献盃


7触れる手



「うーん……」

何となく次の週の華金は、Red Shoesに行けなかった。もし、またサカズキさんが来なかったらと思うとちょっと哀しい自分がいる。連絡先を知ってればそんなすれ違いもないけれど。

その代わり、翌日の土曜(今日)に行く事にした。金曜よりも土曜の方がお客さんも多く、私が座る上段の席も既に埋まっていて、渋々カウンター席に座る。いつものハイボールよりも、少し甘めのカクテルティーを頼み、10分位した頃だろうか。真横から突然、低い声に驚かされる。

「おい」

「え……さ、サカズキさん……!」

まさかの登場で心の準備ももとなく。彼はいつものスーツではなく、少しラフな格好をしていて別人みたいだった。当たり前のように私の隣に座り、叔父にビールを1杯頼む。
横顔をちらっとしか見ていないが、何だか、今日は少しだけむつりとした感じが否めない。

「迷惑か?俺が声をかけるのは」

「い、いや……そういう訳じゃ」

昨日来なかったの、怒ってるのかな。
でもその前の週はサカズキさんの方がいなかったし。
連絡先も知らないんじゃ、お互い仕事がある身だし、残業があったり急な飲み会なんてあればすれ違ってしまうのは当然だろう。でも決して、彼を嫌いになったとか友達を辞めたいだとか、そんな事ではないと伝えようとしたら。

「連絡先」

「へ?」

彼自身のスマホを取り出して一言。あまりスマホに触ってる処見た事なかったから、あ、ちゃんと持ってたんだ。とちょっと安心した。

「連絡先、教えてくれんか」

彼のほうが痺れを切らしたようだ。勿論、断る理由なんてないはずなんだけれど。


□□□□□



この間は自分が上司の接待でRed Shoesに来店できず、次の週はベルの方が店に現れなかった。もしかして残業か?飲み会か?それとも……と考えるが、連絡先を聞かなかった自分が悪い。敢えて有耶無耶にしてはいたが、それが凶と出た。いらん心配や憶測をしてしまって、さぞかし先週は彼女にも同じ思いをさせたかもしれんと内省する。

どうやらそれを見かねたマスターから有り難くも、『明日来てみなよ、ベルちゃん来る可能性あるかも』と言われ、その通り翌日に来てみれば会いたかった彼女にまた会えた。
もしかしたら自分を嫌いになったんじゃないかと思って聞くが、そういう訳じゃないらしい。痺れを切らして、連絡先を教えてくれと言ったら俯いておずおずと言いにくそうに彼女は言う。

「あの」

「ん?」

「どうして、声をかけてくれるんです?」

どうしてだと?
そんなの一つに決まってる。だが、何度もあの告白をそう易易と繰り返したくもなく濁して答えてしまう。

「最初、言った通りだが」

一番最初に好きだから付き合ってくれ、と言う気持ちは今も変わらない。当初はこの気持ちは隠した方が…と思わなかった事もないが、隠したとて自分の性分じゃ下心はばれてしまう。だったら、包み隠さずいた方が自分らしくいられるし、相手から嫌だと言われれば諦め易くもあったというのもある。

ベルが男性が苦手だからと言って、自分の心に嘘は吐けん。ただ、それだけの事だった。
それでも、彼女は納得はいかんらしい。

「でも私、見ての通り男慣れしてませんし。友達っていってもサカズキさんを退屈させるばかりで……それに。もし違ってたら大変恥ずかしいのですが、お付き合いに……発展するか分かりませんよ?」

「……」

ベルにとっては自分の思惑など分かっているつもりだと。勿論、一番最初に男女の仲になりたいと告白したのだから承知の上で友達になってくれたのだろう。自分もそのつもりでこれまでの付き合いをしてきたつもりだし、何処かあわよくば……を期待していた。
じゃあだからといって、恋人にならないのなら彼女に会わなくなっていいかと言えばそれは嫌だ。諦めも悪ければ、潔さもなく、何ともみっともない。つまりだ、どうしても自分はベルに関わりたいと思っている。全くどうしようもない。

