献盃


�Mしたたか





「凄い痕……」


胸元に付けられた噛まれた痕。改めて鏡の前で見ると生半可なもんじゃなくて噛んだ痕と少々青痣も残っている。どおりで痛いわけだ。

あれは全て夢だったのでは?と疑うも、私はきちんと自宅に帰宅してて、プテラ達から貰ったあの“ひみつのコハク”がテーブルの上にぽつんとある。リュックも手持ちのモンスターボールもワタルさんから返して貰った。今日もまた、いつも通りに博物館に出勤する訳だ。

所長の死は、友人が言っていた通りになった。私はてっきり、ワタルさんが所長に直接手を掛けたのかと思いきや、あれはプテラ達の仕業であったと。たとえ、彼がプテラ達に指示をして所長が死んでゆくのを傍観してたとしても、その証拠も全くないけれど。

今でも私の答えはあれで良かったのかは分からない。それでもポケモンの仕業とはいえ警察には通報すべきだったのでは?と過るが、あの場でワタルさんにそれを伝えていたら。

私は所長と同じ末路を辿っていただろう。


「リト、あんた……チャンピオンとは大丈夫だったの?」

「あ、うん!所長がロケット団に潜入した形跡はあったんだって。店員さんからタマムシのゲームコーナーを出入りしてた目撃情報もあったみたいで」

「そう。所長、結構スロット好きだったもんね……ところで。まさかとは思うけど、あんた一人でプテラの洞窟には行ってないわよね?」

「え?当たり前じゃん。行ける訳ないじゃん、私一人で」


嘘に嘘を重ねる。
それがこんなにも心に重くのしかかるなんて。
私だって、確かに生きてたら人には言えない、嘘の一つや二つ吐く事くらいある。全くの清廉潔白とは言えない人間だ。
だが、人の死を見て見ぬふりをするのは初めてで。別に自分が殺したわけでもないのに、まるで同じ過ちを犯したような気分になるのは何故なのか。

ワタルさんは、こんな事何とも思っていないんだろうか。

「……まぁ、あんたが無事なら良かったわ」

今からでも遅くはないんじゃないか、って。
友人の優しい言葉に頼ろうと思った。本当はね、違うのって。馬鹿みたいに泣いて縋ってしまえばきっと友人も助けになってくれる事は分かってるのに、今の私はそれすら怖くて臆病で小心者で、今一歩進めない。

そもそも他言無用にすると言った手前、もし漏れた事をワタルさんが知ったら。その時、私は。

「……」

ワタルさんが、怖い。
大好きなはずなのに、怖い。 
私じゃ彼を止める事も改心させる事もできない。私は彼を目の前にすると、本当に何もできなくて飲み込まれてしまうだけ。

どうしたらいいのか分からない。
同じ秘密を共有したはずなのに、重い足枷みたいについて回る。

ーーーダメだ。今考えてもいい答えは出ない。目の前の仕事の為にも、まずは忘れよう。


□□□□□


その日の仕事帰りは大雨かつ暴風警報も出ていた。

昨日あんな事があったもんだから、ぼーっとして今朝ちゃんと天気予報を見るのを忘れてしまっていた。職場のロッカーから折り畳みの傘を引っ張り出して、意を決して博物館を出るも、傘の意味もないぐらい大降りで足元から膝近くまでずぶ濡れになってしまう。ついには雷までゴロゴロと鳴り出してきて、稲光がするたび息を呑むほど怖くて足早に自宅へ向かった。

職場から帰宅するのも一苦労だったなぁと、アパートの軒下で折り畳み傘を軽く畳んでいた時だった。折り畳み傘をまた干して畳むの、地味に面倒臭いのよねなんて思っていたら、空から名前を呼ばれてしまう。

「リト」

「!?…ワタルさん!」

「リュー!」

ピカッと稲光も合わせて来るから余計にびっくりして、一度目を逸らしてしまう。そらをとぶで飛んでいたのだろうか、お馴染みのカイリューと共に空からまた現れた。昨日の今日で、正直どんな顔して会えば戸惑うのに、当の本人は頭やマントがずぶ濡れ以外はいつもと変わらぬ様子のままで。

