07



逆らえない相手



 いかにも死後の世界といった雰囲気の空間から逃れ出てきたのは非常に陰惨な景色の中だった。
 空はドス黒く曇っており、周囲には見渡す限りの荒野が続いている。しかも足元が最悪だ。まるで泥の海のように足が沈んでいく。
「底なしだったらどうしよう……」
 窒息死は苦しそうだから嫌だ。死ぬ時はせめて爆死でスパッと死にたいと常々思っていたんだ。まあ幸か不幸かその念願は叶ったわけだが。でも死んでからもう一度死ぬとどうなるんだ?
 というか、ここはどこなんだよ。黒竜は消えてしまったし、ゴルベーザ様の声も聞こえない。分かるのは、生者の世界ではないということだ。
 理屈ではなく肌で感じる。ここはさっきまでいた空間、消えゆく死者の世界と遠くない位置にある。なんといっても“生”の気配がまったく無いのだから。

 ゴルベーザ様はセシルを助けてほしいと言っていた。彼はマイナスの手に落ちていると思われる。もしかして、この荒野のどこかに封じられているのだろうか?
 一人で探し出すのは難儀だな。というか、さっきからまったく前に進まなくなってきた。必死に足を動かしているのにうまく歩けない。まるで夢の中にいるみたいだ。
「この場所の在り方を現世と同じように捉えてはいけないよ、ヤト」
「うぇっ!?」
 いきなり聞こえた声に飛び上がり、慌てて振り向くと巨大なヘビが二本足で立っていた。いや、足があるからトカゲなのかもしれない。
 じゃなくて、この声は……。
「あっ、ベイガンか。そんな顔してるから誰かと思ったよ」
 彼がモンスターに変わってからは死に際に一目会えただけだからな。そういえばそんな感じだった。身嗜みに注意しつつ顔の美醜には頓着しない彼らしい。
「…………ええっ!? ベイガン!!」
 一拍遅れて仰天した。なんで普通に返事してるんだ俺は。ベイガンは死んでるんだぞ。いや、俺も死んでるけど。あれ? じゃあべつにおかしくないな。
 死後の世界のような場所で死人が死人に会いに来ただけか。

 ベイガンは困惑する俺を見下したように鼻で笑いつつ、踵をトントンと鳴らした。見れば彼は俺と同じ地面にいるのに、泥に沈み込むことなく立っている。
 まるでしっかりと固い地面の上にいるみたいだ。
「この世界には実体がない。だからこそ精神の影響を受けやすい。そこに硬い地面があると思えばいいんだ。魔法を使う時と同じだよ」
「簡単に言わないでほしいです」
 しかし一応は試してみよう。このままだと歩きにくくて敵わないからな。
 ファイアを唱える時は目の前に架空の炎を思い浮かべ、そこに魔力を注ぎ込む。それと同じように……足の下にある地面は固いと想像する。
 泥ではなく乾いた土の感触を思い出すんだ。あるいは、城の廊下。冷たくて硬い石の道。
「……立てた」
 泥の海は消え失せ、俺は見慣れたバロン城の廊下に立っていた。見上げれば先程までの暗い空はなく、やはり城の天井がそこにある。
 想像力だけで世界が一変するなんて怖いくらいだ。でも魔法とはそういうものなのだった。とにかくこれで歩きやすくなる。
「おめでとう」
 にっこりと笑うヘビの顔はちょっと愛嬌があった。

 足場が安定したので、改めてベイガンの姿を観察してみる。
 顔や体は鱗に覆われた爬虫類、さらに両腕がヘビになっていた。でも腕じゃなくてそれぞれが首なのかもしれない。
 三つ首のヘビ……どこかの伝承でそういう魔物の記述を見たことがある。確か名前はヒュドラだったか。
「なあ、ベイガン」
「何だね?」
「それって脳ミソが三つある状態なのか? 混乱しない? あと、この腕のところで食事ってできるの? 量は三人前必要なのか?」
 右腕のヘビをちょいちょいとつついてみたら噛まれて血を吸われた。痛い。これがベイガンの意思による反撃なのか右腕だけ自立して意識を持っているのか気になる。
「せっかくの再会で他に言うことはないのかね、まったく」
 それより質問に答えてほしいんですけど。
「……モンスターだからいずれ復活するよって気軽にあっさり死んだのはそっちだろう。べつに感慨なんてないよ」
 また会えるのは分かっていた。だったら死別もちょっと遠くへ出かけているくらいの感覚だ。何も、悲しくなんか、なかった。
「あー、腹減ってきた。ベイガンを見てると昔を思い出すよ。庭に入り込んだヘビを捕まえて、鱗を剥がして蒲焼きにしてさ。あんまり美味くなかったけど思い出の味だよな、あの薄味と変な食感……」
「ヤト」
 左腕が首に巻きついてきた。うっ、体が痺れる。こいつ毒蛇だったのか。
「ごめんごめん、食べないって」
 魔力は上がっているけれど、ヘビの腕では剣も盾も持つことはできない。単純に力を得るためにモンスターになったとして、どうしてその姿を選んだのか謎だな。

