献盃


2一匹の兎




案の定、と言ったところか。
時計は夜8時半を回った。店を一歩出れば、奥まった路地裏が続く隠れ家的な雰囲気を好んでいたが、こと女にとっては身の安全が保障される場所ではまずない。少し行った処で、よくもまぁ此方の予想を裏切らず、先程の男子学生三人がマスターの姪御を囲んでいた。

「今帰り?」

「これから行きたい処あります?飲み足りないっすよね?」

「お前ん家やろどうせ」

「っ………あ…」

今時もう少し捻った誘い方をしてると思うが、何処となく古風な誘い方だ。まだ学生になったばかりのような幼稚さも窺える。
女の方は様子からして肩を震わせ、俯いたまんま動かない。確実に絡まれて困ってるのを確認し、足早にその場所まで近づいていく。

「お姉さん彼氏は?います?今」

「やめとけって!どうせヤッとる、ヤッとる乳しとるやろ?」

「ハッハッ、胸しか見てねーじゃんお前」

下衆すぎて言葉にもならん。もういっそド突いてやろうかとも思ったが、こんな下衆野郎の為に自分が署長に始末書を提出するのも馬鹿らしい。

「おい」

「あ?」

「え……」

後ろから唸るような声で呼び掛ければ、その三馬鹿共が此方を振り向いた。フン、つい最近大学生になりましたみたいな髪色しやがって。全く似合っておらず、いつかは黒歴史になるだろうと頭の中で嗤っておく。

「その女の知り合いじゃ。どけ」

「は……?店じゃ一緒にいなかっただろーが」

「いなけりゃ知り合いじゃないなんて証拠がどこにある?……おう?」

取り巻きのうち二人は自分の睨みに怯えが見えたが、一番女を馬鹿にしてた一人は未だに反抗的な目つきで此方を見る。やるんなら徹底的にやってやるが?と強気で此方も唸れば、どうやらヤーさんにでも間違えられたのか。ふざけた口調ではあるが尻尾を巻いて女から離れていった。途中、路地に置いてあるゴミ箱を蹴飛ばしながら、下品な言葉を落としていって、何ともみっともない光景ではある。

「っだよ、あの店のケツモチ?あー損したわマジ」

「だっはっはお前ダサすぎるやろ!」

「はい、ヤれませんでした!!おつ!!」

問答無用に一人一発ぶん殴りたかったが、生憎日本の法律は先に暴力を奮った人間が不利となる。理不尽なものだが、自身が曲がりなりにも警察官である事を忘れぬように自制心を利かせる。去っていった下卑た負け犬の遠吠えに答えるよりも、被害者の無事を確認する事にした。

「大丈夫か?」

「はぁっ………はぁっ……」

「おい、しっかりせえ」

いつの間にか腰が抜けて地面に俯き、手をついてしまったマスターの姪御。若干過呼吸のような息遣いで、小さなその両肩を掴みその場を立ち上がらせようとしたのだが瞬間。びくっと反射的に動いた彼女の手により、自分の手を払われてしまう。

「ぅあ!……うぅっ……」

「?……」

一瞬だけ、顔を見合わせる。
綺麗な瞳、と言ったらあの下衆野郎達と同じに成り下がるだろうか。まぁ確かに、男から狙われるほど、器量の良さはある。

だがその表情はきつく相手を拒んだ表情というより、恐怖と不安に駆られて震えも止まらず、言葉も出ないような様子だった。息遣いは荒いまま、じんわりと彼女の目から涙が流れる。まるで、手荒い狼だらけの世界に取り残されたかのような、か弱い一匹の兎。

ーーさて、困った。こんな時はどうしたものか。

「あ!サカさん!!」

店から出てきた救世主のお陰で自分も彼女もそちらを向いた。助かった、彼女の身内の叔父ならば預けられる心もあろう。彼女を無理に立ち上がらせる事は取り敢えずやめ、自分だけ立ち上がる。

