献盃


19本音




『お前もついて来るか?』

『……。いじわるな質問です、それは』

『此方は有り難いがのう。その方が』

『……すき』

もし地方に異動した話になった時、ベルに上手くはぐらかされたのが単に不満だった。

彼女の立場になって言えば確かに、仕事をほっぽいてまで自分について行くとしたら、それこそ結婚を見据えた同棲ぐらいまでの関係でなければ割が合わないだろう。当然ではあるし、言いたい事は十分わかる。だが、自分だって何も負担もせぬままついてきてほしいと言ってる訳ではない。彼女を養うだけの収入はあるつもりだし、そのまま家庭に入ってくれれば転勤が多い此方としてもそれは有り難い。というか本音はそうして欲しい。……簡単にはいかぬだろうが。

そんな踏み込んだ話すらも1ミリもせずに終わった話になった時点で、もはやヤキモキするのが嫌になってきた。つまり自分達はそこまでの関係ではない、と思い知らされたのである意味踏ん切りがついたのかもしれない。彼女は抱かれる時は途端にずっと一緒にいたいと素直になるのに、こと現実的な話をするとそんな事は一言も言わん、ゆえに。

ーー勢いで買ってしまった。

だが、後悔はない。いつ渡すか、場所はどうするか全く何も考えてもいないが取り敢えずは渡す物は用意した。あとはじっくり様子を見て、考える事にしよう。


□□□□□


日曜の昼下がり、一緒に昼飯を食べて一息ついていた処だった。ソファに座ってぼんやりとテレビを観ていると、横にいるベルは猫のように丸くなり、服の上からだが自分の胸に頬を滑らせている。何というかいちいち愛いな行動ばかりするので此方が保たないのだが、彼女はそんな自分の胸中など知らずに相変わらず呑気なもの。

「わぁ、この人結婚したんですね」

「若いのう。23か」

わざわざ速報で伝えずとも良かろうに、何処の番組
もこぞって芸能人やら有名人の結婚を大袈裟に伝えたがる。一昔前の俳優は役のイメージ作りの為にプライベートは世間に公表しない事が多かったが、最近はむしろ逆。しかも、順序が逆になった事さえも大っぴらにしている。

「おめでた婚ってやつですよね。幸せそう」

「……羨ましいか?」

「え。い、いえ……まぁ、幸せそうな所だけは」

彼女が羨ましいと思ったのは決して順序が逆になった事ではない、と言いたいのだろう。自分もそれには賛同するが。以前人生談議をした時彼女は確かこんな事を言っていたはずで、あの時に比べれば少し考えも柔軟になってきた処なのかもしれないと思い、聞いてみる。

「あれだけ無計画は恥晒しって言っちょったんは誰かいのう」

あの時のベルの激な言葉が忘れられない。普段そこまで怒りやら憤りを表さない彼女があの時だけはその片鱗を見せた。すると、彼女は少しむくれて言う。

「む、あれは両親の事を言ったんです。だって大学4年生の卒業間近に私を妊娠してたんですから」

「ほう?っちゅう事は……」

逆算してしまう自分が憎い。そして気づく。

「私の両親、実はサカズキさんと同い年なんです」

「……」

ーー複雑すぎる。
まさかそこまで若い両親だったとは思わなんだ。父娘程の年齢差だとは承知していたが、本当に一歳も違わず父娘の年齢差だとは思うまい。ベルには大変失礼だが、心の奥でせめて親父が離婚で不在で良かったと思ったのは墓場まで持ち去ろう。
此方の胸中はお構い無しに、彼女はつらつらと両親について言及する。先程まで猫のように丸まって頬擦りしてた彼女が一度、きちんとソファに座りながら。

「母はせっかく内定を頂いていた就職先からも勿論取り消されましたし」

「父親も同い年で就職先も決まっていたらしいけど、まだ将来を考えられないって言われて中絶を迫ったらしいのですが」

「母が産みたいの一心で私を産んでくれました」

「なるほど、のう」

結局学生結婚には至らず、ベルの母親は未婚の母を選択したと。大学は何とか卒業しただろうが就職先がない上養育費もなく、ベルの母方の祖父母からも勘当され貧困の極みの中で出産したらしい。

「私が親に対して無計画だって怒ってた理由、分かったでしょう?」

「あぁ、今なら合点がいく」

若気の至りと言えばそう。そのお陰で彼女は生まれた時から貧困の家庭で、小中学生時代はイジメに遭っていたし高校以降はバイトばかりで部活やサークルに入る余裕もなく、味気のない青春時代を送っていたらしい。就職してからやっと、自分で稼いた給料を貯金できるようになってお金だけが自分を救ってくれると思うと、結婚や家族に憧れがなくなって今に至ると。

…だが。その先で自分はベルに出逢えた事だけは忘れないで欲しい。

「じゃが、お前の母親には感謝せにゃならん。茨の道と分かっておきながら、腹の子下ろさんかったお陰でこうしてわしら、出逢えたんじゃけ」

「……」

「お前の怒りも分かるが、親を責めすぎるんも程々にせい」

確かにベルの両親は家族を持つには早まっただろう。身籠った女に責任も持たず中絶を迫った彼女の親父には怒りを通り越して嫌悪すら抱くが、母親は経済的にも精神的にも心細くありながらも彼女を産み、約20年育ててくれたお陰で今がある。自分がベルに出逢えたのもひとえに彼女の母親のお陰だ。

「サカズキさんには敵いません」

「ん?」

「私が子どもっぽくなっちゃう」

子ども、か。まぁ実際、父娘程の年齢差であるし人生経験も違う。もし自分にこんな娘がいれば、目に入れても痛くない程可愛がる自信はあるが。

「フッ。また父娘ごっこでもするか?」

バレンタイン時の父娘劇をまた思い出し、冗談半分で誘ってみる。あの時はまだ付き合ってない身分で、娘に成り切ったベルが妙に馴れ馴れしく腕にしがみついて来たのが印象的で、内心癖になりそうだったのはここだけの話。

「あ、それいいかも。ねぇお父さん」

「?」

ベルは娘役になると何処か積極的にくっついてくる。実際にこんなに甘えた声で会話する父娘なんて到底いないだろうが……。上目遣いで瞳を少し潤ませ、じっと見つめてくるこのあざとさは頂けない。自分が可愛いと自覚してやってると分かっているのに、好いた女ならむしろ大歓迎だと思うのは男の弱い処か?

「ベル、将来お父さんのお嫁さんになりたいなぁ」

「……」

「って一度言ってみたかったんです、ふふ。……サカズキさん?」

ーー確信犯か?確信犯なのか?
父娘じゃない時にその言葉を一番聞きたかったが。

現抜けただらしない顔を見られたくなくて暫く手で隠す。彼女は本当に無自覚に男たらしで困る。そういう隙があるから痴漢に遭ったり職場でも付き纏われるんだと言いたい。あぁ、くそ。何でこんなに愛い?

「抱く。演技はもういらん」

「え」


本音。
(本当はあなたのお嫁さんになりたいなぁって言いたかったの)

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