16-好きな人


「え?ぴ、ピラニア……?」

引き攣った顔で坂田さんの言葉を反芻する。聞き違いだといいな。

「おう。なんかそんな感じの、でけーのがいるから駆除してくれってよ」
「……大丈夫なの?それ……もう一旦、干上がらせちゃった方がいいんじゃ……」
「それが嫌なんだろーよ。だから俺らに頼んだんじゃね?」
「うーん……」
「……悪ィ。原チャで送ってやるっつったけどよ、今日は……」
「ううん、大丈夫。仕事なら仕方ないよ」

努めてにこにこしながら気にしてないよオーラを出した。坂田さんが頭を掻きながら「悪ィ」と呟く。

「夕方にゃ帰ってこれるかもしんねーし、そん時連れてってやんよ」
「いいよいいよ。仕事の後なんて疲れてるでしょ。今日はちょっとだけにしとくよ。ないと不味いものだけ」
「……おー、そうしろ。あんま重いもん買うと途中で遭難すんぞ」
「それはないな」

何処にあるスーパーまで買い物に行かせる気?富士の樹海?

*****

「本当に新ちゃんは立派な侍になれるのかしら。あんなだらしない駄目侍の所にいたんじゃ、修行もクソもないんじゃないかしら」
「………だ、大丈夫ですよ。新八君なら」
「そうかしら」
「え、ええ。本当に真面目で礼儀正しい、優しい弟さんで羨ましい限りです」
「まあ、そう?うふふ」

こうしていると、本当に唯の上品な別嬪さんである。時よ止まれ。ザ・ワールド。

「私は一人っ子なんで、兄弟のいる人が羨ましいです」
「あら……そうなの。それは寂しいわ。でも良かったわね。万事屋なら賑やかすぎて寂しいと思う暇もないでしょ」
「ええ、本当に」

心の底から肯定した。それだけは折り紙つきだ。
夜中だって、例えば「オイ天パ。眠れねーからお前の布団も寄越せよ」「ふざけんなクソガキ、何で俺が……ぶべら!!」と騒がしい事この上ない。
真っ暗な視界の中で泣きたい気分になった時でも、騒ぎが耳に入ってくればつい吹き出してしまう。気付けば涙も引っ込んでいて。

「そう言えば……親戚同士でも結婚できるのよね」
「えっ……」
「このまま銀さんに嫁入りしちゃおうとか思った事はないの?」
「よよよっ……!?」

考えた事もなかった。ちなみに私は、先の事を考えるのが嫌いだ。
いつかは坂田さんに恋人できちゃうかな。
神楽ちゃんや新八君は大きくなったら遠くに行っちゃうのかな。
定春君は明らかに普通の犬じゃないけど、今は何歳で、あと何年ぐらい元気に生きていられるのかな。
私はいつまで当たり前のようにこの世界で生きていられるんだろう。いっそ「今」が永遠に続けばいいのに。
なんて常日頃から思っている私には、そんな事まで考える余裕はなくて。
だから不意打ちに焦っても仕方ない。うん。無駄に長い言い訳です。

「な、な、ないです。はい……」
「あら、照れちゃって。もしかしたら脈アリなのかしら」
「い、いえ……」

この患者……脈がない!それは違う脈。
ぶんぶん首を振って否定すれば、お妙さんはきょとんとした顔をしてみせた。

「銀さんの事嫌いなの?」
「好きです」
「まあ」
「でもそういう目で見た事はないです」
「でも顔が赤いわ」

くすくすと笑われて眉尻が下がる。
これは……主導権握られた感じ?勝てる気がしない。
リアルファイトの方も勝てる気がしない。それは当たり前。

「そ、それは……お、お妙さんが急に変な事言うから……」
「だって、とても仲が良いんだもの。でも確かに、どちらかと言えば兄妹みたいなものなのかもしれないわね」
「きょうだい……」
「親子の方がよかったかしら?」
「い、いえ。そんな事はないです」

そこまで年開いてない。
精々十ぐらいだろう、多分。神楽ちゃんに偶にオッサン扱いされてるけど。

「雪ちゃんは、好きな人いないの?」
「……気になる男の人って事ですか?」
「そうよ」
「…………」

真っ先に浮かんだのはまあ、あのお兄さんだった。そういう意味でかは分からないけど。
だってあんな個性的な人に何度も会って、全く気になりませんでしたなんて言える人がいるだろうか。
色んな意味で確かに気になる人、そして生物学上は紛れも無く雄だと思うので男の人。略して気になる男の人だ。気温が上がったらしく顔が熱い。

「……いるのねぇ」

心なしか微笑ましそうな顔をされている。慌てて意識を現実に向けた。
違うんだ誤解だ。顔が赤いのは、血行がよくなったからなんだ。それ言い訳じゃないね。
噛みそうになりながらも「お、お妙さんこそどうなんですか」と話題を逸らす作戦に移った。

「あら、私は特に……」
「照れなくてもいいんですよ、お妙さん!!どうぞ俺の事を存分に語って――」
「どっから湧いて出たんだゴリラァァァ!!」
「ぶごォォ!!」

張り手によって数メートル吹っ飛んだ不憫な何かはあの黒服を纏っていた。
警戒心が喚起される。さりげなく数歩下がった。
決して追い打ちをかけているお妙さんが怖かったからではない。決して。ごめん嘘。超怖い。

「局長ォォ!」

これまた黒服の男が数人、警察用らしき車から降りて駆け寄ってきた。
大丈夫かお妙さん。絶対大丈夫だね。私は素知らぬ顔をしてその場を離れた。
……いいよね。お妙さんとは偶々出くわして、ちょっと長めの世間話をしていただけだし。そろそろ買い物に行かなくちゃいけないし。
と思いつつ、ちらりと振り返ってお妙さんの様子を窺った。
今度は違う男の頭を鷲掴みにして持ち上げている。「ぎゃあああ割れるううう!」と悲痛な悲鳴が聞こえた。
さっきまで私と話していたお淑やかなお姉さんは何処に行ったんだろう。戻ってきて。


160111


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