12-ボール


「あ、おかえりヨー」
「あれ、もう帰ってたんだね。ただいま」

酢昆布をくちゃくちゃと齧りながらテレビを見ていた神楽ちゃんが、くるりとこちらを振り返った。三人で行った筈の仕事はもう終わったのだろうか。

「坂田さんは?」
「散歩行ってくる言ってたヨ」
「そっか」

私も散歩に行ってたのにな。行き違いになってしまったらしい。

「……あ。塩がもう殆どないや……ヤバい。ちょっとスーパー行ってくるね」
「荷物持ってやるヨ」

神楽ちゃんが目を輝かせながら後ろをついてくる。
待て。またカゴに酢昆布を大量投入する気だろう。その手は食わん……。

*****

「あらら……また家計が火の車だよ……しかも燃料が酢昆布だから、異臭がすごい事になるよ」
「私が全部吸ってやるヨ」
「やめい」

煙を吸うと肺がやられてしまうぞ。酢昆布で肺がやられるって、何か嫌だ。
酢昆布の箱がわっさーと入っている袋を草むらの上に置いて、さっき買ったボール(通常より大きめ、と言うか人間の子供用)をそぉい!とぶん投げれば、定春君は土煙をあげながらそれを追いかけて行った。

「す、すごい……まるで馬のようだ……」
「ふん、投げ方が甘いネ。いいか、見てるヨロシ」

定春君が持って帰ってきたボールを、神楽ちゃんがふんぬ!と全力投球した。
勢いがいいなんてものじゃないセルフホームラン。そしてボールは星になって見えなくなった。……え?

「ふっ、どんなもんネ」
「あああ……税抜き300円が……」
「アオーン……」

*****

一旦万事屋に帰って食材を冷蔵庫に入れてから、私は定春君に乗ってボールを探しに来ていた。
ついて来てくれた神楽ちゃんが「しょうがないアルなー」とぼやきながら、傘をくるくると回す。いや、あのボール星にしたのは誰だと思ってんだ。

「ここら辺にはないみたいヨ」
「でも、この近くに落ちてきてる筈だよ」

ここらはもうかぶき町ではなく、隣町の区分だろう。
街並みが茜色に染まってきている。見つけられなくても、日が暮れたら帰らないと。

「……あれ、何かあっち騒がしいね」
「ガキがはしゃいでるアルか?」

ひょこ、と二人(と一匹)して角から顔を覗かせれば、何故だか黒っぽい服を着た男二人が走り回っていた。
あれ、こんな平成っぽい(にしても十分変わってるけど)服装の人もいたんだ。

「ゲッ、汚職警官ども」
「え、なに?」
「アイツらには近付くんじゃないネ。チンピラ警察24時ヨ」
「えっ」

何それ、チンピラなの?警察なの?どっちもなの?どういう事なの?
なんにせよ、怖い。戸籍がない身としては恐怖だ。

「わ、わかった。……あれ?あの人ボール持ってない?」
「ん?……あ!」
「ワン」

薄茶の髪の男の子が、ボールを持って全力で走っていた。その後ろを、般若のような顔をした黒髪の男が追っている。どう見ても警察違う。チンピラ説が濃厚。

「あっ、見失っちゃうネ!雪、早く定春に乗るヨロシ」
「え、追うの?」
「はいヨー定春!」
「ワン!」
「おわっ」

ぽいっと定春君に乗せられ、勢いよく走り出した。神楽ちゃんの足も、定春君に負けないくらい早い。エンジン搭載してる?

