献盃


10一緒に住みましょう





この1週間、正直一睡も出来なかった。
一通目を見た途端、昔のトラウマが蘇って自宅で蹲っていたが、続けて二通目が投函されていて震えが止まらずついに悲鳴を上げてしまう。あの時と変わらぬ筆跡を見て確信した。

ーーー来た、あいつが。

だが朝になれば電車に乗って仕事に行かなければならないし、ホテルに帰るまでも尾けられてないか気になり、おずおずと部屋に戻っても恐怖に苛まれこれからどうしたらいいか悩むに悩んで何も出来なかった。
以前警察に頼った事がある身としては、警察は何か事件が起きないと基本的に動いてくれない。余程の証拠があればまだしも、生憎そんなものはない。証拠不十分のまま被害届を出したところで、事務的な処理がされるのが関の山。

探偵を雇う?いや、その前に身の安全を考えなければと思い、ホテルに籠もっていた。
実家はすぐ帰れないし、会社に通勤できないのも困る。叔父さん家にはまだ幼稚園児の息子さんがいるし、奥さんもいらっしゃる。迷惑はかけられない。八方塞がりとはこの事なんだろう。


「もうやだ……」


怖い。もう怖い……。
眠い。ゆっくり何も考えず寝たい。
頭痛い。鎮痛剤を飲んでも締め付けられる痛みがずっと。

そんな時だ。サカズキさんから電話があって、本当なら迷惑かけたくなかったし男の人をホテルに誘うのも憚られてなかなか言いにくかったが、警察官の彼なら何とか助けてくれるのではと藁をも掴む思いで縋ってしまう。たとえ面倒臭がられても、せめて少し間寝たいから隣にいて欲しいとお願いしようと思えば、それどころか彼の家に来ないかと誘われる。

普段の私だったら絶対乗らない話だったろう。男の人の家だなんて、怖いどころの騒ぎではない。ましてや付き合ってもいない、男“友達”の家に。彼は最初私に付き合ってくれと言っていたんだ、下心が全くない訳ではないと思う。でも、でも。
もう体力的にも精神的にも限界だった。背に腹は代えられない。とにかく寝たい。頭が痛い。食欲も湧かないし、恐怖感でぐっすり眠れなくてこれ以上独りでいるとどうにかなりそうだった。

もういい。サカズキさんならきっと、大丈夫。
正常な判断力はもはやない。早く落ち着いて安眠できるのなら彼の優しさに付け込んでしまおうと思った。

「ベル、もう寝ろ」

「……はい。申し訳ないけどお言葉に、甘えます……ごめんなさい」

彼のマンションに案内されてソファにお邪魔しようとしたらベッドで寝ろと言われた。お言葉に甘えて、布団の中に潜ると彼の匂いと毛布の温かさに包まれる。すぐに睡魔に襲われて、彼の心配そうな顔に一言謝って最後に眠ってしまった。

幸せだった。
やっと寝られると思うと縛られていたような頭の痛みから少し解放される。そのうちベッドから離れた彼が、部屋から出ていきリビングの方で誰かと電話していたのか、話し声だけ微かに聞こえていた。


□□□□□



「は……」

泥のように眠っていたと思う。何時間経ったんだろうか。変な夢も見ず、寝つきも悪くなく、パチッと瞼が空いた。体の怠さはまだあるが、頭の重みだけは引き、雲が晴れたように目がすっきりしていた。
  
見慣れない天井が目の前にあって、部屋の風景も私の部屋より殺風景。加えて何となく男の人の匂いに包まれていて徐々に思い出す。
私、そう言えばサカズキさんの家に来てたんだった。意識が朦朧としてた時はそれどころじゃなかったけれど、落ち着いた今は目の前の事実に若干の羞恥心と照れがじわりと湧いてくる。この私が男の人の家で、寝てたなんて……!もはや男性恐怖症とは言えないだろう……。
彼がいるであろうリビングの方にドアを開けて赴くと、ソファに寛いで煙草を吸っていた。

「起きたか」

「サカズキさん……!私……」

「具合はどうじゃ」

普段着なのか、至ってラフな格好。
私を見た途端煙草の火を消してくれ、此方を向いてくれる。今時ふかし煙草なんて、以前から思っていたがサカズキさんってちょっと古風な人だなと思う。
取り敢えずは起きて早々、段々と冴えてきた頭を動かし、まずはお礼を伝える事にした。色々と心配させただろうし、何よりご自宅までお邪魔してしまう事になってしまった。

