06
ちぎれた信念
バロンが近づくにつれカインの中で殺意が高まっていた。ともすればクリスタルなんて置き忘れてしまいそうなほど、今の彼はセシルを殺すことしか頭にない。
あのマイナスがきちんと約束を守ってくれればいいんだが。
「フフ……フハハ……! 今行くぞ、セシル……!! ついに俺は、お前から解き放たれるのだ!」
なんか今、ドックの方で音がした気がする。もしかしてエンタープライズがもう追いついてきたんじゃないか?
しかしカインは我関せずで、相変わらず静まり返った城内を謁見の間に向かって駆ける。ローザは必死の形相で後を追ってきた。
玉座へと通じる廊下で背後から聞き慣れない声がした。
「母さんッ!」
「セオドア……!」
母さん。あ、ああ、ローザのことか。ということはあの少年がバロンの王子だ。思ったより大きいな……。
ファブール王女の成長ぶりを見た時も驚いたけれど、本当に十数年が経過してるんだなぁ。なんて感慨に耽っている場合ではないか。
セオドア王子の後ろからもう一人、修練服を纏った男が追ってくる。その姿を目にした途端カインの精神に動揺が走った。
「き、貴様!」
ちょっと待てよ、あれって……。
「カイン!」
「え!?」
ローザの言葉に驚愕の表情を浮かべたセオドア王子が、隣に立つ……カインとおぼしき男を見上げた。
やっぱりそうだよな。あの服は山での修行中にカインが着ていたものだし、ターバンの隙間から覗く青い瞳、それに声が完全にカインそのものだ。
「じゃあ、あなたは……」
あれがカインならこっちは何なんだと疑惑の視線が向けられる。ローザをまっすぐに見つめ返し、カインは迷いなく言い切った。
「俺が本当のカインだ」
うん。それは間違いない。ずっとカインの中に居座っている俺が保証しよう。しかし……。
「死にぞこないが。おめおめと生き恥を晒していたか」
『じゃあ、あれは試練の山で襲ってきた分身か?』
間に立っていたローザを退け、愛槍を握り締めたカインはあっちのカインに向かって猛進する。
こちらは確かに間違いなく本物のカインだ。でも……あちらも本物に見える。どうなってるんだ。あの分身は倒したんじゃなかったのか。
鏡の中から移し身が現れ、襲ってきた。俺が気づいた時カインは「過去に打ち克った」と言っていたが、彼の行動が極端になったのはそこからだ。
確かにカイン本人だとは分かっているのに、今までの彼とはどこか違ってもいる。相反する確信と違和感を、目の前にいる“もう一人のカイン”からも感じていた。一体どちらが本物だ?
「今度こそ決着をつけてやる! 俺が本当の……俺であるためにな……!」
打ちかかってくる槍を食い止めたのは槍ではなく剣だった。セオドア王子が“あっち”を庇おうと立ちはだかるが、彼はそれを制して前に出る。
「手を出すな!」
「それでいい。これは俺自身の戦いだ!」
たとえば、だ。……二人とも本物だとしたらどうなる? 俺が“こっち”にいるということは、このカインも確かに元の彼から別たれた分身だ。しかし向こうも偽者には見えない。
セシルに対する友愛と嫉妬、そしてローザに向けた恋慕と執着の狭間で、カインはずっと迷い揺れていたんだ。両極にあるようで繋がっているその感情が、二つの人格に別れたのだとしたら。
「どうした! 貴様もそれを望んでいるのだろう? セシルの死を! そして……ローザをッ!!」
友愛と恋慕があちらに、嫉妬と執着はこちらに。なるほどな、いきなりセシルを殺したいなんて極端な行動に走ったのも頷ける。違和感の正体も理解した。
彼らは二人とも本物のカインだが、どちらも存在が欠けているんだ。
まるで試練の山での一戦をなぞっているかのごとく、あちらのカインは防戦一方、明らかに不利だった。
息切れして膝をついた彼をセオドア王子が庇い立つ。同時に“こっち”の視線を遮るように両手を広げてローザが立ち塞がった。
「カイン!」
「ローザ……」
友情であれば、ローザはセシルを想うのと同じだけカインを大切にしてくれるだろう。大事なセシルを殺そうとしてさえ彼女はカインを憎みはしない。
彼女は知っているんだ。憎しみもまたカインの真実であり、そして彼がそれだけの男ではないことを。こっちの彼も“カイン”の一部として認めてくれている。
「さがれ、ローザ……、セオドア」
満身創痍でカインが立ち上がり、こちらを見据えながら……剣を放り出した。
「私は、お前を受け入れる」
「な……なぜ……!」
「過ぎ去った日々と訣別し、葬らねばならんと思い込んでいた。だが……そうではない。過去のすべても私自身だ。喜びも悲しみも、憎しみさえも……」
「やめろ!」
「私はお前を否定しない」
どちらも自分自身ならば過去との訣別で心は解放されない。彼が彼であるためには、互いを受け入れなければならないんだ。
『なあカイン……憎しみも確かにお前の真意だろう。でも、あれもお前自身だ。セシルを憎めない気持ち、ローザの幸せを望む心、それもお前の真意だろう』
「俺は……!」
体から力が抜ける。槍を取り落とし、膝をつき、そのまま地に伏せてしまいそうになる。力を振り絞って顔を上げると、もう一人のカインがそばに跪いていた。
「安心しろ。お前は死なん。お前も……俺自身だからな」
