18-包帯


シャワーを浴びれば、赤く染まったお湯が排水溝に流れていった。ホラー映画にありがちな光景。
着物の方も、湯を張った桶に浸けてから洗えば、染みは殆ど目立たなくなった。こんなにすぐ湯を使えるなんて幸運だったな。
ありがとうお兄さん。遂に旅籠に連れ込まれてしまった。貞操の危機、なんて思ってすいませんでした。言わないでおこう。

広い湯船に浸かって、静かに目を閉じた。
手首が超痛いが気にしない。だってこんなに広いお風呂、滅多に入れない。心頭滅却すれば痛みもまた……やっぱり痛い。
無理でした。無念。私はざぶりと音を立てて立ち上がると、潔く浴場を後にした。

*****

「あの、本当にありがとうございます。すごく助かりました」
「そりゃよかったな」
「お兄さんは、今日ここに泊まるんですか?」

お兄さんが煙管を咥えたまま「あァ」と呟く。
私はさりげなくお兄さんから離れた位置に腰を下ろした。副流煙消滅しろ。

「暫くの間いるつもりだ」
「へぇ……じゃあ、また近い内に会えますかね」
「会いたいかい」
「……まあ……」

目を逸らしながら、小さな声で肯定した。
照れ臭いのは、お妙さんとの会話を思い出してしまったからだ。
気になる人……か。そりゃ気になるでしょ。こんな個性的な人。
視線を落とせば、自身の手首が視界に映った。意識すれば尚更ひりひりと痛みだす傷口を、もう片方の手でなぞる。
思えば大胆な事をしたものだ。もう一回やってと言われたら全力で逃げる。冷静な時は絶対に無理。

何だか視線を感じた気がして顔を上げれば、お兄さんがこちらを眺めていた。慌てて手首を袖の中に引っ込める。
違う違う。リストカット違う。確かに自殺はしたけど、リストカットはしてない。あれ?普通逆?

「……お、お兄さんて、気になる人いますか?」

引き攣った笑みを浮かべつつそう尋ねた。
いきなり何言ってんだコイツと思われた可能性が80%突破。焦り過ぎだ。餅つけ。違う。落ち着け。

「……何だ、急に」
「い、いや……さっき、知り合いのお姉さんとそういう話してまして。あはは……」
「はァ……まあ、いねえ事もねェが」
「そうなんですか。十人くらい?」
「……なァ、ちょっとこっち来い」
「ごめんなさい」

思っても言っちゃ駄目だったね。うん。
でもするっと口から出たんだよ、本音が。言い訳しとこう。

「あの……勿論、冗談ですよ。冗談」
「その割にはえらく真顔だったな」
「…………」

確かに十人くらい?の時だけ真顔になっていたね、私。言い訳破れたり。

「……気になってるぜ。お前さんの事は」
「……え?そうなんですか?私も……」

貴方の事が気になってるんですよ。なんて普通に言いそうになって、慌てて口を噤んだ。
あれ、何?この流れ。何か……おかしくない?いつから合コン始まってた?

「……何だ」
「あ、いや、な……何でも……」
「顔赤ェぜ」
「ゆ、湯冷めして風邪引いただけですよ」
「そりゃよくねェ。布団敷いて暖めてやろうか」
「あ、そうだ。買い物の途中だった」

ありがとうございましたと深く頭を下げると、そそくさと部屋を出た。
……負けた。何がかは分からないが、とりあえず負けた。無念。
浴衣のまま帰る訳にはいかないので、私は洗ったばかりの着物を手に先程の脱衣所へと向かった。

*****

全く乾いていない着物で万事屋に帰った。寒い。本当に風邪引く。嘘から出た誠ちゃん。

自重しないセクハラ発言に思わず逃げ出してしまったが、少し失礼だったかもしれない。
泊まる訳でもないのに風呂だけ使わせてもらったが、もしかしてお兄さんがお金払ってたり?だとしたらジャンピング土下座もの。出来ないけど。
何か私に出来る事はないだろうか。奢ってもらったりと、お世話になりっぱなしだ。
いつもありがとう。親切な十八禁お兄さん。それだけの情報だと完全に不審者。

履き物を脱ぎながら「ただいま」と呟けば、「おー」と適当な返事が返ってきた。早く帰ってこれたようだ。
てっちてっちと足早に箪笥のある部屋まで行き、着替えを引っ張りだした。
早くこの着物を干さないと。ギンギラギンにさりげなく干しておこう。

「どーかしたか?」

坂田さんが、襖を開いてこちらの部屋を覗き込みながら尋ねてきた。作戦大破。
いや、脱いでいる最中だったらどう………にもならないか。あのお兄さんじゃあるまいし。
坂田さんは十八禁指定人物じゃありません。ナースもののAVなんてうっかり見つけたりしてません。あの時はすいませんでした。

「ちょっと川でこけてずぶ濡れに……」
「……本当、オメーってやつはよォ……」

坂田さんが呆れたように溜め息を吐く。
あっさり信じてもらえました。有り難いと思う反面、少し虚しくなった。解ぜぬ。

*****

着替えた後、救急箱の中から包帯を拝借して手当てを済ませた。
居間に行って坂田さんに声をかける。

「坂田さん、包帯ちょっともらったよ」
「あ?……包帯?怪我でもしたか」
「こけた時にちょっと。割れ物でもあったのかも」
「マジで?ちょっと見せてみ」
「いや!セクハラ!」
「え、何で?反抗期?寧ろ思春期?」

軽い怪我だから大丈夫だよ、と手を振りながら笑えば、坂田さんが「気ィ付けろよ」と目を細めた。
……あ、呆れられている。もっとマシな嘘を吐けばよかった。
ちょっと通り魔に斬られて……それだとただの大事件。

「坂田さんこそ、大丈夫だった?ピラニア」
「おー。つーか、ピラニアじゃなくて地球外生命体だったわ。牙生えてたけど」
「へぇ……ちょっと見てみたいな」
「神楽が全部焼いて食っちまったよ。「見た目はキモいけど結構いけるアル」だってよ」

坂田さんが裏声で神楽ちゃんの声真似をする。地味にツボに入った。
笑いを堪えながら「神楽ちゃんは?」と尋ねる。

「定春連れて散歩だろ。出くわさなかったのか」
「うん。……あ、実は買い物まだなんだ。またちょっと行ってくるね」
「え?マジで?どんだけなげー事川にいたの?こけて一時間ぐれェ気絶してた?」
「そんなまさか。……途中でお妙さんと会って世間話したり、お妙さんが……いや、何でもない……」
「何があった」

*****

結局、坂田さんが原チャリで買い物に連れて行ってくれた。
ほっとくとまた怪我しそうだからと言われればぐうの音も出ない。怪我したてのほやほやです。自傷だけど。


20160125


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