献盃


25挨拶




「ベル……ベル」

「え。あ、はい?」

「上の空か?もう小倉じゃ」

土曜日。
早朝からサカズキさんと一緒に新幹線に乗って博多駅に向かう。飛行機なら2時間位で着くけれど、新幹線なら5時間。私の閉所恐怖症のお陰で彼まで巻き込んでしまって申し訳ないと謝ると、気にするなと言われる。新幹線の中ではサカズキさんは何やら難しそうな文庫本を読んでて、先程までは東京で一緒に購入した駅弁を早めに食べ終わっていた処だった。

あれからずっと、日比谷公園で出会った父親の事が強烈すぎて、頭から離れない。これから家で会う母の事さえも気掛かりなのに、どうしてあの公園で出会ったのか、どうして私の事が分かったのかと考えてしまう。

「ごめんなさい。母の事考えてて…」

「心配せんでええ。水ぶっ掛けられても構わん」

「そ、そんな事はさすがに……!」

出会ったばかりの男性にそこまで失礼な事はしないとは思うが……。どうだろう、母はあぁ見えて短気な部分もあるので、無きにしもあらずとしか言えない。冗談混じりかとは思ったが、サカズキさんは本気でされても構わないと言った風だ。

「誰よりも苦労してお前を産んで育てたんじゃ。両親揃うとる家庭よりまた思い入れが違うのは当然じゃろ」

「……ええ」

そう仰って頂けるのは有り難い。
とにかく今は、結婚の挨拶が上手くいく事を願わねばと新幹線から降りる準備をいそいそと始める。博多駅まであと15分。短いようで、私には長い15分だった。

□□□□□


博多駅に着いて徒歩15分。比較的駅近で便利なマンションではあるが築年数は10年は経っている。母しか住んでいないので間取りは1LDKではあるが、一人で暮らすには十分な広さ。正月ぶりに帰省するが、あの時の気楽さとはまるで違い、何だか違うお宅にお邪魔する心構えだ。きっと、横に彼がいるからだろう。

玄関のチャイムを鳴らすと、はじめましての挨拶もそこそこに、母はいつもより少し畏まった格好をしてサカズキさんを玄関からリビングへ促した。箱根旅行の写真を前もって母に送ってはいたけど、実際の彼を見てもやはり驚いていた様子だった。
リビングの大きなテーブルに客用茶飲みが並んで二つあったから、サカズキさんと二人で並んで座る。すると、向かい側に座った母が早速、深々と頭を下げていた。

「まず、正月の新幹線で事件に遭った娘のこと。泣き寝入りしそうだったのをサカズキさん、あなたに助けて頂いたと娘から聞いております。親として何と申し上げたらよいか、本当に、お礼の言葉もございません」

「いえ……警察関係者として、当然の事です」

頭をお上げ下さい、とサカズキが言うと母もそれに従う。畏まった挨拶が終わったからか母は少し微笑み、表情も声のトーンも明るくなったので私も少々安堵する。
自分の母とはいえ、この表情や感じだといきなり激昂したり、サカズキさんが冗談混じりに言っていた水をぶっ掛ける事は流石にしなさそうだ。

「ふふ。随分貫禄がおありで……正直申しますと、最初娘から聞いた時は驚きました」

「すみません。驚かせたようで」

「いえいえ。出会いはつまり、その事件がきっかけなんでしょう?」

「ええ。ベルさんから事件のお礼に食事に誘って頂いて、それから」

あのサカズキさんから“ベルさん”、て。滅茶苦茶こそばゆいけどちょっと新鮮でもう一度聴きたいと思ってしまった。そう言えばこうして見ると、サカズキさんと誰かが喋ってる処って初めて見た気がする。広島弁、極力使わないで標準語遣ってるのも新鮮だった。

