04-酔っ払い


風がひゅうひゅうと強く吹き付けてくる。少し肌寒い。暖かい上着でも着てくればよかった。でも、今更何処にも戻るつもりはない。
夜の闇を背景に、無数の灯りが煌びやかに輝いている。なのに全く綺麗だと思えなかった。
足を進める度に、胸が潰れてしまいそうな程苦しくなる。勿論、誰かに止めて欲しかった。でも何処にも「誰か」なんていない事は痛い程に分かっている。だから私は、


*****


怖い夢を見た。
隣で寝ている筈の坂田さんに形振り構わず抱き付きたかったのだが、隣に敷いてある布団の中には誰もいなかった。じわじわと焦燥感がせり上がってくる。
私は着替えもせず、羽織りだけ引っ掴んで忙しなく玄関の扉に手を伸ばした。
ほんの少しでいいから、坂田さんの顔が見たい。今一人で眠ったら、また怖い夢を見てしまう。そんな気がした。


*****


駄目だ。見つからない。
街灯の傍の電柱に手をつき、荒く息を吐いた。もうそろそろ帰ってくるかもしれないし、万事屋に戻ってみようか。
心細さに胸を押さえても、嫌な動悸は治まらない。つんと鼻の奥が痛んで目頭が熱くなる。

「……おい」

背後から男に声をかけられ、勢いよく振り返った。もしかしたら坂田さんかもしれない。

「……あ……」

あの時の派手なお兄さんだ。また会えるだなんて、思ってもみなかった。派手と言っても、今は無地の黒い羽織りの所為で前より落ち着いて見えるが。
お兄さんはこの間のどうでもよさそうなのとはまた違う、涼しげな眼でこちらを見下ろしていた。

「女がこんな夜更けに何やってんだ。襲われてェのか」

そんな訳ない。……でも、坂田さんがいなくて。何処にもいなくて。
……そんな事をこの人に訴えて、一体何になるっていうんだ。

「……私、ここにいる?」
「……あ?」

思い出してしまった。確か私はもう、死んでいた筈なのに。
あの最後の浮遊感を思い出すと、全身に鳥肌が立つ。どうして私はここにいるんだろう。……どうして、坂田さんと出会う事が出来たんだろう。

「何を言ってんだ」
「……私、……ちゃんと、生きてる?……本当に、ここに、いて……」

見えるもの全てが嘘だったら、どうしよう。
本当はこんな世界どこにも存在しなくて、独りぼっちが嫌だった私の創り出した空想の世界だったら、私は、

「っふ……ぅ……」

本格的に涙が溢れ出してきて、手の甲で目元を拭った。嗚咽を堪えていたら、益々瞼が熱くなる。
怖い。今になって、この世界から消えるのが怖かった。死ぬって、そういう事だ。でも、私は確か、もう、あの時に。

小さく嗚咽を漏らしながら、ゆっくりとお兄さんに背を向けて歩き出した。
早く万事屋に帰ろう。坂田さんが私の為に買ってくれた着物やら食器やらに触れたい。私はちゃんと存在しているのだと、教えてほしかった。

「いたっ……!」

いきなり髪を強く引っ張られて、引き攣った声を漏らした。やめて。髪抜ける。部分的に禿げる。かと言ってスキンヘッドも嫌だ。

「痛い、痛い……!」
「良かったな。痛いのは生きてる証拠だろ」
「……え?」

ぱっと手を離され、涙目になって頭を押さえながら振り返る。
小首を傾げてこちらを見下ろすお兄さんの目は、何故だかちょっと怖かった。

「何を心配してんだか知らねェが、残念な事にお前は生きてるぜ。この腐った、どうしようもねえ世界にな」
「……腐っ、た……?」

よく分からなかったので首を傾げた。
どうしてそんな事を言うのだろう。私にしてみれば、こちらが輝いていて、あっちが腐っているのだけど。
まあ、でもそれは、ちょっとしたさじ加減でどうとでも感じ方が変わるのだろう。

「ほら、ちゃんと触れんじゃねェか。化けて出てる訳でもねェらしい」

すりすりと頬を触られて、くすぐったさに小さく笑い声を漏らす。眦に溜まっていた涙がぽろりと零れて落ちた。

「う、ん……そっか。生きてる、のか……」

思いのほか温かいお兄さんの手を頬に当てたままきゅっと握り締めた。
何だかとてもほっとする。気付けばそっと瞼を閉じていた。

「お前、名前は?」

徐にそう言われ、瞼を開いてお兄さんの顔を見上げた。
……そうだ。私は名前も知らない人にこんな……恥ずかしすぎる。貴方も記憶喪失になって下さい。旅は道連れって言うでしょ。何か違う。

「え、と……私は……」

名乗ろうと口を開いた瞬間、何処からともなく酔っ払いの鼻歌が聞こえてきた。
お兄さんがぱっと私の手を振り払い、素早く、それでいて静かに何処かへと消えてしまう。

「あ……」

どうしたんだろう。私もお兄さんの名前を訊きたかったのに。
どんな酔っ払いだろうと振り返れば、それはまさかの坂田さんで、私はその場でずるりと滑り落ちた。

「……坂田さん……」
「……ん?お〜、雪ちゃ〜ん。何やってんだ?こんな所でェ」
「いや、それはこっちの台詞……」


*****


夜が明けてから事情を聞いた。中々寝付けないので、散歩がてらコンビニに一杯寝酒をしに行ったのだそうだ。
その最中に知り合いと出くわし話が弾んだので、そのまま二杯、三杯とコンビニの駐車場で飲み続けていたらしい。何処のヤンキーだ。

「おぼろろろろろ」

万事屋のトイレの中。相変わらず酒に弱い坂田さんの背中を擦りながら、またあのお兄さんに会えるかなぁ、なんて考えた。
根拠なんてないけれど。何だか、また会えるような気がするのだ。



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