献盃


15一緒に寝ましょう




暫くして別の刑事さんが来られて、最寄りの警察署まで送って貰ったあと、被害者事情聴取で1時間半ほど缶詰にされた。途中、思い出したくもないトラウマを口にするのも怖くて気持ち悪かったけれど、お茶まで出してもらって言葉にするまでゆっくり待ってもらってしまった。

逮捕された“アイツ”はフードを被ってはいたが間違いなく、大学時代私を地獄に貶めた男。サカズキさんが仰ってたように、最近は隣の市でも取引先の女性をストーキングしていたらしく、私と同じように怪文書を送りつけていた、と。
流石に一人の一般人と二人の警察官に刃物を振り回した事実は重いらしく、ストーカー行為よりも今日襲われた時の事を詳しく聞かれた。

サカズキさんもあのテンセイさんも幸い、目立った外傷もなく彼らも事情聴取を終え一足先に退勤したらしい。私も事情聴取が終わると、ご丁寧に刑事さんにサカズキさんのマンション前で送って貰った。

ようやく玄関のドアを開けて入ると、安心したのか全身の力が抜けたようにその場で座り込んでしまった。リビングの方から彼が気づいたのか、すぐに此方に駆け寄ってきてくれた。

「ベル…!」

彼もあれだけの大雨で濡れたはずなのに、濡れたスーツもそのままで待っていてくれたんだ。その優しさにホッとしてしまって、感極まって思いっきりその身体に抱き着いてしまう。

「怖かった……!サカズキさん!もう、ほんとにっ……ごわぐでっ……うえぇぇ!」


ーーー子どものように泣いた。 

もし、サカズキさんやテンセイさんがあの男を発見していなかったら。私はきっと今頃、殺されていただろう。

もし、あの男の振り回した刃物でどちらかが運悪く刺されてしまっていたら。好きな人が殺されていたら、とてもじゃないが一生立ち直れなかっただろう。

幸い、起こらなかったとはいえ起こってもおかしくない淵にいたと思うと、今こうやって彼を抱き締められる事実が愛おしくて仕方がない。生きていて良かった、本当に生きていて良かった……!

「すまんかった。守秘義務があって事前に知らせられんかったんじゃ……えらい怖い思いさせてしもうた」

「ほんっとに……グスッ、殺されるかと…!」

抱き着く私を拒まず、むしろ抱き締め返してくれた上に頭を優しく撫でられる。すんと鼻についた彼の匂いが、いつも寝ている布団と同じ匂いがする。つまり、私は今本物に抱き締められているのだ。力強く、温かくて、すき。

ーーーやっぱり私は、この人が好きだ。

「あぁ。じゃが、もうお前を加害する奴はおらん。安心せい」

「はい……!」

彼が“アイツ”に手錠をかけたあの時、やっと恐怖から解放されたと思えた。勿論、その場の状況からの恐怖もあるけど、長年ずっと膨らみ続ける一方だった恐怖にも大きな穴が空いたような気がして、妙にすっきりした気分だった。

かと言って、男性に対する恐怖が完全になくなったかと言えば多分そうではないとは思う。
だけど今、確実に言えるのはサカズキさんは私にとってもはや恐怖してしまう男性ではないという事だ。

「サカズキさん、怪我……は?」

「かすり傷じゃ、気にせんでええ。お前は本当に怪我はないか?」

「う、うん……大丈夫です」


しばらくそのままでいたものの、段々と抱き締め合っている事実が恥ずかしくなってきて、おずおずと大きな身体から離れると彼もそれに従って離れてはくれるのだが。
少し鼻で嗤ったような、それでも優しい声色で促してくれた。

「取り敢えず、風邪引く前に風呂入れ」



□□□□□



ベルが風呂に入ったあと、自分もシャワーだけ浴びて脱衣場から出ると、彼女は既にパジャマに着替えて温かそうなココアを呑んでいた。

「少しは落ち着いたか?」

「う、うん……」

時計の針は23時半を指す。こんな時間なら先に寝ていても良かったのに。律儀に自分が風呂から上がるのを待っていたのかと思い、ドライヤー要らずの髪をタオルで拭き散らかしながら寝室のベッドへ促した。

「今日はもう遅いけェ、寝ろ。明日も仕事じゃろ?まぁ、一日ぐらい無理はせんでええとは思うが……」

「さ、サカズキさん……」

自分のような警察官ならまだしも、一般人のベルなら流石に殺されそうになった精神的なショックもあろうから、一日ぐらい会社を休んでも罰は当たらんとは思って気遣う。だいたい頭を拭いたと思って彼女を見やれば、少し俯き押し黙っている。
どうした?と言葉をかけようとしたら、彼女は少し言いにくそうに口を開いた。