「うん。私から誘ったんよ」

「そう。娘はどうでしょう?この子、そそっかしくて隙だらけやから、東京に行って10年経っても未だに心配で」

痴漢は元より母に伝えてたけど、若干ストーカーっぽい後輩君の件は伝えてなくて、そう考えると今年に入ってから何かと隙が多いのか付け入られてる気がする。母の言う通り、心配をよくかける娘であるのは確かなのだろう。だが、話を振られてもそこはサカズキさん。大人らしくフォローして下さって感謝しかない。

「ご心配されるほどではありません。私が言うのも何ですが、御立派に自立されてます」

「まぁ、それは良かった。警察の方からのお墨付きなら、安心しましたわ」

「はは……」

サカズキさん、胸中で苦笑いしてるだろうなぁ。
結婚の挨拶って、結局私もサカズキさんのご両親ご兄弟が居られないので私からする機会はないのだが、こんな風な流れでやっていくものだと感心する。よく映画やドラマじゃ激昂した父親が娘は渡さないというシーンを見るが、実際はあまりないのだろう。そもそも、激昂する程反対するなら門前払いするだろうし。

それからひとつ、ふたつ、世間話が終わったという処でうまく話が途切れた。
一度軽く背広を整えた彼が、先程よりも声色を低くして落ち着いた口調で今日一番の肝心をつく。

「本題に入りますが、本日はベルさんとの結婚のお許しを頂きたくお伺いさせて頂きました。心より、大切に思うとります。私との結婚を許して頂けませんでしょうか?」

「お、お願いします」

「………」

ーーー怖い怖い怖い怖い。
私もサカズキさんに倣って頭を下げる。母の表情が全く読み取れないが、どうかこの結婚を認めてくれる事を祈るしかなかった。

「ええ。此方こそよろしくお願いします、サカズキさん。ただね」

「!……」

でた。
快くウチの母がOKを出す訳がないと思ってた。サカズキさんに娘と結婚したいなら何か条件でも出すのかとヒヤヒヤしてると、とんだ肩透かしを食らってしまう。
私はあまり、母という人間を知ってるようで知らなかったかもしれない。

「ウチの娘は、ご存知の通り片親育ちなんです。私も大した学歴や職歴もありませんし、父親がいなくて家庭環境が十分だったとは正直言えません。それでも、構いませんか」

ーーーお母さん。

こんな時にも思い出される“父親”。
幼い頃から母は父の事を悪口ばかり言っていたけど、同時に母子家庭である事を引け目に思っていた。ついこの間日比谷公園で出遭ったあの父親に対して、30年もの間本当のところはどう思っていたんだろうか。そして、今もどう思っているのだろう。
母の本心を、私は今まで聞こうとしてきただろうか。

「勿論です。私には勿体無いお嬢さんです」

「……不束な娘ではありますが。末永く、ベルのこと、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」

無事、母からサカズキさんとの結婚を認めてくれた。

心底嬉しかった。そのはずなのに、何処か胸の奥のしこりがまだ残ってる。目の前にいる人に直接聞きたい事があるのに、流石にこの状況では聞けない。ちら、と横に視線を移すと、安堵したのか、母から促された事もあり彼は今日、初めて出されたお茶を飲んでいた。

その後、入籍はいつにするか、式はどうするかなど軽く話してそろそろ席を立つ。まだ決めてもない事のほうが多いし、サカズキさんともゆっくり話し合わなければならない。

「一緒に住むのは、サカズキさんの転勤があってからなんやろ?」

「うん。そうするつもり。先に入籍したら流石に一緒に住むけど」

「じゃあそれまではまだ別々に住むんね。あんた、ちゃんと料理できるように練習しとかな」

「言われんでも、わかっとるよぉ……」

母子家庭だったので学生時代から専ら家事は一通りやってきたけれど、料理の味付けや盛り方、切り方、栄養バランスについては悉く注意されてきたのを思い出す。東京に来てやっと母の指導から解放されたと思ったけど、またお節介にも口を出してきそうだ。

