13-隠れる


卵やティッシュが安い日だったな、と財布だけ持ってスーパーへ向かっている途中。この前出くわした、黒服の二人組がずっと前から歩いてくるのが見えた。
自分一人の時になんて、尚更接触したくない。私はなるべく自然な動きで方向転換すると、建物の間の狭い道に入った。
進んだ先でもう一つ角を曲がり、黒服の三人組が通り過ぎるのを待つ事にした。暇か。暇です。坂田さんたちは仕事に行っていて、家には誰もおりません。
指先でちょいちょいと前髪を整えたり、着物に定春君の抜け毛が付着していないか確かめたりして時間を潰す。

……もうそろそろいいだろう。私は背後の壁に体重を預けるのをやめると、先程の道へ戻るべく、てくてくと歩き出した。

「うぐ」

襟の部分を掴まれたらしく、それ以上前に進めず代わりに首が締まった。
うわ、こんな薄暗い所にいたからチンピラに目付けられた?カツアゲとかする気だったらどうしよう。
数千円しか持ってないんだけど。少なかったら殴られるの?何それ怖い。世紀末。

「こんなとこで何やってんだ?」

カツアゲするどころか、食事を奢ってくれたお兄さんだった。一気に肩の力が抜ける。
いきなり背筋をなぞったりと、この人は普通に声をかける事が出来ないのだろうか。出来ないんじゃなくて、したくないだけなんだろうけど。もっと性質悪いわ。

「……び、びっくりした……カツアゲかと思いました……」
「もしそうなら、もっと金持ってそうな奴に声かけらァ。夜道ふらふら歩いたり、警戒心ってもんがねーのかお前さんには」

ちょっと路地裏に入っただけで、そんなに怒らなくても。貴方は私のお父さんか。
言い返しはせずに俯いてしょぼんとしていると、顎を掴んで顔を上げさせられた。まだ説教が続くようなら走って逃げよう。

「どうして真選組の奴らから隠れてた?」
「へ?」

返事に困り、視線をうろうろと彷徨わせた。
そんなつもりじゃなく、ただ路地裏に入りたい気分だったから……いや、その方が怪しい。路地裏マニアかな?

「べ、別にそんなつもりは……ただ……」
「ただ?」
「……ち、近道を……」

この道の先に何があるのかも知らなかったが、とりあえずそう言っておいた。うん。苦しいね。
案の定、お兄さんはにんまりと嫌な笑みを浮かべながら小首を傾げた。うん。恐ろしいね。

「へぇ……でも、この道はやめといた方がいいと思うぜ。変な薬買わされたり、知らない星に売り飛ばされたくねェだろ?」

……え?脅かしてるだけ……だよね?そうだと言って。
冗談だと思いたいが、お兄さんのいやーな笑みを見ていると、妙にありえそうな気がしてきた。
というか、このお兄さんが変な薬売ってるんじゃない……よね?そんな訳あるだろ!間違えました。
思わずじりじりと後ずされば、とん、と背中が壁に当たる。これ以上下がれない。
お兄さんが薄く笑ったまま手を伸ばしてくる。頬をなぞられる擽ったさに目を瞑ってじっと耐えた。

「ところで……お前さんは、親戚と同居してるっつってたなァ」
「……え、ええ」
「おかしいなァ。銀時に親戚なんぞいなかったと思うんだが」

思わず目を見開いてお兄さんの顔をじっと見つめてしまう。
どうしてそんな事まで知っているの、と訴えるような私の表情を、お兄さんが愉しそうに眺めていた。

「そ……れは……」
「うん?」
「……あの……」
「何か後ろ暗い事でもあるのかい」
「……違います……」

もし警察に追われる身だなんて思われたら、どうしよう。逃げるようにして隠れていたのがバレたみたいだし。
坂田さんが犯罪幇助しているなんて思われたら、私は責任を取って切腹しなくてはならない。ならないけど絶対にしない。怖すぎ。

「わ、私……ちょっと昔の記憶が曖昧で……。倒れていた所を見つけて拾ってくれたらしい坂田さんのお世話になってまして……」
「…………」

思い切り視線を逸らしながら言えば、その場に痛い程の沈黙が下りた。嘘だと思われている気がする。気の所為であってくれ。
まあ、確かに私もそんな事を言われたら「リアリティないから考え直して」と言うかもしれない。編集者か。

「……何度か、泣いてたなァ」
「……え」
「銀時の奴に拾われてから、泣くほど辛い事があったって事かい」
「ち、ちが……」

なんか、坂田さんがきつい事を言って私を泣かせたみたいじゃないか。慌てて首を横に振った。
そもそもここには、泣きたくなる程残酷な事を言ったり、机に彫ったりする人なんていないのに。……今の所は、だけど。

「あ、あれは……ただ……」

いつの間にか、お兄さんは指先で私の髪を弄っていた。すいません、聞いてますか。
川原でのあれはともかく、夜道で出くわした時の事だけでも弁明しておこう。

「……やな、夢を見たんです……酷い事を言われたような……そんな気がする……夢を」

あまり説明したくもない。
久しぶりに教室内での息苦しさや、どうしていいか分からず子供のように泣きたくなる遣る瀬無さを思い出してしまい、鼻の奥がつんと痛んだ。

「わ、私は……坂田さんに拾われるまで、あんまり……少なくとも、今ほどには……幸せじゃなかった気が、するんです」

説明にもなっていない説明を終えると、私は涙を堪えながら俯いて黙り込んだ。
川原でのあれも、別に坂田さんに何か言われた訳じゃないんだよ。あなた、もう糖分はやめて!うるせえ!ガッシャーン!きゃあ!とか別にないから。
でもそれは後で伝えよう。今口を開いたら、もう。

「野暮な事聞いちまったみてェだな」
「…………」
「泣かねェでくれ」

温かい手で背中を撫でられ、余計に目頭が熱くなった。
あそこにはもう、泣くなと言ってくれる人なんていなかったから。


*****


「あ、あの……すいません、今日も……」

茶屋に連れていかれた上、好きなものを頼めと言われた。
普通に申し訳なかったのだが、黙ってじっと見詰められれば「悪いんで結構です」と断る勇気なんて、三秒で消滅した。わーい奢りだ嬉しいなー。

「さっき訊かれた事ですけど」
「あ?」
「身元とか分からないので、警察の人が何となく怖かったんです」

というか、チンピラ警察二十四時とか言われたらそうでなくとも怖い。
黒髪の人、鬼のような顔して走ってたし。薄茶の髪の人、神楽ちゃんとメンチ切り合ってたし。ただのチンピラ二十四時。

「そりゃおかしい。普通は身元が分かんなきゃ、警察に頼るもんだろう」
「……あ、そっか。それもそうですね」
「…………」

言われてみれば、どうして坂田さんは私を警察に突き出さなかったのだろう。
確かにこの時代には珍しい格好だったけど。……警察に行けない類の人間だと思われたのだろうか。
そして私も、どうして「思い出すまでのんびりしてりゃいいだろ」という坂田さんの言葉に甘えていられたのだろう。
記憶はなくとも、周りの風景が異様である事を、何かが今までの日常とは違う事を理解していたのだろうか。

「うーん…………」
「食うか悩むかどっちかにしろよ」
「あ、はい」

何も考えないようにしながら甘味を口に運んだ。普通に美味しいので表情が緩む。
頬杖をついて私を眺めるお兄さんはまるで、飼い犬が餌を食べているのを眺める飼い主のようだった。
何だか餌付けされっぱなしだな。いいけど。


151204


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