08



ズキズキ頭痛



 この酩酊感と頭痛は久しぶりだ。
「う……」
 そういえば、カインの中にいてもこの十年は頭痛と縁がなかったな。てっきり二人分の思考に耐えられず肉体が悲鳴をあげているものと思っていたが、そうではなくゼムスの干渉による痛みだったのかもしれない。
 意識の奥底に残された彼の精神まで消し飛ばそうと魔法が頭を軋ませる。今度はセシルの中で、懐かしい痛みを感じていた。
「セシル!」
「父さん!?」
 起き上がった俺を見てセシルが意識を取り戻したと思ったらしく、誰かが声をかけてくる。その音が頭蓋骨を揺らしてぐわんぐわんと轟いた。
「……ちょっ、と、話しかけないでくれ……」
 たぶんローザとセオドア王子だったのだろうが、生憎と今の俺には状況を説明する余裕がない。数分待ってほしい。

 ぐるぐると回る視界に翻弄されていたら、ぬっと大きな手が伸びてきて額に触れた。その温かさを感じて頭痛が落ち着いてくる。
 見上げれば深青の瞳が俺を見つめていた。えっと……。
「ゴルベーザ様、ですか?」
 思えば素顔なんてほとんど見た記憶がない。それにもういい歳のはずなのに、十年前とあまり変わっていないように見える。しかし……この気配は間違いなくゴルベーザ様だ。
 彼の隣に訝しげな顔をしたローザとセオドア、そして少し離れたところにカインが立っている。そこで気づいた。今の俺はセシルなのに“ゴルベーザ様”はおかしいだろう。
 どう取り繕うか迷っていたら、よりにもよってゴルベーザ様が俺の名を呼んでしまった。
「ヤトだな」
「あ、いや、あの」
 ローザとセオドアがますます不審そうに目を細め、カインは驚いてまじまじと見つめてくる。い、いいのか、バラしても。
「えーと、はい、ゴルベーザ様。……結論から言うと、セシルの心は闇に囚われており今は対話もままなりません。目覚めさせるのは難しいでしょう」
 とりあえずローザたちへの説明は後回しにする。俺はゴルベーザ様の配下だからな。そっちの命令が優先だ。
 断じて、居た堪れない空気が嫌になって考えるのをやめたんじゃないぞ。

 まだセシルが助かったわけではないと知ってガッカリされるだろうと思ったんだが、ゴルベーザ様はそれ以上に俺の帰還を喜んでいるようだ。表情に安堵の色が見える。
 セシルを救わせるのは咄嗟の思いつきで、それがなくてもカインが一人に戻った時に弾き出されて消滅しかかっていた俺を蘇らせてくれるつもりだったのかもしれない。
 なんだかんだ、彼もお人好しだな。さすがセシルの兄と言うべきか。
「それで、以前のように……セシルの意識と交代することはできないのだな?」
「この肉体にも彼の心は辛うじて残ってますけど、語りかけても返事をしてくれません。おそらくは精神支配に抗うために覚醒できないのだと思います」
「自ら心を閉ざしているということか」
 ゴルベーザ様という別の標的があったお陰とはいえ、セシルはゼムスの思念にも耐えたのに、こうも容易く精神を害されるとはマイナスの術も大したものだ。
「俺は魔法に耐性がありますし、ゴルベーザ様の支配下にあるので平気ですけど……魔法の干渉は感じます。弱っているセシルがこれに耐えるのは難しいでしょう」
 たぶん、カインの体にいた時のようにセシル本人の意識が表面化したら、せっかく残っていた彼の精神も今度こそ完全に消し飛ばされてしまうだろう。
 この肉体を支配しようとする魔法を止められるまで、セシルは眠っていた方がいい。
 とはいえ意識を失いっぱなしでは肉体の方が先に死んでしまう。今セシルの体は俺に乗っ取られていた方が安全だ。
 彼に戻ってきてもらうにはまず、どうにかしてマイナスに奪われたセシルの心を取り返さなければいけない。

 ゴルベーザ様の状況確認が済んだのを見て取り、ローザが焦れったそうに口を開いた。
「説明してもらえるわよね?」
 はい。……怖い。
「申し遅れました。俺はヤト、ゴルベーザ様の配下です。諸事情あって意識のないセシル様の体を借りています」
 自分で言ってさえ、ものすごく怪しいと思える。セシルの意識がない時点で本人の許可を得てないのは明白だし、俺が陛下や殿下の立場だったらこんな怪しげな霊体は今すぐに除霊しているだろう。
 眉間に深くシワを刻んだバロンの薔薇に、ゴルベーザ様が慌てて弁明を付け加える。
「彼は肉体を持たぬ精神だけの存在だ。セシルの深層意識に働きかけるために私が喚び出した」
 ゴルベーザ様としては「ヤトが勝手に取り憑いたんじゃない、自分がやった」というフォローのつもりみたいだが、ローザとセオドア王子の視線はますます険しくなった。
 あちらからすれば見知らぬ誰かが自分の家族の肉体を乗っ取っているんだ、不審に思うのは当然だろう。それにローザは、きっと先代バロン王のことを思い出して不安になるんじゃないかな。
「……セシルが目覚めない以上、放っておくと彼の体はこのまま死体になってしまう可能性がある。だから俺は、彼が目覚めるまでの“繋ぎ”ですね」
 彼が目覚めればゴルベーザ様が俺を分離させてくれると告げて、ようやくローザの視線が少し和らいだ。
 セシルを助けなければいけないのは別として、俺だってできれば自分の体が欲しいからな。

