�A唇の感触
『すまん、チャンピオン。本来ならばわしが行きたい処なんだが、生憎組織から脱出する時にポケモン共々怪我をしてしまってな』
『いえ。構いませんよ、まさか娘さんがいらっしゃったとは……知りませんでした』
『警察には事前に娘のことは連絡してある。娘がどういう状況かは分からんが、どうか無事に連れ戻してきてくれ』
送られた写真にはカツラさんの相棒であるウインディと研究者らしく白衣を着た若い女性。一目見てカツラさんがあまり娘の存在を言い触らさないのが分かってしまうほど、聡明さと可愛らしさを兼ね揃えた外見で。ニビシティの科学博物館で研究員として働いてるらしい。
なるほど、最近博物館の来場者が増えてると聞いたが単に下心のある奴が増えただけなのかもしれない。
何にせよ、彼女を組織から救出する事が俺の役目。
潜入は案外簡単に成功し、順当に向かってくる団員たちを問答無用に締め上げる。下っ端達にこのアジトで何を企んでるのかと聞いたが答えは一向に返って来ない。ただ、アジトの奥の方に研究室があり、攫ってきた女の研究員が逃げ出さないよう24時間監視しているだけ、と。
恐らくその研究員がカツラさんの娘さんなんだろう。可哀想に、とその情報だけを鵜呑みに出来りゃ良かったんだが。
研究室に侵入すると、ポケギアに向かって嬉々とした声で話す彼女を見て、思わず拍子抜けしてしまった。
『すぐに完成させてみせます……!』
『ボスはきっとご満足して頂けるかと思います!今暫しお待ちを』
それはもう、誰がどう見ても恋する女性の表情だ。彼女の周りにハートが飛び出してるのが見えそうなほど夢中なのである。しかも相手は寄りにもよって、あのボスのサカキとは。
『(感心しないな……)』
恋愛は自由だ。誰を想おうと勝手だが、せめて相手はもう少し選んだっていいだろう。お父さんが泣いてるぞ。
更には恋は盲目らしく、研究物の完成が間近だと耳に入りそれだけは冗談ではないと気を引き締める。早く彼女の目を覚まさなければ、ロケット団の思う通りに悪事が運んでしまう。カツラさんだってそれだけは望んでないはずだ。
突然現れた俺を見て咄嗟に逃げ回る彼女はやはり賢い。リザードンやウインディがよく懐いており、彼女の安全を最優先に大技を繰り出してきた。しかしながら周りに気を遣うまでの余裕はなかったんだろう、研究室内はカイリューの攻撃も相まって跡形もなく壊滅状態に陥った。
下っ端団員の後を尾け、やっとの事彼女を捕縛するところまでは出来たが、洞窟内で押し問答をしている内、彼女のサカキに対する想いを思い知らされる。また、こうと決めたら強情で頑固な面も窺えた。足を洗うつもりはない、とにかく解放して欲しいと。
こんな出会いでなければもう少し柔和な話し合いで終わらせられたものを、サカキを追う可能性があり且つ研究員である彼女を黙って見過ごす訳にはいかなかった。
『……。そうか』
ーーー俺も何故あんな事をしたのか分からない。
性懲りもなくサカキを慕っているからか?俺が警告したにも関わらず足を洗おうとしないからか?キスで人が言う事を聞くなら警察はいらないだろうし、いずれにしたってあとは警察に一言言って頼めば済むのに、俺はその選択肢を目に入れようともしなかった。
そして終いには、人生で初めて“下衆”呼ばわりされてしまう。別に悪党に絆された彼女(下衆)に言われた処で痛くも痒くもなかった。
じゃあいったい、何が気に食わないのか。
もやもやと思考の渦が絡まり続けて不穏な空気にしたまま、俺の一挙手一投足にビビる彼女に一歩近づこうとした時だった。
彼女のほうも電話越しにサカキから辛辣に『消えろ』と拒絶されてしまい、今に至る。放心状態の彼女は、ポケギアを地に落としてしまった。
「フラれたようだね」
「……」
内心清々しく気持ちのいいものだった。悪党に騙されて使われる人間が一人減ったんだ。盲目な彼女にはいい薬だ、これでサカキを追う事もないだろう。
「君にとってボスは居場所をくれた正義でもあり、愛していたんだろうけど」
「……」
「世間一般はそれを“つけ込まれた”って言うんだよ」
いけしゃあしゃあと尤もらしい言葉が出る自分に内心反吐が出る。俺だって何を以てマントを地に落としたんだろう。俺もサカキと大して変わらない、彼女から見たらつけ込もうとした側の下衆な男なのにね。
「……そうね。でも」
キッと此方を向き、先程まで怖がっていたような声色は隠れ、恨みがましい目で俺にこう言った。
「正義面振りかざしてキスを迫る男よりはよっぽどいい男だったわ」
あぁ、確かに。好意を伝える事もなく勝手に唇を奪う俺なんかより、きちんと拒絶を言葉にしたサカキの方が何倍もいい男だったろう。俺は何も言えなかった。そして心底、あの時タイミング良く着信が鳴って良かったと思う。
出口で見張りを続けていたカイリューを呼ぶと、静かに彼女は観念したかの如く呟いた。
「警察に連れて行って」
「……わかったよ」
□□□□□
「おぉーい!リト、無事だったのか!」
「……父さん」
夜も更けそうな時間になっていた。