 景色が単なる広い荒野ではなくバロン城に変わったので、セシルを探すのも楽になった。きっと謁見の間にでもいるんじゃないかと思う。
 というわけで、とても歩きやすく整備された城の廊下を進んでいく。
「……兵長、いつになったら復活するんですか?」
「自力で肉体を得るのは難しいのだよ。下手を打つとアンデッドモンスターになってしまう」
 それは分かる。俺もカインの中にいた時、モンスターになる決心がつかなくて迂闊に離脱を試せなかったからな。でもベイガンは死ぬ前にもうモンスターになってたんだから平気じゃないか。
「べつにいいでしょう、アンデッドでも」
「私は陛下の眷属だからね。魔物としての性質を変えたくはない」
「陛下って……、ああ、あれか」
 セシル王でも先代でもなくあの偽物の、水の四天王カイナッツォのことだな。アンデッドといえば土のスカルミリョーネだから、他の四天王が支配している魔物にはなれないってわけか。
 力に惹かれてゴルベーザ様に靡いたものと思ってたけど、直接的な上司だったカイナッツォにも忠誠を捧げているらしい。
「ってあいつ俺の仇じゃないですか」
「それが何か?」
「もうちょっとなんかあるでしょうよ。簡単に忠誠を誓わんでください」
 事故とはいえよくも弟分を殺してくれたな、みたいなのは無いのかよ。無いよなぁ。この人はそういう人だった。
「ヤト。お前も魔物になるなら水属性を選ぶように」
「俺、火の方が相性いいんだけど」
「駄目だ」
 ダメと言われても、そもそも属性って自分で選べるものなんだろうか。
 火の四天王はルビカンテ。上司にするには良さそうなやつだったけど、残念だ。じゃあバルバリシアも駄目だろうな。……何が悲しくて自分を殺した奴の眷属にならなくちゃいけないんだっての。
 俺はゴルベーザ様直属の部下でいいや。どうせ支配の魔法もかけられていることだし。ゼムスの洗脳が解けて素に戻ったあの方なら理不尽に部下を酷使することもないだろう。

 かつてベイガンが殺された廊下に辿り着く。セシルと俺とどちらの記憶が元になっているのか不明だが、かなり正確に再現されたバロン城だ。
 もしかしたらさっきまでの荒野は、月の渓谷を模していたのかもしれない。
「セシルはなんでこんなところにいるんでしょうね?」
「こんなところも何も」
 ベイガンは呆れたように溜め息を吐いた。そして衝撃的な言葉が続く。
「ここはセシル殿の心の中だ」
 なんですって。じゃあ……あの荒野はセシルの心象風景だったんだ。それを俺の都合で塗り替えちゃうのって、よく分からないけどまずかったんじゃないか?
 廊下を抜け、ベイガンが謁見の間の重い扉を開く。空の玉座を見下ろすようにして暗黒騎士が茫然と立ち尽くしていた。
「セシル殿は心の粗方をなくしている。現世にある彼の体は意識を失っている状態だろう。残された彼の魂まで消し飛ばさないよう気をつけることだ」
「ええー、そういう繊細な作業は苦手なのに」
 カインに取り憑いていた時は、きっと彼が自我を保っていたから共存していられたんだ。今のセシルは無防備すぎて容易に消し飛ばしてしまえそうだった。
 しかしゴルベーザ様はセシルを助けてほしいと言っていた。このまま意識を乗っ取れば肉体は助けられるだろうが、精神の救い方は分からない。
「ヤトならできる。私は信じているよ」
「うぅ……」
 前に死んだ時どうやってカインの中に入ったのか、覚えていればよかったのに。

 突き飛ばすようにベイガンが背中を押すので俺はセシルの方へとつんのめってしまった。彼に一歩近づいた途端、無人だった玉座に巨大な影が現れる。
「でえっ!?」
 まさかのバハムートだ。そして召喚したのは……マイナスだった。
 身構えてはみたものの、よく見れば暗黒騎士の向こうに国王の正装を纏ったセシルがバハムートと対峙している。どうやらあれは彼の記憶を引き出しているだけのようだ。
 マイナスがバロンを襲撃した場面といったところか。しかしあの娘、ラムウだけに飽き足らずバハムートまで支配下に置いているとは意外にも強敵だな。
 彼女が腕を一振りすれば、幻獣神はセシルに向かって咆哮を放った。聖剣で薙いだものの、完全にはかわしきれずにセシルが倒れ伏す。
『やはり半分の血では、この程度か』
 うん? どういうことだろう。クリスタルのためにバロンを掌握したのではなく、セシル自身が目的だったような口振りだ。
『な……何が、目的だ……』
『だが、貴重なサンプルだ。利用価値もある』
 セシルの問いには答えず、マイナスは精神魔法で彼の心を抜き去った。見ている俺の胸までざわめく。核を失い、今の彼は脱け殻だ。
 試練の山で半身をなくしたカインと同じ。いなくなった自分自身を見つけて向き合わなければ、元には戻れないだろう。



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