「マスター」

「いやぁ、急にサカさん出て行ったからもしかしてって。あらら!……どうしたの!?ベルちゃん!」

「店で休ませてやってくれ。さっき男三人に絡まれて吃驚しとるみてェでな」

ついでに自分も怖がられてしまったようだとは伝えにくく、ここは大人しくマスターに頼んだ。マスターがその小さな両肩を掴んでも、彼女は先程のように拒みはしない。少し、それを見て妬ける自分がいる。

「あぁ、なるほど。ベルちゃん、大丈夫?立てる?」

「はぁっ……あ、り……」

「?……」

マスターに支えられつつも、彼女は何か言葉にしようとしていた。息遣いは先程より、収まってきていたようで。そして、自分にしっかりと視線を向けて、小さく言葉にしていた。更に頭を少し下げて。

「とう、ござい……ます……」

「……あぁ」

聞きにくかったし、最後の方しか分からなかったが、恐らく礼だけは言いたかったのであろう。
それだけでまぁ、自分のお節介も少しは報われた気はした。


□□□□□


自分はもう帰ると言ったのだが、マスターからはさっき飲んでた椅子に座っておいてくれと言われて素直に従う。ご丁寧に一杯添えられていたのが有り難い気遣いで、本当に気の利くマスターだと思う。そのうち奥の厨房から本人が出てきて、レジで金を掴むと此方に向かってきて先程貰い損ねた釣り銭を渡してくれた。

「はい、サカさん。釣り銭」

「?……随分、多いようだが」

確か計算しても1000円札2枚だけだったはずが、プラス5000円札が1枚ついていて返そうとする。が、マスターからそのまま突っ返されてしまった。

「ベルちゃんから聞いてね。助けてくれてありがとう、サカさん。少ないけど、気持ち受け取っといて」

「構わんのに」

「あの娘……実は男性恐怖症みたいでね。何でそうなったかは、俺も知らないんだ」

「ほうかィ」

どおりで異常に男を怖がっていた。絡んできた男共ならまだしも、助けた自分にすら怯えて涙を流しながら身を固くしていた。反射的に立ち上がらせようと思って肩を触ろうとした時も拒まれた。
最後は勇気を振り絞って此方に礼を言っていたが、あれが本人の精一杯だったのだろう。

「でも、酒は好きらしくてね。店の中なら俺が守ってやれるんだけど、外じゃなかなかね……」

マスターがいる店内なら、たとえ変な男が絡んできたとしても助けてくれる安心感があって通っていたのだろう。そもそも、自分の爺さんが建てた店だ。その勝手知ったる店で、まさか尾けられて店外で絡まれるとは予想もできるまい。

だが、どんな法治国家でさえ最後に自分の身を守れるのは自分だけだ。これに懲りたら、ボディガードの男でも連れて来りゃいい話だと言ったら……流石にそれは薄情だろうか。

「帰りは自分で帰ったんか?」

「直帰できるようにタクシーに乗せたよ。電車で2駅ぐらいかな」

「……」

とはいえ、これを機に彼女が怯えてしまって店に顔を出さなくなるのも寂しい気はする。スマホをずっと弄って何かを熱心に打ってるのだが、たまににんまりとした満足気な顔をしているのを見る。あれが密かな楽しみであったのに。

釣り銭とお礼も頂いた処なので、自分もそろそろお暇しようとしたらマスターが感心そうな顔して自分を褒めてきた。別に警官だからといって、正義を気取りたい訳じゃない。

ただ、弱ェ女を喰いモンにする下衆がとにかく気に喰わない。それだけだ。

「にしても、流石警察官だね。目の付け所が素人さんとは大違いだ」

「大した事じゃない。ほいじゃあ、また来るけェ」

「ええ、引き留めて悪かったね。またのお越しをお待ちしております」

物腰柔らかくお辞儀をされる。俺はこの店を気に入った。それはきっと、店の雰囲気もそうだがマスターの気遣いが特段上手いからだと思う。

そして、自分に似たような変わり者の女が少し気になるからかもしれない。


一匹の兎。
(自分は恐怖の対象なのだろうか……?)

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