14-落書き


「暇だから原チャリ出してやるよ」と言う坂田さんの言葉に甘え、私は今大江戸スーパーに来ていた。
どうして江戸にスーパーがあるんだ!という疑問は、いつの間にやら感じなくなっていた。慣れって怖いね。

「免許取るの難しかったですか?」
「別に。余裕だっつの」

坂田さんは、その気になりさえすればかなり要領のいい人だと思う。羨ましい。めったにやる気を出さないのがネックだけど。
なんて思いながら坂田さんを眺める。坂田さんはパフェタイプのアイスを次々とカゴに投入していた。糖尿病で死んだりしないでね、本当。


*****


「帰るの楽だから一杯買っちゃった」
「すぐ食えるもんは隠しとけよ。一日で消滅すんぞ」
「うん」

アイスは保冷剤なんかの下敷きにしておこう。その他は金庫の中に隠しておこう。腐るわ。そして金庫なんてなかった。
初めて神楽ちゃんとご飯を食べたときは、そりゃもう驚いた。胃袋の中にブラックホール常備してますと言われたらそうですねといい笑顔で頷いただろう。

「そうだ。坂田さん、この後……」

そこまで言いかけて口を噤んだ。道の少し先にいる、あの黒服の男は……警察、つまり真選組の。私はさっと坂田さんの体を盾に身を隠した。我ながら怪しい。逆効果。

「……何だ?どーした」

私の視線の先を見た坂田さんが「あー」と納得したような声を漏らした。
ボールを探していて出くわしたときの事を、食事中の話題にした事がある。坂田さんも当たり前のようにチンピラ警察と呼んでいた。ブルータスお前もか。

「あんま近付くなよ。噛み付かれんぞ」
「……えっ?嘘だ」
「マジマジ。もしくはマヨネーズかけられんぞ」
「えっ?訳が……分からないよ……」
「マジマジ。ほら、けーるぞ」
「大嘘ぶっこいてんじゃねェェェ!!」
「ぶべらっ!!」

脳天にチョップを喰らった坂田さんがしゃがみ込んで呻き声を上げる。
ちょっと心配になったので、私も坂田さんの隣にしゃがみ込んだ。肩に手をおいて口を開く。

「大丈夫?」
「あー……やべ、コレ頭二つに割れてね?尻じゃねーのに真っ二つに割れてね?警察の不祥事じゃねーか、オイ」
「ほざけ。こっちも警官侮辱罪で出るとこ出てやろーかコラ」

睨み合っている二人をあの時のようにポカンと眺めていると、黒髪の男が徐にこちらを見た。ターゲット変更ですか。やめろ下さい。

「ん?……チャイナ娘といた奴か。コイツとも知り合いなのかよ。やめとけ」
「やめとけってどういう意味だコラ。余計なお世話だっつーの、腐れポリ公が」
「あん?年中無休で仕事なくて腐ってるプー太郎にゃ言われたくねェな」
「腐ってねーしィ!仕事ある時は輝いてっから!」

話が長くなりそうだったので、坂田さんの背後に隠れて息を潜めた。よし、防波堤確保。好きなだけ言い争っていて下さい。でもアイス溶けそう。

「坂田さん、アイス溶けそうだから先に帰ってようか?」
「マジでか。じゃ、俺も帰るわ多串君。市民の税金貪ってんだからちゃんと働けよな」
「……多串さん?」
「違ェよ!オイ、お前!間違って覚えんなよ!俺は土方だ!土方!」
「は、はい……」

どっちやねん。……まあ、本人の言葉が真実だろう。坂田さんは何だか適当に言ってる気もするし。
道路前まで原チャリを転がしていく坂田さんの後ろについて歩きながら、ちらりと後ろを振り返る。
まだこちらを不機嫌そうに見ていた、多串さ……違う。土方さんと目が合ったので、何となく頭を下げれば、何故だか少し驚いた顔をしていた。何故だ。解せぬ。


*****


「ね、あの人警察なんだよね」
「おー……一応な。一応」
「変わった格好してたね」
「洋装ってーの?……つーか、オメーも初めて見た時、かなり変わった格好してたぞ」
「あー……そうだった?」

きっと私はもう、失くした記憶を全て取り戻している。一体、いつまでこうしていられるのか。
本当なら自立して独り暮らしをしたり、そうでなくとも働いて坂田さんの家にお金を入れなくてはいけないだろうに。でも、どうすればいいのか分からない。
そして現状維持を続けて、気付いたらこんなに時間が経っていた。何となく真っ直ぐ前を見れなくなって、顔を逸らす。