「オイコラテメーら、待てやァァァ!!」
「……あん?うおっ!何だ!?」

そりゃ、巨大な犬と馬並みの速さで走る華奢な女の子がいたら驚くわ。幻覚かと思うレベル。
黒髪の男がぎょっとした顔をこちらに向ける。次いで茶髪の男の子も、きょとんとした表情で立ち止まった。

「オイ、そのボール定春のヨ。とっとと返すヨロシ」
「ワン」
「あァ?……おい総悟、ああ言ってるぞ。返してやれ」
「へい」
「ぶべらっ!誰が俺に返せっつったァ!」

何の躊躇もなく顔面にボールを投げつけられた男が叫ぶ。当たり前だ。

「いい加減にしろォ!俺は的じゃねーっつってんだろ!……ったく……ホラよ」
「……あ、ありがとうございます」

神楽ちゃんと違って手ぶらだった所為か、黒髪の男は私に近付いてボールを渡した。
ぺこっと頭を下げれば、何故かじっと見詰められる。瞳孔開いてますけど大丈夫ですか。

「オメー……チャイナ娘のダチか」
「え?……ええ」
「ダチなんてもんじゃないネ、私たちはもうとっくに同棲……」
「そ、そうなんです!とっくの昔に親友なんですよ!ね!」
「むごっ」

変な説明をしようとしている神楽ちゃんの口を、秒速十メートルもの速さで塞ぐ。
神楽ちゃんと住んでいるという事は、坂田さんと住んでいるという事だ。どうして居候しているのかなんて、出来れば訊かれたくない。
警察相手だと、緊張して余計な事まで口走って墓穴を掘ってしまいそうだ。坂田さんと親戚同士だなんて事実、どこにもありはしないのだから。

「そ、そういえば……神楽ちゃんたち、知り合いだったの?知らなかったなー」
「ふん、腐れ縁ヨ。行く先々に現れやがって。オメーら、ストーカーだろ。あんコラ」
「あァ?寝言は寝て言いな。オメーらこそ、胡散くせ―事ばっかしやがって。隙見せたら即ブタ箱ぶち込んでやらァ」

睨み合っている神楽ちゃんと男の子を、私はポカンとした表情で見つめた。何があったんだ。今の僕には理解できない。
何とかしてくれませんかと願いを込めて、この場で一番年長であろう黒髪の男の顔をじっと見つめた。
溜め息を吐くのに忙しいらしく、男が私の視線に気付く事はなかった。こっち見ろ下さい。

「……オイ。けーるぞ、総悟。日が暮れちまう」
「ヘィ。……そういやアンタ、見掛けねぇ顔ですねェ」

ぎく、と嫌な感じに緊張が走って、全身が強張った。
何とか愛想笑いを浮かべつつ「そんな事ないですよ。さようなら」と言い残し、そそくさとその場を去る。
自分で言うのも悲しいが、非常に怪しかったね。怖くて振り返れない。こっち見るな下さい。南無阿弥陀仏……悪霊じゃねーよ。

「どうしたネ。アイツら怖いアルか」
「え、だって、神楽ちゃんがチンピラなんて言うから……はは」
「私がぶっ倒してやるヨ」
「すごく頼もしいんだけど、警察相手にそれは不味いんじゃないかな」

何となく警察の証言>一般市民の証言なイメージがある。偏見かな。
警察の知り合いなんていなかったので、実際の所はよく分からない。とりあえず怖い。

「あ、アレ銀ちゃんヨ」
「え?……あ、本当。こっち来てるね」

ボールの表面をぷにぷにと指先でつつきながら、坂田さんが近付いてくるのをぼんやりと眺める。そういえば、坂田さんも散歩に行っていたんだっけ。

「オメーら、何処行ってたんだ。冷蔵庫に食いもん増えてんのに、オメーらだけいねーしよ。晩飯は?」
「偶にはテメーで作るヨロシ。番頭男子が今の流行ヨ」
「……あ?いや、弁当男子じゃね?」
「帰ったらすぐ作るね」
「つーか、何それ。どっかから拾ってきたのか?」

坂田さんが、私の持っているボールを指差しながらそう言った。
……あれ、ゴミ捨て場から拾ってきたとか思われてる?

「ちゃんと買ったやつだよ。定春君と遊んでたんだけど、神楽ちゃんが頑張って投げ過ぎたんで探しに行ってたの」
「どんだけ頑張ったらこんなとこまで飛んでくんだ?大砲で飛ばした?」
「んなもん使わなくても余裕ヨ」
「次からはもうちょい手加減してね」
「ワン」



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