「すまない。少し雨宿りさせてくれるか?雷も鳴ってきてしまって、危険だから」

確かに雨はまだしも、カイリューに乗っていては落雷されたらたまったもんではないだろう。
勿論構わないと言って軒下の奥へと促す。

「え、ええ、どうぞ。セキエイに帰る途中だったんですか?」

「あぁ。今日はヤマブキシティに出張だったから、直帰する予定だったんだ。だけど、生憎の天気でね」

「タオル持ってきます」

せめて頭だけでも拭いて貰おうと急いで部屋に入ろうと鍵を開けると、制止されてしまう。

「あぁ、いいよ。どうせまた濡れるんだ。カイリューと共に雷が止むまで、ここで待たせてくれたら十分だから」

「………」


どうしよう。この状況ってどうするのが正解なのか。

これ、私は堂々と部屋に上がっていいの?「じゃ、お疲れ。私部屋に入るから」って言って?
ワタルさんとカイリューをアパートの軒下に残したまま?外はこんな大雨の嵐で落雷もあるのに?雷が落ち着くのはいつ?

いくら何でも薄情な女すぎない?

恋人でなかったら部屋に上げる義理もないけど、今は恋人でもある。しかし昨日までの彼を思うと、えらく怖い思いをしたし、ちょっとえっちな事を致してしまった実績があって。とてもじゃないが色んな意味で危険すぎる。

上げても大丈夫、いや上げない方がいい。今のところ、上げない方がいい、の方が断然重い。

しかし頭の中で二人の私がまだ戦い続ける。本当にどうしよう。こんなに短時間で悩んだ事はない。
ちら、と横目に視線を向けると、当の本人は此方の切実な悩みを知ってか知らずか爽やかな笑顔で返された。

「君は部屋に上がりなよ。風邪ひくぞ」

「………」

ずるいなぁ。ずるい、ワタルさんは。絶対分かっててやってる。

下品な仕草や言葉は決して遣わないけど、言わなくても察しなさいという無言の圧を喰らう。以前テレビの特集でやってた、エンジュシティの舞妓さんに「素敵な時計どすなぁ」と言われたら「早く帰れ」って意味だったのに驚愕した。あれに似た雰囲気を感じるのよね。

ええい、仕方あるまい。私とて、何事も無策で生きてきた訳ではない。今度こそ、私の相棒の出番よ。せめてものボディガードだ。

「ウインディ」

「ガウ!」

「?……」

先日のおやつ攻撃では懐柔は図れない。私の部屋の中にはあのおやつより格上のおやつがある事をウインディは知ってるし、場所も私しか知らない。
ちょっとその分、部屋が狭くなるけど致し方ない。リザードンは流石に部屋に入らないし。

「風邪引きそうなのはワタルさんの方です。どうぞ、上がってください。…へ、変な事したらウインディに噛みつかせますからね」

昨日のこと少し怒ってるんですよ、と語気に含めて警戒心もある事を伝えると、拍子抜けした表情の後に軽く笑われてしまった。

「……。はは、頼もしいボディガードだな。俺達恋人なのに」

「(誰のせいでボディガードがいると思ってんの!)」

昨日の洞窟で耽ってしまった戯れがまた脳裏に浮かんで思わず顔が紅くなる。そう考えるとワタルさんに甘いなぁ、私は。
怖くなったらウインディに遠慮なく噛みついて貰おう。大丈夫、ちょっと荒く対応してもこの人は少々の事では怯まないタイプだろうから。

「ありがとう。助かるよ」



□□□□□



先にシャワーどうぞって言ったのに流石にそこまで厚かましくないよ、と拒まれ先に浴びさせて貰った。今は入れ替わりに彼が浴びるシャワー音が廊下に響くだけ。一応1LDKのアパートではあるけど、流石に巨体のカイリューが廊下で佇む姿は可哀想に思ってリビングへ促すが。

「カイリューは此方来なくて大丈夫なの?狭くない?」

「リュー!」

尻尾を上手に折り畳み、脱衣場の扉の前でシャワーを浴びる主人を大人しく待つカイリューに声をかけると、にっこり笑顔で大丈夫〜と返される。絶対私が何を言っても動かないなぁ、この子。流石だ。

そして申し訳ないけれど男物の服がない。ワタルさん、着替えどうするつもりなんだろう。一応大きめのバスタオルを2枚、近くの棚の上に置きはしたけども。

ウインディは私の寝室のベットの横で寛いでくれてる。うん、大丈夫。ずっとそこで見守っててくれ。

「ウインディ、私の事守ってね?」

「ガウ?」

……まぁ、色々考えても致し方ない。
彼は夕食も食べてなさそうだったし、簡単にパスタでも作ってあげようかと台所に立った時だった。私のバックからポケギアが鳴る音が響いて鍋にかけてた火を一度切る。

