30家計簿
彼の家から何とか泣きながら帰った後、私は徐ろに母に連絡した。もう、福岡で直接会って話したいなんて悠長な事は言ってられなかった。
「お母さん……」
「あら、ベル。あんた、サカズキさんとはどうね?上手くいきよる?」
「お父さんに遭った、先週」
「!?……え。ほんとね……」
心底驚いた声だったが、何処か心当たりはあったようで段々歯切れが悪くなった。
「お母さん、お父さんと……まだ連絡しよるん?」
「………。あんたの節目節目の写真だけ、お父さんの実家に送っとったったい。此方(福岡)の連絡先や住所は知らせとらんけど、東京地検で立派に働きよう事は伝えとった。娘の成長を、あの人は知らないかん思うて」
やっぱり。
だが、母のそのお節介がまさかこんな事を招くとは思いもしなかっただろう。もし母が父に私の勤め先なんて教えなければ、永遠に真実に気づかずに済んだかもしれないのに。
「サカズキさん、バツイチって言ったやん。その元奥さんの旦那さんが、ウチのお父さんやったらしいと」
「…はぁ!?」
ありのまま、彼から伝えられた事を話した。彼の離婚の原因と元奥さんの浮気、浮気相手がかつての私の父親で、結婚した後一人息子を儲けて、この春に離婚した事。サカズキさんの旧友や同僚の方が、京都駅で家族連れの父親を目撃しており写真も合っていたと言うと、流石の母も衝撃な事実ではあったが信憑性は十分あったようで疑う事はなかった。
「そげな偶然……あるとね!?ちょっと待ちんさい…それ本当ね!?嘘やろ……」
「お母さん。私、この結婚……もう。やめる」
「ベル!」
元々、一人で生きようとしてたんだもの。結婚なんて贅沢だったんだよ、私には。
「ちゃんとサカズキさんとは話したと?」
「……いや」
正直、会って冷静に話せる気がしない。私の事を間男の娘として見るサカズキさんから、別れの言葉も詰られる言葉も聞きたくはなかった。とはいえ、此方から一方的な別れのLimeなんて絶対許してくれなさそうだし、職場もお互い知ってるから逃げられない。母の言う通り、会って直接話さなければサカズキさんは絶対納得しないだろう。
「話しなさい、ちゃんと。こういう話から逃げたらいかん……!」
「でも」
「あんたはお父さんとは違う……!あんたにはあんたの人生があるとよ!?」
正論だと思う。母はいつも私の事を考えてくれてる。わかってる、それが母の愛情であり誰にも頼らず私を育てようとしてくれた覚悟だった。本当に感謝してる。でも、今の私には詭弁にしか思えなかった。言いようのない憤りが、言葉にしないと収まらなかった。
「……お母さんが!お父さんに私の勤め先なんて教えんのけば!こんな事にはならんかった……!」
「!……」
そんな処責めても何にもならないのに、私はとにかく何処にもやり場のない怒りをぶつけたかったのかもしれない。確かに母のお節介のお陰で父は私の居場所を突き止めたが、一番責めたいのはそこじゃない。
責めたいのは身勝手な父と母だった。31年前、子どもを育てる覚悟もなかった大学生の分際で、無計画に子どもを作ったから。幼い頃は貧乏な家庭で色々我慢だってして、母を恨んだ。今度は人様の家庭を壊しただらしない父を恨んだ。
どうして巡り巡って、子どもの私がこんな辛い思いしなければならないのか。
何より、自分の存在のおかげでサカズキさんはもう傷つかなくてもいい過去の傷まで抉られたのだ。私だけじゃない、二人の身勝手さが関係のない人まで巻き込んでるのが到底許せなかった。そしてそれが、私の大好きな人であるなら尚更。
「勝手だよ!産まれてからずっと、お父さんもお母さんも!ちゃんと、ちゃんとしてよぉ……!何でだらしないと?何もかも!!」
「ちょっ」
一方的に電話を切った。その後も何度か着信があったが、出たくなかった。
□□□□□
その次の日。
初めて自分の体調不良で年休を取ったかもしれない。泣き腫らしすぎて頭は痛いし、鼻水は止まらないし、酷い顔。あまりプライベートの事で休みたくはなかったが、流石にショックがあまりにもデカすぎて今日は仕事どころじゃなかった。