カイリューに乗ってグレンじまのポケセンまで彼女を連れて行くと、松葉杖をつくカツラさんとジュンサーさんが我々を出迎えてくれた。
「すまんかった、わしがロケット団に捕まったばっかりにお前がこんな目に……。流石はチャンピオン、娘を無事救出してくれてありがとう」
「…いえ」
彼女はボスに見限られ、足も洗った。研究物やあの研究室も跡形もなく消えてしまい、ロケット団の目的こそ掴めやしなかったが悪事をあれ以上に遂行する事は阻まれたろう。
だが、清々しい気分のはずなのに後ろめたさは消えない。
純粋に礼を言いながら握手をしてくるカツラさんに応えつつも、俺は真正面から彼の顔を見続ける事が出来なかった。
「カツラさんのお嬢さん、リトさんですね?事情聴取のため、署までご同行お願いします」
「……はい」
「リト。怪我してるようだが、奴らにやられたのか?」
それは俺が彼女を尋問した時に……と、正直に事実を話して謝ろうとした時だった。制止されるように防いだ彼女の声によって遮られ、その場の空気が少し和む。
「下っ端のアーボにやられたのよ。蛇はもう、懲り懲りだわ」
「なるほど。わしはマタドガスの体当たりにやられたよ……!左足を骨折してしまったわい」
わはは!と声高々に笑うカツラさんに釣られ、彼女もどこかホッとしたかのように笑った。
父親を必要以上に心配させたくなかったのか、気まずい俺の雰囲気に更なる罪悪感を持たせたかったのか。いずれにせよ、彼女のその発言のお陰で俺は本当に格好悪い男に成り下がってしまった。
「何はともあれ、父さんも無事で良かったわ。色々、ありがとう」
「あぁ。チャンピオンにも礼を言っとくんだぞ」
そう振られた彼女は一度だけ此方を振り向き、会釈をした。小さく「ありがとうございました」とにこりと礼を言われ、また俺の頭に罪悪感という岩が思いっきりのしかかる。
当然だがその目は笑ってるようで、全く笑っていなかったんだから。
□□□□□
ーーー次の日。
ロケット団アジト壊滅!なんて新聞にデカデカと掲載されている。勿論、あの男や私の事など全く触れられてもなく、研究室にあった研究物にも触れられる事もなかった。
休職届を出していたニビシティの職場にも事情を説明すると、私の怪我の療養も兼ねて数日間休んで来週からの出勤で構わないと許しが出た。
数ヶ月ぶりに帰ってきた自宅で、やっとゆっくり寝られて幸せな自由の身なのに、嬉しい気持ちなんてこれっぽっちもなかった。
「(サカキ様……)」
当然、折り返し連絡しても出てはくれず。
あんなに拒絶されてしまったら、正直どんな反応をされるか怖くて、何回もかけ直す気にもなれなかった。それに。
ーーーあの男の、唇の感触が消えない。
『世間一般はそれを“つけ込まれた”って言うんだよ』
「っ……やだなぁ」
あの男が言ってる事はご尤もだ。私はただ、組織では使える研究者だったからこそ、サカキ様も居場所を提供して使ってたってだけの話。別に恋仲でもなくセフレでもない、ただの上司と部下の関係でしかない、取るに足らない関係。世間一般の皆々様は馬鹿な女だな、と嗤うだろう。
あのキスのお陰で取るに足らぬ恋はまやかしだと気付かされたみたいで、今でも凄く癪に障る。何が“つけ込まれた”よ、あんただってそうじゃない!と。
グレンじまで父とジュンサーさんの前で真実をぶっちゃけたかった。正義のヒーロー面してるけど、この男いきなりキスしてきたんですよって。それでも何とか堪えたのは、私も父の救出をそっちのけに悪党に絆されてしまってた事実があったからこそ。怪我している父をそれ以上に心配させるのも憚られたし、恥ずかしくてとても言えもしなかった。
何だか一人で考え込んでもどうしようもなくなってきてしまい、気分でも変えようと徐にテレビのスイッチをつける。ニビシティの天気、ニュース、料理教室、なかなか今の気分が晴れるいい番組がないと諦めかけていると。
「最終決戦、四天王ドラゴン使いの“ワタル”!対するはエリートトレーナーの“シズク”!」
今一番見たくない男が出てきたのですぐにテレビを消す。昨日の今日だってのに、セキエイリーグでは四天王に挑戦するトレーナーを平然と迎え入れていた。まぁ、それも当然なのだが。
昨日出会ったあの男は別人なのでは?と思うほど、とても同一人物とは思えない。私も以前、テレビで何度か試合を観た事はあるがまさかあんな男だったとは思わないではないか。
しかしそれは案外、周囲が勝手に作り上げた彼の虚像なのかもしれない。
グレンじまでは少なくとも、父からの感謝も私からの礼も、居心地が悪そうに受け取り複雑な表情のままだったのはまだ救いようはあるんだろうけれど。
いずれにせよ、もう会う事はないし。
どうでもいい事だが。
「大っ嫌い」
唇を拭えど拭えど、消えてはくれない。
何というか、消えないマーキングをされたような変な気分になる。これを綺麗さっぱり拭うには、いったいどうしたらいいんだろう。
唇の感触�A
(下衆の帰還)
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