それでも今日はとにかく、快く結婚を認めてくれた母には感謝しかない。

「サカズキさん。福岡は観光する所あんまりないですけど、ご飯は美味しいので。あ、でも、太宰府天満宮ぐらいは寄ってってくださいな」

「ええ。今日は本当に、お時間頂きありがとうございました」

「いえいえ。無事東京に戻るまで、お気をつけくださいね」

深々と頭を下げて、最後の挨拶まで隙のない人だと改めて思う。警察庁のお偉いさんまで登り詰めても、偉そうに人を見下したり地位をひけらかさないのはこの人の人格なんだろう。外見は本当に強面だけど、人は見かけに寄らないとはよく言ったものだ。
そういう処がまた、好きなところでもある。

「それじゃあね、お母さん。また連絡するけん」

「うん、色々決まったら教えてよ。ちゃんと」


□□□□□□


マンションのエレベーターを降り、時間はまだ午後3時すぎだったので取り敢えず駅近に予約したビジネスホテルに一度向かった。

「はぁ………」

「ええ母親じゃったのう」

開口一番、母親の事を褒められて照れる。今日一番緊張したのはサカズキさんだろうに、疲れた様子も見せず普段と変わらない。仕事柄、こんな修羅場はよく当たっているからだろうか?母も言っていたが、貫禄があり過ぎてむしろ母の方が圧されてたのもしれない。

「ありがとう、サカズキさん。緊張したでしょう?」

「いや……向こうの方が気疲れしたじゃろ。迎え入れる側も気遣いするもんじゃ」

確かに、部屋の掃除やお茶出しだってしっかりしてくれていたし、服装も見た事ない服だった。親は親としての迎え入れ方があるのだろう。そこまで気遣える彼の思慮深さにまた頭が下がってしまう。私も50代になればこの位の人間力が身についているのだろうか。

「正直ね。お母さん、凄く反対するかなって思ってた」

「ほうか?」

「ほら、サカズキさんが以前気にしてたでしょう?年齢差だとかバツイチとか。母もそういうの、気にするんじゃないかって思ってて」

「まぁ、それを気にしちょったらそもそも挨拶どころか門前払いのはずじゃろ」

仰る通り。だから電話で伝える時が一番緊張した。思えばあの時には母の中で大体決まってたのかもしれない。もしかしたら母にとっては、自分達を捨てた父親に比べれば天と地の差でサカズキさんの方がマシとでも思っているかもしれない。

「うん。難なく終わって良かったけど。ちょっと拍子抜けしちゃった」

これでいよいよ、心配事は一つ。父親の事だけ。
流石に今回は無理だけど、母にいつ父親の事を聞いたらいいだろう。本当なら直接会って話すべき事だけれど、今日明日はサカズキさんがいるから無理だろうし。だが、東京に帰ってしまえばまた福岡に戻る事なんてそうそうない。

もう少し、時間が経ってから父親の事について聞いてみるべきだろうか。
ずっと胸中で悩んでいると、いつの間にかホテルの部屋の中に入っていて、ベッドに座って初めて視線を感じた。視線を辿ると、腕を組んで何処か不満気な顔した彼。

「な、なんですか?」

「今日はずっと、上の空じゃのう?挨拶は無事終わったんじゃ、なして晴れた顔をせん」

「え。全然、安堵してますけど……」

サカズキさん、流石鋭い……。
正直に言えば、安堵した気持ちと悩み事が渦巻いていると言ったところ。彼にも相談しようかと思っていたが、只でさえ結婚の挨拶の件があったので余計に心配させたくはなかったんだけれど。
どうだろう。今なら父親の事、相談すべきなのだろうか。

「っ……」

「……」

私の返答が気に食わなかったのか、近くまできて横に座ってじっと見つめられる。う、私はサカズキさんのこれには本当に弱い。正直に言わないと許さんぞ、と言われてるような気持ちになるが。折角今日、挨拶を頑張ってくれた人に、次の悩みを打ち明けられはしなかった。

「あんまり見つめられると、その……照れます」

「いかんか?自分の嫁見つめちゃ」



挨拶。
(は、反則です!そういうの!)
(何がじゃ。慣れていかんかい)

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