体のいい答えが見つからず押し黙っていると、彼女は甘そうなカクテルを見つめながら物憂げに口を開く。

「男性が苦手じゃなければ、もっと人生って楽しい事増えるんですかね……私、時々自分が嫌で嫌でしょうがないんです」

増えるだろうな。確実に。
むしろ人生において恋愛なり結婚なりは楽しい事の大部分を占めているとは思うが、自分は未だに昭和の価値観から抜けきれていないのだろうか。
だが意外だと思ったのは、彼女は決して現状には満足していないということ。男が苦手だと言う事を、そんなにコンプレックスに思っているのならば。

「練習してみりゃいいだろ」

「練習?」

「俺で男に慣れるよう練習すりゃええ。現に初対面よりは普通に喋れるようになっとる」

練習……。練習だけでなく本番も自分だけでいい。という願望はさておき。
思いついたら口に出していた。事実、この数週間であんなにぎこちなく話していた彼女が、今は普通に肩の力を抜いて自分と喋っている。
しかし彼女はそれについてさも当然と言わんばかりの解答をしてきた。

「あ、はい。だって、それはサカズキさんだから……他の人とは、喋るのも怖いです」

「……」

無自覚か?無自覚なのか?
以前から思っていたが、彼女は異性を好きになった経験が皆無なのでは?男が苦手とは言うが、男とそうでない友達との境界線を分かってはいるのだろうか?
いったいどうして、男が苦手になったのかこの際聞いてみるかと思えば、うーんと顎に手を当てて何やら考え込んでいる。

「あれ?サカズキさんなら、大丈夫なのかな……?」

「?……」

何が大丈夫なのか?丁寧にその謎の思考回路を教えて欲しい。
すると、ベルは少し椅子を引いて自分の膝に置いていた右手の方を凝視してくる。カウンター席だからこそ、対面の席とは違いいつもとは異なる角度で彼女との距離が近い。

「ちょっと……手、触ってもいいですか?」

「?……あぁ」

意外な申し出でむしろ此方が困惑する。
いや、これはこれで嬉しいから全く構わないが。甲を向けていた右手を返して掌を見せると、おずおずと彼女の左手が触れてくる。それも一気に絡めてくるような大胆さはなく。

つんつん、と。嘴で突くみてェに。

「……だ、大丈夫…?かも?……」

「(何じゃこの可愛い生き物は……)」

最初は人差し指で、大丈夫と安心してからは2本…3本…4本指と増えて掌を撫でてくる。自分と違って体温が低いのか、少し冷たい指先が気持ち良い。派手ではないが手入れされている指先が、また女を感じさせる。

「手、大きいんですね。身長高いからそりゃそうなのかな……」

「……」

此方までまるで免疫のない童貞みたいに振り回されている。こそこそと、本当に雀に突かれてるみてェでこそばゆい。これで本人は無意識というのだから
余計にタチが悪い。

もう辛抱堪らず、思い切って、ぎゅ、とその小さな白魚のような手を包むように握った。案の定、驚いたその手に逃げられてしまったが。

「ふぁっ!?」

「……すまん」

わざとだが、後悔はない。
握った時、お互いの体温を感じられた。たった手ひとつでこうも焦る自分がいるなんて、三十路にもなっておいて青臭さを拭いきれぬとは恥ずかしいもの。

一方のベルは自重し始めたのか、顔を真っ赤に染めて俯く。今更になって自分がした事に恥ずかしくなってきたのだろうか。

「あ…い、いえ!ちょっと……吃驚して」

「のう」


分かった。
これはもう、少し強引に男女として意識させた方が案外話が早いかもしれない。
彼女に嫌われるかもしれないと此方が尻込みをずっとしていたって、前にも後ろにも進めない。彼女が嫌だと明確に意思表示した時は従えばよいが、そうでなければ此方は此方のペースでいかせて貰おう。

「あんたさえ良ければ、たまには外に行ってみらんか?」

「え」


触れる手。
(あなただけは大丈夫)

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