「何見てんの?おもしれーもんでもあんのか?」

いつの間にか、坂田さんが私の視線の先を辿っていた。
別に何もないです。子供が塀に書いた落書きくらい。多分あれは、ピ○チュウか得体の知れない妖怪のどちらか。他に選択肢はないのか。

「あーあ、悪い事すんねェ。人様ん家の塀に落書きしちまって」
「坂田さんも、昔はああいう事してたんじゃないの?」
「する訳ねェだろ。俺はむしろそういう事する悪ガキを懲らしめる方だったからね」
「…………」
「あれ?何その半笑い」

そういえば、子供の頃は楽しかった気がするな。
まあ、子供は特に理由もなく意地悪になる事もあるけれど。それでも、中高生の持っているような澱んだ悪意はなかったように思う。何となくだけど。

「坂田さん。……私ね、子供の頃はもっと騒がしい子だったんだよ」

坂田さんの原チャリを押す動きがピタリと止まった。そしてまた何事もなかったかのように動き出す。
まるで一時停止ボタンを押してすぐ解除したかのような光景に小さく笑った。坂田さんの背中をじっと見つめながら歩き続ける。

「女の子たちとおままごとで遊ぶより、男の子に交じって鬼ごっこしたりするのが好きな子だったんだって。だからよく転んだりして、生傷が絶えなかったらしいよ」
「……ふーん。見えねーな」
「そっか。……でも、十歳頃からはちゃんと女の子の友達もできて、気になる男の子もいて、本当に普通に生きてた。特に意識したこともなかったけど、恵まれてたんだと思う」
「そりゃ結構なこった。普通が一番だからな」
「……そうだね」

おかしくなり始めたのはいつからだろう。一人になってしまって、それでも休みの日に友達と出かけたりするのは、相変わらず楽しくて。
いつかはごく普通の、それでいて優しい誰かと結婚してまた家族が出来たらいいなと思っていた。……思っていたけど。

「だけど、そこから先は段々と思い出すのが怖くなってくるんだよ。どうしてかな……幸せだった頃の事ばかり考えてても、何にも変わりやしないんだろうなって思うのに」

言い返したり刃向かったり出来ない自分を知って、きっと逃げ癖がついてしまったのだろう。今だって、思い出した事を話したくない、知られたくないと願ってしまっている。勇気のゆの字もない。

「……ごめんなさい……このままじゃ駄目だって思うのに、私……このままでいたいって……思っ、て……」
「いいじゃねェか」

坂田さんが真っ直ぐ前を向いたまま呟いた。のろのろと顔を上げ、坂田さんの背中を見つめる。

「んな嫌な予感しかしねェんだったら、そりゃ思い出したくもねェだろーよ。寧ろ、何で思い出そうとしなきゃいけねーのか分かんねェよ」
「帰る場所が、あるのかも……ちゃんと一人で生きていけるような、場所が……」

帰る方法なんてもの、あるのかどうかも分からないけど。もしあるのなら、きっと私は帰るべきなのだろう。漠然とだが、そう思う。

「なァ。何で俺がお前を警察に預けたりしなかったのかって思ったこたねェか」
「……うん。あるよ」
「変わった格好してっから、何かアレな事情でもあんのかって思ったのも、まァ……あるけどよ。目ェ覚ました後のお前見てたら、何つーか……ちゃんと見ててやんねーと、誰もいねェような所でふっと消えちまう気がしたんだよ」
「……人は消えたりしないよ」
「いなくなっちまうんだよ。明日も明後日もいる筈だった奴らが、気付いた時にゃ手の届かねェような遠い所にいっちまってる」
「それは……わかる、けど……」
「なんで会ったばっかのオメーを放っとけなかったのかは、自分でもよく分かんねーけどよ。お前は今、不幸せか?」
「そんな訳、ない……時々、理由もなく怖くなるくらいしあわせ、で……」
「だったら、いつも通りへらへら笑っててくれや。ちっとばかし飯の取り分が減ったって構わねェよ。昔みたく一人でたらふく食うより、その方がずっとマシだ」

その後はもう、お互い何も言わなかった。スクーターのエンジンをかける事も忘れて、黙って歩き続ける。
沈黙が心地良いだなんて思わない。でも、暫くはこのままでいい。何か喋ろうとしても、嗚咽にかき消されて言葉にならないだろうと分かっていたから。


20151218


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