝してます。それに、こうやって会って下さるなんて』

馴れ初めはそれだった。もしあの時、彼女が痴漢に遭わなかったら全く関わる事のなかった人間。同じ霞が関で働きながらも、すれ違ってはいても話す事もなく会う事もなかった人間同士だったろう。警察官の馴れ初めのきっかけが犯罪者とは皮肉な話ではある。だがそれはベルも自分も予期できなかった事であり、責められる言われもない。
彼女は恐らく、自分に会いたがっている。自惚れではあるが、そうでなければまた会ってくれますかなんて言葉は一切出てきやしないだろう。

だがベルに近づけば近づくほど、自分と彼女の年齢差だったり住んでいた世界が違っていた事に躊躇する。また、前向きに視野を拡げたいと思ったらしく、この間の自分の浅はかな人生説教は無駄では無かったようで趣味を探し出したらしい。それは微笑ましい限りなのだが、じゃあだからといって、彼女の視野を拡げた先に自分がいるのはどうなのだろうか。

もっと若い、偶然遭遇したあの青年ぐらいの若者と一緒にいる方がベルの為にもなるのでは。自分といるよりかは幾分視野ももっと拡がるはず。バツイチのおっさんなどに捕まる暇なんて彼女にはないのではなかろうか。

「難儀なもんじゃの……」

だめだ。
昔はここまで臆病じゃなかったはずなのに、一度バツがついたからか、それとも歳のせいなのか。
此方から連絡すると言っていたものの、どうにも気が向かない。ならば彼女の為にも一切合切きっぱり断ればいいのに、それも出来ない軟弱な思考が自分らしくもなく歯痒い。赤犬が聞いて呆れるだろう。

「……なんじゃ?」

スマホの知らせが鳴ってLimeを開くとテンセイから明日飲みに行かないかと誘われる。どうせ奴に遭うと進展したかどうか聞かれるし、今はあまり彼女の事で突かれたくもなく申し訳ないが終わらない仕事を理由に断った。


□□□□□


ーーーそれから2週間後。

ただひたすら、サカズキさんからの連絡を待っている。

「連絡来ない……サカズキさんから」

「何なの、ベル。ヒナ、面倒」

「うう、あっちから連絡くれるって言ったのに……」

週半ばだけど親友にどうしても話を聞いて欲しくていつもの居酒屋に呼ぶ事にした。最初はヒナも渋々といったところだったので、私が奢ると言い出したらかなり驚いたらしい。すみませんね、今まで一度も奢った事ないケチで。

ご自分から連絡すると言っていたサカズキさん。面倒臭がりでいい加減なタイプの人ならばここまで気にも留めなかったけれども、あのサカズキさんだ。律儀で謹厳なあの人が連絡しないと言う事は仕事で忙殺されてるか、もしくは私に興味もなくなったかの何方かであろう。
それに、今週の金曜はバレンタインだ。できる事ならチョコを直接渡したい。

「私、初デートで何か嫌われる事したかなぁ。思いつかないよ」

この間のデートを思い出すけれども、何か気に障るのような事をしたか全く身に覚えがない。不機嫌になったり難しい顔をされたりした時なんてあっただろうか。いや、もはやあの年齢ともなると表には出さないかもしれないが。

「あのね、一応あれでも局長級なのよ?多忙に決まってるでしょ。そんなに人肌恋しいなら他を探せば?」

「絶対イヤ、サカズキさんがいい」

彼が無理なら他の人で、とは行かない。恋愛経験がそこまである訳でもなく、三十路になってもこんな純粋な気持ちで人に惹かれるなんてそうそうない。以前にもヒナには言ったが、私は彼が好きで女性として見て欲しいのだ。
うだうだとヒナにどうしようか、引くか押すか答えのない悩みを相談しているが彼女は涼しい顔をして煙草を吹かせている。

「はぁ……とんでもない男好きになったわね」

「ハハハ、ほんと隅に置けんのォあいつ」

不意に私やヒナとはまた違う、低い男の人の声がして会話に入ってきてビビった。二人でカウンター席で座っていたのだが、カウンター奥の席で私達が来店してきた時から酔っ払ったのかずっと伏して寝ていたおじさんの声だったらしい。
むくりと起きたグラサンのおじさんの顔を見たヒナが第一声、心底嫌そうな表情だったのが印象的だった。

「げ。黒馬」

「馬……?どちらさまです?」

確かサカズキさんが赤犬で、この人が黒馬?別称があるならこの人も局長級の方なのだろうか。とにかく警察庁の局長級の方達はヤクザ顔でないと就任できない決まりでもあるのか、強面の方ばかりなのは何故だろう。

「あんた、東京地検のベルじゃな?」

あいつの好きそうなタイプじゃのォ、ハハ。
と一言笑われて私達の近くの席に座ってきた。


□□□□□


黒馬さんことテンセイさんは、サカズキさんと同じく広島出身で旧友の一人らしい。正月、Limeの友達追加の登録の仕方が分からなかったサカズキさんが、私の連絡先をこの人に渡してLimeに登録して貰ったゆえに、私の名前も知っていたと。
なるほど。じゃあ私の事色々話してるのかな……とむやみやたらにドキドキしていたが、テンセイさんはサカズキさんの20年前の話をつらつらと喋り始めていた。