「あの。色々ありがとう、ございます。だいぶ寝たので、体はまだですけど頭はすっきりしました」

「ほうか。明日何か用事はあるか?」

「いえ、何にも」

今は土曜日の20時。そっか、あれから私7時間以上も爆睡してたんだ。どおりでお腹も減ってきた処。テーブルの上に見たことある弁当屋さんの袋があって、今夜はそれ食べとけと手渡される。うう、凄く嬉しい。

「自宅に服やら何やら、取り行かんでええか?大して持って来とらんじゃろ」

「あ。えっと……」

そう言われるとそう。
自宅に一人で帰るのは怖すぎて、慌ててタクシーでホテルに直行してしまったから大したものは持ってこれなかった。それでも1週間凌ぐため、最低限の日用品や下着はバックの中にあるけれど流石に持てるものに限界はある。仕事着も着回しているし、余裕を持って洗濯もしたい。

と、その前に。
ホテルではサカズキさんに曖昧に返事をしてしまったので再度一応確認はしときたかった。

「あの、その前に。サカズキさん家でお世話になって本当にいいんですか?ご家族とか……」

「俺は天涯孤独の身じゃけェ……他に宛があるんなら、何も俺の家じゃなくてもええ。そっち行っても構わんが?」

天涯孤独。ご家族いないんだ……。

「残念ながら、宛はないです。是非よろしくお願いします」

私も頼れそうな女友達に限って既に彼氏と同棲してたり、結婚してたりしてる。それに、ストーキングされてる女友達を匿うなんて彼女達も到底嫌であろう。まぁだからといって、サカズキさんなら構わないと言う訳ではないだろうが……。

もはや選べる選択肢のない私を慮ってか、彼は少し苦笑いしながら言った。

「被害に遭うとるあんたを、取って食いやせんよ。まずは体調治しつつ解決策を考えた方がええ」

「う。あ……頭が上がりません。すみません……迷惑ばかり」

サラッと言われて顔に熱が上がる。取って食いやしない云々を正直に話す彼は多分、お世辞にも女性慣れはしていないのではなかろうか。
だが、それは本当にサカズキさんの飾らない本心なんだろうと思う。そういう人柄だからこそ、“友達”で居続けられるのだろうと思うし、家に誘われても何処か大丈夫なんじゃないかという謎の安心感があった。現に、既にストーカーについても調べておいてくれてたみたい。

「俺の同期にストーカー事件に詳しいのがおってな。月曜出勤したら詳しく調べちゃる言うとった。まずはそいつの話を待っとってくれるか」

「はい……ありがとうございます」


ーーーでも。

分からないけれど、ちょっと寂しいというか何というか。「取って食いやせんよ」と言われて安心出来て嬉しいはずなのに、何だか心の底で期待が外れたような残念というような。

え。私……サカズキさんに触れられたいのだろうか?

手を繋がれた時もそうだが、恥ずかしい、照れる気持ちはあれど、それを嫌だとか気持ち悪いと思う事は決してなく。むしろ私からもちょっと、彼に触れてみたい事があって。

「……(抱き締められたい……かも)」

“友達”ならその気持ちは気づかないでいる方がいいと思っていたのに。
彼の横顔をちら、と見て内心溜め息をついていた。



□□□□□



「ダメじゃ」

「なんで」

リビングのソファを誰が陣取るかで押し問答。
明日私の自宅に寄った帰りにホームセンターで敷布や布団を買おうという話には一致したが、では今夜誰がベッドで寝て、誰がソファで寝るかが口論の焦点になる。

「ええから、大人しゅうベッドで寝てくれや」

「部屋の主が寝るべきですから!私がソファで寝ますから!お構いなく!」

「……」

さっきからずっとこの繰り返し。
流石にお世話になってる身で図々しくベッドまで陣取る訳にはいかず、ソファに身体一杯伸ばして陣取っていると上から見下ろすサカズキさんは呆れた顔をしている。
そして、一度目を瞑り少し言いにくそうに口を開いた。

「あのよ、怖がらせとうはないが……」

「はい……?」

ポリポリ、と頬を掻き視線を逸らす。

「結構、これでも我慢しとる……」

「っ!……」

我慢。我慢って……。
改めて自分がどんな格好してたか見直す。別に服がはだけてる訳でも、体のラインが出るような服でもない。至って普通のパジャマ。

いや。そういう事じゃなくて。既に部屋の中で二人だけでいるこの状況自体に我慢してるって事なんだろう。先程も取って食わんとは言われたけど、度々そんな事を言われると、余計に意識してしまう。

そして、本当はもう……わかってる。

「じゃけェ、俺の言うとる事聞きないや」

「はい……」


一緒に住みましょう。
(私も彼も、“友達”じゃもう満足出来てないって事に)

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