何もしないと、昨日のサカズキさんや母の事を嫌でも思い出してしまうのでここ数ヶ月、テーブルの上にほっぽってた家計簿に手に取る。そう言えば彼と出会って家計簿なんてしなくなった。正確に言えば、土日に彼の家にばっかり行ってたので家計簿をつける暇もなくなった。
気を紛らわせようと軽く今月の家計簿をつけ、スマホの電卓アプリを開くとLimeに通知が一通。
【今夜そっちに行く】
「え……」
昨日の今日なのに、私は未だ頭の整理がつかない。せめてもう少し時間を頂けないかと伝えようと思ったが、Limeで遣り取りするのも気が引けた。別にサカズキさんはウチの合鍵は持っていないんだから居留守使えばいいかもしれないけれど、流石に失礼すぎると思ってやっぱりやめる。
刻々と時間が過ぎるのが早くて怖かった。
別れを告げられる、いや私の方から先に別れを告げるべきか。うだうだと考えても、時間は待ってくれない。現実逃避したくて布団に潜りこんで寝ようとしても寝れないし、テレビをつけても興味のないバラエティ番組が無駄にハイテンション過ぎて消すはめになる。
その内時計が21時を回った頃に、インターホンが鳴って恐る恐る出ると予想通り彼が映っていた。
「頭は冷えたか、ベル」
「サカズキさん……」
ぐちゃぐちゃの頭の中、何とか彼を招き入れる。仕事帰りに寄ってきてくれたのだろう。黒スーツのままサカズキさんが部屋に入ると、曲がりなりにも一応女の部屋なので部屋の背景とアンバランスすぎて思考が一瞬停止してしまう。
ーーー似合わない、似合わないなぁ…。この人。
でも、そういう処も好きだった。痴漢から助けてくれて、強面で、曲がった事が嫌いで、私と違って隙がなくて、不器用なんだけど気遣ってくれるところが。
「サカズキさん、私……別れ」
「断る」
最後まで有無を言わせず続けさせてくれなかった。
その優しさが余計に私を苦しめる。むしろ、嫌悪感でいっぱいで思いっきり詰ってくれたほうがすっきりするのに。
だったら私が想いをぶつける。サカズキさんが敢えて言葉にしないのなら代わりに私が口にしてぶち撒けてやりたかった。
父への憤りを。
「でも!私の父親はサカズキさんのかつての家庭を壊したんですよ!?それがたとえ故意であろうとなかろうと、私の父親はほんとにっ!クソ野郎です!この世で一番、さいっていな……っ!」
左頬を軽く打たれたと、理解するのに一瞬時間がかかった。
初めて人に打たれた。それにも驚いたが、それ以上に彼が今までで一番怖い顔をしていて身体が動けなかった。怖くて、足が竦む。
「親を責めすぎるな言うたはずじゃ……!」
いつだったか。
私の生い立ちを話した時、確かに彼はそう言っていた。
『お前の怒りも分かるが、親を責めすぎるんも程々にせい』
あの時はまだここまでの親の失態が曝け出してる事すら知らなかった。それでなくとも、中絶迫るような父親なのに何故責めすぎてはいけないのか理解が追いつかなく、単にサカズキさんが大人だからだと決めつけていた。
だが、彼が言いたいのはそういう事ではないらしい。棒立ちして茫然としてる私を、彼はソファに座るよう促した。
「ベル、よう聞け。親を責めるっちゅう事はのう、結局自分を責めとるのと一緒よ」
「……」
「お前が親父を貶せば貶すほど、自分を落として傷つくのと変わらん。お前の母親に比べれば褒められた親父ではないのは確かじゃが、31年もの間お前を忘れとりゃせんかった」
彼が自分の鞄からゴソゴソと何か取り出すと、それはとある写真1枚。小さい頃の私が赤い着物を着て、若かりし頃の母と映っていた。写真も、かなり古びいていて時間が経ったものとわかる。
「?……これ」
「母親から定期的に写真が送られとったそうじゃ。クザンが、親父が大事そうにしとったアルバムから1枚くれと頼んだらしい」
「……」
だったら、どうして新しい家族を作ったのか。と言いたかったが、もうやめた。凄い剣幕で親を責めても何も気持ちが晴れなかった。昨日は母を責めたけど、それでも気持ちはずっと晴れぬまま。
サカズキさんが仰る通り、結局親を責める事が自分を責めている事と変わらないのであろう。自分で傷を拡げていってるだけで、そして責めても答えはない。彼が私を叩いたのも、これ以上傷を拡げない為だったのだろうか?