「もしもし、父さん?」

「よぉーす、リト!この間は悪かったな、ジムリーダー会議出てもらって」

相変わらず元気そうな父の声を聞いて拍子抜けしてしまう。そう言えばジムリーダー会議をお願いされて以来連絡してなかったんだ。こんな時、家族の声を聞くと何だか凄く安心してしまって。

……思わずぽろ、っと全てを言おうとしてしまった。

いや、ワタルさんが近くにいるのにそれはいくら何でも自爆すぎるとすぐにハッとして。父はどうも、私に頼み事がまたあるらしい。

「明後日な、ヤマブキシティのいつもの料亭に13時に来い!」

「え?……なに急に。ちょっと、それって」

嫌な予感がする。具体的に何をすると父が伝えない時はだいたい決まってるから。

「まぁまぁ軽い感じでしか会わんから。おめかしせんでいいぞ。じゃ」

「ちょっと……」

此方は全くそれどころではないのに……!
一瞬でも父に頼ろうと思った私が馬鹿だった。はぁ、と頭を抱えてポケギアを切って台所の方へ戻ると、背後からの声に思わずビビる。

「おめかし?何かあるのかい?」

「!?……いや、何にもないですワタルさん。お気になさらず!」

一番聞かれたくない人に聞かれた。
バッと後ろを向くと、シャワーから上がったらしい彼はいつもの逆立った赤髪は垂れて、紺色のつなぎ?のような服も下半身だけ履いてて上半身は纏われておらず、黒い半袖のTシャツを着ているのみ。
……あー、此方は此方で好きかもしれない。

いや、今はそれどころではなかった。

「明後日、ヤマブキシティの料亭?って言ったらあそこかな。わざわざ何しに行くのかな?」

「……えーっと」

「ねぇ、何しにいくんだ?俺は知りたいな」

連絡してきた父を内心恨んだ。メールで済ませてくれればいいのに、この世代の人はどうしてか直接声を交わしたがる習性を誰か教えてほしい。
あと目の前で穏やかな顔して聞いてくる彼氏の圧が強すぎて、誰か助けて欲しい。ウインディ、君にこういう時にいてほしいのに、どうして寝室でまだ寝てるんだい。


□□□□□


ベット横のローテーブルの前で、思わず正座。別に、私悪いことしてる訳でもないのに。

「軽いお見合い?へぇ……」

「ちゃんと行かないって断るんで、大丈夫ですほんと」

この件に関しては例のジムリーダー会議の後に結構詰められて聞かれたのを憶えている。父にワタルさんを紹介しない理由を聞かれて、だんまりを決め続けてたの心底納得いってなさそうだったし。
案の定、今回もじと目で見つめられるけれども。

「カツラさんが君の事あまり言い触らさないのが何となく分かったよ」

「え?」

少しため息を吐いた彼は、いつの間にか真後ろにいたウインディの背を撫でながら言う。主人の私が言うのも何だが、相棒はこの間のおやつが効いたのか、ワタルさんにしっかり絆されている。

「変な虫にくっつかれたくないだろ?君の事を喋るとそれだけ知られてしまうし。お見合いだって、自分がいいと思った男なら……って親心さ」

「変な虫って……」

「俺が君にアタックした事も予想の範囲内かもしれないな。初めて出会ったあの時だって、ロケット団から確実に君を救出できる実力者として俺に頼ってきたんだろうしね」

自分で言うのもどうかと思うが、確かに貴方以上のトレーナーがカントーにはいないので事実ではある。
本当に父はそこまで気づいてるだろうか。真意は不明だが、彼の言っている事は案外当たってるかもしれない。

「か、過保護って言うんですかねぇ……ウチの父は」

「可愛い娘の為ならそんなもんさ。さ、明後日の13時だっけ?その前がいいかな……君も来れるかい?」

「え?」

何故明後日のお見合いに貴方が行くのかと目が点になる。というか、私は1ミリ足りとも行く気はないのに。
ぽかんとしている私に彼の方も一瞬ぽかんとしていたが。

「今度こそちゃんと君のお父さんに言わないと。お付き合いさせて頂いてますって」

「えっ!?え、いやっ……その……流石に」

そういえばこの間、次の機会にはきちんと君のお父さんには伝えるからね、と念を押されたのを憶えている。今こそその機会と見なされたのだろう。ちょっとこれはまずい展開になりそうで、何とかそれはやめてくれとお願いするものの。