「サカズキが離婚したんはもう20年も前の話じゃ。元嫁は京都出身のエリート警官でよぉ、えろうべっぴんじゃったわい」

「は、はぁ……」

「結婚生活は1年もせんで終わってしもうた。子どももおらんかったらしいが……些細な喧嘩から始まり、段々とすれ違っていったらしいのう」

離婚の話を人伝に聞くのも大変失礼な話だが、サカズキさんのバックボーンが少し聞けて安心する。誰しもそうだろうが彼も、一度バツがついていた事を後ろめたく何処か言いにくそうにはしていた。直接突っ込んで詳しく話を聞くのも失礼な気はしたので、触れないようにはしていたのだが。
テンセイさんがチラ、と此方を見てずいっと顔を近づけられた。グラサン越しに射抜かれるような視線は、流石警察庁幹部だからか迫力がまた違う。サカズキさんという強面の人で最近は慣れてるからいいけど、この人も大分強面なのでは……。

「お嬢さんよぉ。たとえばあんたが50代のバツありのおばさんで、20代の爽やか独身イケメンが言い寄ってきたらどげんよ?」

「それは…」

確かに、同世代くらいの若い女性と幸せになった方がいいと言って身を引くだろう。自分が50代になった時の事なんか考えられないけれど、少なくともバツまでついた自分を追いかけない方がいいとは思う。

「躊躇するじゃろ?普通。あんたとサカズキはそういう関係いう事っちゃ」

「ベルを諦めさせる為にここへ来たんですか?黒馬局長」

今まで黙って聞いていたヒナが話に割り込む。諦めさせると聞いて少し哀しくなった。世間でも年齢差のある夫婦やカップルを否定する声は多いが、別に法律で禁止されてる訳でもなければ誰かに迷惑かけている訳でもない。
しかし私の杞憂だったのか、テンセイさんからの答えは全く違っていた。豪快に笑いながらお酒を飲む姿は、まるでどこぞの俳優のように様になっていて思わず見惚れてしまう。

「逆よ、逆。ケツ叩きに来たんじゃ。サカズキのケツ叩くよりあんたのケツ叩いた方が早ェじゃろ」

「ケツ……」

格好いい、と素直に感心してたらケツケツ言われて勿論比喩なのは分かってるけど、随分無風流な人だと閉口していたら真に受けたと勘違いされてしまった。

「馬鹿、喩えじゃ。あがぁな寂れた親父小突くより、若ェあんたが動いてくれた方があいつも動きやすいっちゅう事っちゃ」

それって、つまり期待していいってこと?
バツイチで年齢差もある彼にとっては、若い私からアタックした方が上手く行きやすいと。確かに、私が50代バツイチおばさんなら20代独身イケメンの推しの推しに負ける日がいつか来るかもしれない。
先程までの不安が打って変わって淡い期待を抱いていたら、今度は天国から地獄に突き落とされる。

「とにかく押せ。好いとうなら押しまくれ。ダメじゃったらわしが骨くらい拾うちゃるわ」

「心配ご無用です。彼女の骨は私、ヒナが拾う予定なので」

「玉砕前提…?私」

偉い言い様じゃありません?この二人。
砕け散った骨を誰が拾うか談義されて複雑な気持ちだけれど、テンセイさんの仰る通り当たって砕けろ精神も時には大事かもしれない。
となると、連絡がちょっと来ないからって及び腰になるのはナンセンスだ。早速金曜日の仕事帰りに彼を誘おうとスマホを取り出すと、ヒナから制止される。少し酔っ払ってきたのか、心なしか顔が紅い。

「待ってベル、もっといい男は他にもいるのよ?正直アレにあなたは大変勿体無くってよ。ヒナ、当然!」

「こら、黙っちょれ!黒檻!」

「いいえ黙りませんわ。ヒナ、不服」

何だかテンセイさんとヒナがやいのやいの言い合っていて面白い構図になってしまった。警察庁の階級は詳しくは知らないけどヒナ、テンセイさんってかなり上の上司じゃないんだっけ…?
暫くのやり取りの後にまぁまぁと二人の仲裁に入ると、大人しく引いたテンセイさんから財布を取り出しこの場のお代をいくらか頂いた。申し訳ないと一度断ったが気持ち良く飲みに混ぜてくれた礼じゃ、と突っ返されてしまった。

「まぁ確かに?あがぁなバツのついた親父気に入るんのも大概物好きじゃがな、ハハハ。健闘祈っとるぞ」

「はぁ……何か、ありがとうございます」

「あ、わしが接触した事は」

「他言無用にしますよ、ご心配なく」

テンセイさんの言い様じゃサカズキさんには内緒で動いてくれたのだろう。一体どういう絡繰りでヒナと私が今晩この居酒屋で飲んでる情報を掴んだかは知らないけれど、警察庁の上役にまでもなると掴める情報もまた違うんだろうか。

「あぁ、忘れちょった。お嬢さん、念の為わしの連絡先渡しておこう。上手くいったら連絡せえ」

「え」

ひょいと連絡先が書かれた紙の切れ端を渡されてまた驚く。え、こんなに警察庁のお偉いさんと連絡先交換していいものなのか?すると一瞬だった。ヒナにも聞こえないような、偉く真面目な声で呟かれる。

「サカズキの事はともかく。あんた、周りによう……気ィつけろよ?」

「……は、はい?」

「ほならな」

周りに気をつけろとは。
この間のデートでもサカズキさんに忠告を受けたが、痴漢事件の被害に遭ったからかやっぱり隙があり過ぎる事を言われているのか……?一人だけでなく、二人までにも言われて少し怖くなる。まぁ、二人共私の身を案じて言ってくれたのだろうけど。
テンセイさんが居酒屋から去っていった処を未だぼうっと見ていると、ヒナから肩を叩かれた。

「ベル、ほら飲むわよ。折角の黒馬の奢りなんだから」

「うん、色々と強烈だったねあの人。テンセイさん?だっけ」

「赤犬含めあんなのがあと数人いるのよ。警察庁はしばらく安泰だわ」

「(みんな広島弁なのかな……)」



高嶺の花。
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