それに、私の事は取り敢えず置くとして、彼からしたら曲がりなりにも間男の娘だ。憎悪の対象でしかない私と、付き合うのは勿論結婚すらもはや考えられないだろうに。
「でも…サカズキさんからしたら嫌じゃないですか?私といるだけで、自然と嫌な過去を思い出しちゃう……思い出さなくていい過去を、思い出すんですよ?」
だっだら全く関係のない、曰く付きもない女性と一緒になった方がいいに決まってる。わざわざ嫌な過去が蘇ってくる女と一緒にいる必要なんかないじゃない。自分が言うのもあれだが、これは正論だと思う。結婚は基本、一生ものだ。サカズキさんだって二度目の結婚を失敗したくないであろう。
しかし、彼はそれすら飲み込んでくれなかった。
「じゃあ逆に聞くが、その抉られた古傷をお前が癒しちゃくれんのか?過去を乗り越えるんにはこれ以上ない、適役じゃと思うが」
「それは……」
私がサカズキさんの古い傷を癒せる?
正直、わからない。ただ、彼は私に癒して欲しいと言ってくれる。他の誰でもない、私に。
「そもそも、この事実が分かる前にわしらは出会うたんじゃ。少なくとも、その気持ちに何の嘘も色眼鏡もありゃせんじゃろう?違うか?」
ーーーそれは勿論だ。
痴漢から助けてくれた彼に出会って、付き合って過ごしてきた時の好きだという想いは、確かに純粋なものだった。心から愛していて、結婚が決まった時は嬉しくて堪らなかったからこそ。
「もう一度言うが、結婚してくれるな?」
「は……い」
涙が止まらなかった。
こんな私でも、サカズキさんが受け入れてくれた事に感謝しかなかった。過去も、家族がした過ちも今更変えられない。だが、これから彼と生きるのに私がその過去の傷を癒せるのなら、どうか、一緒にいさせて欲しい。私を、私だけを、愛して欲しい。
涙が引かず、サカズキさんの顔がぼやけて俯いているとぽんぽんと頭を撫でられる。
「……じゃったら、此方来(き)いや」
彼の胸に飛び込むと凄い力で抱き締められる。何だか身体から音が鳴りそうなぐらい強く抱き締められるから、流石に痛くて顔を上げると今度は口を塞がれてしまう。やめてと伝えたいのにそれが叶わないし、身体が締め付けられていて痛いまま。
「んっ……んん」
「……痛うないか」
先程打たれた左頬を擦られて擽ったい。実際、パンッと音が鳴る程思い切り打たれた訳ではないし、頬自体は腫れてもないので大丈夫ではあるが。
「は、はい。……あの、ほっぺより抱き締められてる方が痛いのですが……」
「ちったぁ、許せ」
家計簿。
(また愛する人を失うかと思った)
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