「それを言わないとお見合いは強行されるんじゃないか?」

「いいんですいいんです!ポケギアで明後日は行かないって言えばいいだけの話だし!」

「ダメだ」

流石にこの間みたいに強引に押し切る事は難しそうだ。全力で拒み続ける私にダメの一点張り、彼は本気で父に伝えるつもりだ、どうしよう。

「どうしてそこまで頑なにカツラさんに俺と付き合ってる事バレたくないんだ?……まさか浮気しているとか?」

「流石にそこまで不誠実じゃないです……!」

「だよな。じゃあどうして?」

言えば結婚まで考えてるのか、とか父から根掘り葉掘り聞かれるに決まってる!と、未だにはっきり言えず。かと言って、今は恋愛を愉しみたいから……と馬鹿正直に言うのも憚られる。彼は恐らくその辺は誠実で真面目に考えているからこそ、父にはきちんと報告をしたいのが見て取れるから。
ついには私が浮気なんてあらぬ方向にまで疑いがかかってきて困ってしまう。

「い、いえ。ほら、ワタルさんは何か………もっといい人がいるかもしれませんし」

苦し紛れな言い訳ももう通用しないとは思ってるが、この期に及んで私は悪足掻きをやめられなかった。

「……俺が?君以外と?」

「え、あ……はい。私ほら、コ、コイキングですし」

自他共に認めるコイキングですし。貴方はチャンピオン。身分、というか、格差が。

なんて尤もらしい事を口にする。口にすればするほど、彼の眉間の皺がふえていって刺さってくる視線もどんどん痛くなってくる。しんと部屋が沈黙にまみれて、それから彼から一言。

「本気で言ってる?」

ーーーこ、わい。
ちょっと、これは本当にまずいかもしれない。

「え……いや、あの。ほら、父に交際を伝える時は、本当に結婚すると決めた人かなって」

あ、いや、それも違う。
せめて結婚すると決めた“時”って言えばよかった。これじゃあ彼とは結婚するつもりもないと遠回しに言ってるようなもの。しかしそんな意図は決してないと今更弁明しようとしても、既に後の祭りであった。その場ですくっと立ち上がった彼は、一体何をする気か得体の知れない怖さを孕んでいた。


「聞き捨てならないな」

「!?……」

「君のためを想って今まで我慢してたが、もういい」


灰色の瞳に見下されるのは慣れてはいるが、今回ばかりは彼の語気からしても一切の隙もなく心底怒らせてしまった事が窺える。
昨日のプテラの洞窟とはまた別で違う恐怖が襲ってきて、咄嗟に相棒を頼る。こういう時の為にいてくれて良かった、ほんとに!

「う、ウインディ!助けて!かみついて!」

「ガウ!」

流石に部屋でほのお技は使えないから、そういう躾は昔からしておいて良かったと思ったのも束の間。

「!?……ギャイン!」


は……!?

ウインディがかみつく攻撃をした。確かに彼の二の腕を思いっきり噛みついた訳だけども、即座にウインディが蹴り飛ばされてしまう。というか、ポケモンにけたぐり入れる人初めて見た。ドン引きして口が空いたまま、何にも言えなくなってしまった。


「満足かい?ウインディ」


一度床に転がったウインディがすぐに起き上がって、二度三度吠えて威嚇するも、ワタルさんを怖がってか脅えを見せて両耳を下げ、左右に小さく飛び跳ねる。ポケモンならまだしも、人に向かってここまで脅えるウインディは見たことがなかった。
流石に可哀想に思ってしまって早くモンスターボールにしまおうと、玄関に置いておいたリュックを取りに行こうとしたが。

のっしのっしとウインディの後ろから現れた巨体の事を忘れてしまっていた。ガシッとウインディの尻尾を掴み、私に近づこうとする愛犬を無理矢理引きずっていく。更には主人に許可を得たからは、もう遠慮もなく。


「カイリュー、外で可愛がってやれ」

「リュー!」

「ガウガウ!ガウ!」


吠えながらもズルズルと引き摺られていく父の愛犬をただ見る事しかできなくて。廊下にあった私の家具とかも色々散らかっていくものの、カイリューがウインディを引き摺りながらもちゃんと玄関の扉を閉めて行ってて逆に感心してしまっていた。

いや、今はそれどころではない。
それどころではないのに、私の頭はついていかない。というか。


ーーーついていきたくない。



したたか�M
(強者な下衆と弱者な下衆)

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