 白魔道士は蘇生魔法を修得する過程で死に際した精神の移動について学ぶ。だからだろう、ローザは俺がセシルの肉体を維持するためにいることをなんとなく納得したようだった。
 しかし不服そうなのはセオドア王子だ。カインが口を挟み、彼を宥める。
「ヤトの人柄は俺が保証する。セシルの肉体が乗っ取られるようなことはない」
 それは正直、俺でも保証できないところなんだけどな。俺に乗っ取るつもりがなくとも戻ってこられるかはセシル次第だ。もし彼の心を取り戻せなかったら、その時は……どうなるか考えたくない。
「カインさんは、その、彼をご存知で?」
「ヤトは元々バロンの人間だ。十四年前に……亡くなったが」
 ちょっと前までセシルではなく自分の中にいた、とはさすがに言いにくいようだった。まあ事実バロンの人間だったんだからその説明でいいけどさ。
 同郷と言われてセオドア王子が目を見開いて俺を見上げる。妙な反応を示したのは、ローザだった。
「やっぱり……はっきりとは思い出せないけれど、会ったことがあるわよね……?」
「あー、あるような、ないような」
 カインとしてなら何度も言葉を交わしたけれど、俺が“ヤト”として彼女と対面したことは一度もないと思う。

 なんて言ったものかな。カインに取り憑いていたことが今ここで知られるといろいろ面倒だし。
「えっと、十数年前には近衛に身を置いておりました」
「ヤト……近衛のヤト……、あなた、近衛兵長だったベイガンの部下じゃない? ヘビが好きな」
「んっ?」
 なにその追記事項は。ベイガンの部下だったのは正解だが、ヘビが好きだなんて俺自身も初耳だぞ。そりゃ、子供の頃は身近だったんで嫌いではないけど。
「近衛には辺境出身でヘビが好物という人がいたと聞いてたわ。ヘビを食べる習慣に馴染みがないから魔道士団でもみんな引い……ビックリしていたのよ」
「ベイガン……あの野郎……」
 道理であの頃やたらと差し入れをもらったわけだ。城の中庭に入り込んでたからとかいって生きたヘビを渡されてさ。
 ……田舎者の落ちこぼれを嘲笑って嫌がらせされてるんだと思ってたよ! くそっ! 持ってくるのは魔道士団や空軍の連中ばかりだったしな!
「確かにヘビを食べたことはありますけど、好きではありません。実家が田舎だったので何でも食ってただけです。それはベイガンが流した悪意ある噂です!」
「そ、そうなの?」
 ヘビ肉というものが、淡白にも程がある究極の薄味で腹を膨らます以外には一切何の役にも立たない美食からはかけ離れた食材だって、あの人も知ってるだろうに。
 というかバロンに来てまで貧乏食なんか口にしたくもないって日頃から愚痴ってるのを知ってただろうに!

 いかん、頭痛がぶり返してきた。ベイガンめ。どうしてあの人は俺の嫌がることをするのが大好きなんだ。
 とにかく、俺の身元がはっきりしたのでローザとセオドア王子も渋々ながら納得はしてくれたようだった。
 親しい人間の中に別の存在が居座っているというのは気持ちの悪いものだろうが、セシルを取り戻すまで我慢してもらうしかない。
「それで……ここは魔導船の中ですよね。俺の方は現状が分かってないんですが」
 ゴルベーザ様はなぜか考え事に耽っていて、返事をしてくれたのはカインだった。
「バロンを襲ったあの女が、月を青き星にぶつけようとしている。それを止めるために魔導船で月に乗り込んだところだ」
「なるほど」
 やることが豪快かつ迷惑だな、マイナス。
 魔導船は月の引力によってコントロールを失い不時着したらしい。今はシド技師が他の仲間と共に修理を行っていて、それが済み次第この月の中心核に向かうことになる。
 他にも仲間がいるのか。また俺の状況を説明して空気が凍るのは嫌だなぁ。なんて呑気なことを考えていたら、さも重大なことに気づいたと言いたげな顔でゴルベーザ様が呟いた。
「ヤトがベイガンの部下だったとは。……だから彼はあの姿を選んだのだな」
「……」
 あり得る。たぶんあの人は、俺が生きていれば共にゴルベーザ様に仕えるつもりだったはずだ。だからヘビのモンスターになったんだな。俺への嫌がらせで。
 ……あー、また頭が痛い。



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