こちらの視界が歪むのと同時に、彼もまた存在が揺らぎつつあった。別たれたものが一つに戻ろうとしているようだ。
闇に閉ざされる寸前、カインの視界に金色の淡い光が瞬いた。感覚の失せつつある指先にあたたかなものが触れる。
「ローザ……」
彼女が祈りを捧げている。それはとても崇高で、とても大切な光景だった。
恋慕などなくしたって彼女を愛しく想う気持ちに変わりはない。この切実な心の裏側にある憎しみを切り捨ててしまうことなどできないだろう。
だったらもう、一生抱えていく覚悟を決めるほかないな。きっと彼らは、そんなカインを受け入れてくれるだろう。
だからこそ恋し、だからこそ友となったのだから。
……おそらく元の一人に戻ったであろうカインの中で、俺が目覚めることはなかった。辺りは一面の闇だ。これが死後の世界というやつなのだろう。
十数年も遅れてようやくここに辿り着いたんだな。心が溶けていくのを感じる。気を抜けば自分という存在が消失しそうだった。
人間は死ねばそれまで。このまま大いなる意思と一つになるのが定めだ。
しかし現世への執念を捨てずに、もしここから脱却できたならモンスターと化して蘇ることもできるだろう。
かつて出会った、エブラーナの王と王妃を思い出した。カインの中にあって人間を保っていた俺だが、魔物となればあんな風に気が狂ってしまうかもしれない。それは少し恐ろしい。
その時に俺は“ヤト”ではなくなるかもしれない。だが……それでも、まだ生きていたい。
魔導船がこの星を発ったことがどうしても気にかかる。モンスターになってでも、生き延びればまだゴルベーザ様のお役に立てるかもしれない。
ただ、借り物の脳ミソさえ持たない今となっては“自分自身を忘れずにいる”というのも俺には難しい。いつまで意識を保っていられるか、だな。
元々が魔力も乏しい魔法の使える剣士だ。自力でモンスターに生まれ変わるまで人間の感覚で何年を要するか……。
闇を漂っていたら何かが俺の手をくわえるのを感じた。驚いて見下ろすと、闇の中に漆黒の鎧みたいなものが浮かんでいる。
一瞬ゴルベーザ様を連想したが、目を凝らすと輪郭が見えてきた。双眸を爛々と輝かせて俺を見ているのは見覚えのある生物だった。
「黒竜?」
どうしてこんなところにと思う間もなく、俺の周囲をよく分からない紋様が取り巻き始める。何かの呪文のようだが俺には読めない。おそらくは黒魔法の一種だと思う。
黒竜がここにいるということは、これはゴルベーザ様の魔法だろうか。ものすごく嫌な感じがするんだけど、攻撃魔法じゃないだろうな。
しかし黒竜は「問題ない、身を任せなさい」とでも言いたげに胸を張っている。うーん、不安だ。
まあゴルベーザ様は死人に精神魔法は効かないと仰っていたし、今にも消えてゆこうとしている俺がこのうえ更に殺されるなんてことはたぶんないだろう。
とりあえずされるがままになっておこう。
どれくらいの時間が経ったのか。複雑に形を変えてうねりながら周囲をまわっていた紋様は、やがて俺の中に吸い込まれるように消えていった。
その瞬間、意識が明瞭になる。集中しなければ自我をなくしてしまいそうだったのが嘘みたいだ。死に向かう歩みを引き留められたらしい。
「蘇生魔法? じゃ、ないよな。俺の体が死んだのは随分と前だし、今さら蘇生は無理か」
精神だけを現世に留めおく魔法。あるいは、ベイガンが施されたような魔物化の術かもしれない。
「ヤト」
「はい。……え?」
闇の中からゴルベーザ様の声が聞こえた。無意識に返事をしてしまったが、なんで名前を知っているんだろう。いや違う、問題はそこじゃない。
「すまぬ。事前に交渉をしている余裕がなかった。だが死にゆく魂を引き留めるには、支配するしかなかったのだ」
そうか、つまり俺はゴルベーザ様の支配下に置かれたわけだな? べつに構わないけど。誰かに従うのは慣れている。今までそうして生きてきたのだから、これからもそうする方が気楽でいい。
「死なずに済むならいいですよ。それより、魔物の体になるならできれば人間の形をしていたいんですが」
どっかのヘビ男みたいなのになったら慣れるのに苦労しそうだ。
それにしてもゴルベーザ様、声だけ聞こえて姿が見えないから会話がやりにくいな。
俺が何か妙なことを言ったのか、しばらく沈黙が続いた。やがてまたゴルベーザ様の声が聞こえて安堵する。
ここに放ったらかされると淋しい。
「新たな肉体を得るには膨大な魔力が必要だ。今はできぬ。その、……できれば、その前に、頼みたいことがあるのだが……」
「ん?」
なぜそんなにも言いにくそうにしているのか。頼みというか、さっきの魔法で俺を支配したなら命令すればいいのに。
「まるで人に命令するのに慣れてないみたいですね」
「……」
「ゼムスに操られてた時みたいに言ってくれていいですよ。俺にとってはどっちもあなたですから」
自分の体を得るため、そしてゴルベーザ様にとって必要なことならできる限りのことをやってやろうじゃないか。
少し言い淀んだあと、彼は言った。
「セシルを助けてくれ」
え、どうやって? 俺は彼がどこにいるかも知らないんですが? と尋ねる間もあればこそ。周囲の闇が渦を巻き、俺もそこに吸い込まれていく。
黒竜が「頑張ってね!」というような顔をして尾を振っていた。お前ね、それはちょっと無責任だよ。