「あの……一緒に寝てくれませんか?きょ、今日だけでいいので」

「……」

「こ、怖くて。まだ……その…」


一瞬だけ猥りがわしい事を期待した自分を殴りたい。

まぁ案の定、ベルが伝えたいのは恋愛的な意味でなく、犯人に襲われたショックで眠れないのであろう。たった数時間前に起きた事だ、取調べでも彼女は精神的に追い詰められて少し吐いたと言うし、心細さと若干の震えもあって落ち着いて寝られないのかもしれない。

とはいえだ、ちょっといくら何でも無防備過ぎないかと忠告したくなる。本人は至って真面目に言ってるんだろうが……。

「だ、だめですか?」

その涙目で縋ってくるのは反則だ。無下に嫌と断れないではないか。健康な30代の男を前にして随分な蛇の生殺しだが……致し方あるまい。時と場合を考えれば、今は非常時に当たるだろう。ストーカーに殺されそうになる経験など、一般人ではそうそうない事でもある。

「っ…わぁった。なら、寝る支度せえ」

「はい。ありがとうございます……!」

まともにベルの目を見て答えられず、洗面所に向かって言い放つ。彼女も許可だけを待っていたようで、寝室のほうへやっと赴いた。
何故好いた女を目の前にしてお預けを喰らわねばならんのか。と自問自答するも、彼女があの日転がり込んで来た時からこうなる事はなんとなく覚悟していたはずだろう。もう今更だ。


しばらくして自分も歯を磨き、リビングの電気を消して暗闇の寝室に入りベッドの中にいるベルの隣を占領する。大の大人二人だとどうしても手狭で、お互いの二の腕や肩が少し当たる。更には2週間以上寝泊まりしていたお陰で自分の布団だというのに、女のいい匂いが充満していて、それだけで理性が崩れそうになってしまい、とにかく無心で寝ようと目を瞑った。

だが。

「サカズキさん」

「……ん」

もぞもぞとベルは動いて此方を向き、寝ようとした自分を起こす。
此方は顔も見ないでおこうと仰向けのままいるのに呑気なものだ。お互いの息が少し掠る事すら避けているのに、彼女はそんな事もお構いなく。


「今日は本当に、心から……ありがとうございました」


丁寧に礼を言われた。

幸い最悪な事態が起きなかっただけという事でもあり、結果的に彼女を囮に使ってしまった事実には変わらなかった。正確には囮に使おうと思って使ったというより、そんな思考に辿り着ける時間も全くなく、初めて犯人を職場から尾行していたらなるようになってしまったという経緯である。


「いや。警察官として当然の事したまでじゃ」


自分は警察官として最低限の事までしかしていない。もっとベルを脅えさせず検挙できる方法があったかもしれないし、生憎あの状況ではそこまで気が回らなかった。一歩間違えば彼女やテンセイも、多少なりとも怪我をさせられた可能性だってあったのだ。

礼を言われるまでもないと伝えるが、彼女は少しだけ横に首を振る。


「………ううん」


ベルの声色が少しだけ甘くなった気がすると。ちゅ、と右頬に控えめなリップ音が鳴る。

彼女にキスをされたと初めて気づいた。


「あなたに会えて良かった……です」

「……」

「サカズキさんが犯人に手錠かけたあの時。私、やっと解放されたって思いました。やっと……もう底知れない恐怖に怯えなくていいんだって」


そこまでベルは流暢に喋ると、だんだんと恥ずかしくなってきたのか、もぞもぞと布団に潜り自分に背を向けた。彼女は何故か布団の中でも寝られるタイプらしい(息継ぎは?……)。そして不意打ちのキスのお陰で呆気に取られていた自分には、たった一言寝る挨拶だけ残していった。

「えへ、おやすみなさい。サカズキさん……」

「……」

こりゃ襲っちゃいかんのか?これは襲ったら自分が野暮天なのか?

不意打ちのキスで思わず、流れに沿ってすぐに反応出来なかった自分を呪う。いや、まさかあの彼女から先にキスしてくるとは思わなんだ。てっきり最初は自分からリード……なんて。

あぁ、ベルのそんな貴重な場面をこの目に焼き付けなかった自分の無能さが悔やまれる……!

そのうちすぅ、すぅと気持ち良さそうな寝息が聴こえて、この日一番の疲れがどっと出てきた気がした。何故、犯人逮捕よりも此方で疲れにゃならんのか。

「(お前……人の気ィも知らんで……)」

「……」


一緒に寝ましょう。
(……明日、絶対“恋人”になる)

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